後書き

『嘘と拡散の世紀:「われわれ」と「彼ら」の情報戦争』(原書房)

  • 2020/04/14
嘘と拡散の世紀:「われわれ」と「彼ら」の情報戦争 / ピーター・ポメランツェフ
嘘と拡散の世紀:「われわれ」と「彼ら」の情報戦争
  • 著者:ピーター・ポメランツェフ
  • 翻訳:築地 誠子,竹田 円
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(292ページ)
  • 発売日:2020-03-24
  • ISBN-10:4562057513
  • ISBN-13:978-4562057511
内容紹介:
世界は嘘が個人の内面に一瞬で侵入する時代に突入した。偽情報はいかに生み出され、深刻な対立をまねくか…キエフ出身の英国人ジャーナリストが米中ほか世界各地、特に祖国ウクライナとロシアについて詳述した必読の書!
「新しい戦争」が始まっている。それは武器を使わず、兵士を殺さず、国土を破壊しない。「新しい戦争」は言葉と情報を武器とし、兵士ではなく普通に暮らす人々の心を、国土ではなく民主主義そのものをきわめて短時間で破壊する。
「新しい戦争」についてキエフ(ウクライナ)出身の英国人ジャーナリストが書いた注目の書、『嘘と拡散の世紀:「われわれ」と「彼ら」の情報戦争』の訳者あとがきを公開する。

情報戦争の実態を最前線から伝える戦場レポート

21世紀に入って戦争は大きく様変わりした。
従来の戦争や内戦には、国家もしくはそれに準ずる交戦団体のような大規模な組織が必要だった。
だが今やパソコンさえあれば、いやスマートフォンと数秒の待ち時間があれば、誰でも参戦することが可能だ。
21世紀の戦争―それはインターネット上で何億人もが地球規模の戦いを繰り広げる情報戦争だ。
2016年のアメリカ大統領選挙戦は格好の例と言えよう。
ドナルド・トランプはソーシャルメディアという新手のツールを開拓・利用して大統領の座を勝ち取り、政治のありようを大きく変えた(この選挙戦において、ロシアがトランプを勝利させるためにサイバー攻撃やSNSを駆使した世論工作を行なっていたのは周知のとおり)。

本書『嘘と拡散の世紀――「われわれ」と「彼ら」の情報戦争』は、情報戦争の実態を最前線から伝える戦場レポートだ。
著者であるポメランツェフはイギリス在住のジャーナリスト兼テレビプロデューサー。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)国際情勢研究所ではビジティング・シニア・フェローという立場にあり、プロパガンダとメディアの発展を専門的に研究している。
前著『プーチンのユートピア――21世紀ロシアとプロパガンダ』(池田年穂訳/慶應義塾大学出版会/2018年)は、プーチンが大統領に就任した2000年以降の狂奔するロシア社会を活写した傑作で、2016年には王立文学協会オンダーチェ賞を受賞している。本書でもそのいきいきとした筆致は健在で、情報戦争の最前線にいるさまざまな立場の人々の肉声を私たちに届けてくれる。

本書で取り上げられた情報戦争の最前線をいくつかふり返ってみよう。
マニラでは、世界で初めてSNSを活用して大統領に就任したドゥテルテが、彼にうっかり手を貸したソーシャルニュースサイト、ラプラーの記者たちに牙をむく。
サンクトペテルブルクでは、国家が後ろ盾となったトロール工場が、プーチンの政敵や欧米のSNSに対して大規模に妨害工作や世論操作を行なっている。
メキシコ北東部の町レイノサでは、腐敗した警察と麻薬ディーラーが跋扈する社会に対して市民がスマートフォンで抵抗している。
ウクライナのドンバスでは、親ロシア派と親ウクライナ派が軍事行為のみならず、インターネット上でも熾烈な戦いを繰り広げている。
エストニアは1991年にソ連から独立して、その後NATO、EUに加盟した。さらにヨーロッパ随一のデジタル先進国になることで後進国のイメージを払拭したが、ロシアと敵対した結果、分散型サービス妨害攻撃(DDoS攻撃)を仕掛けられて国中のネット機能がダウンしてしまった。それは武力攻撃ではなく、攻撃の主体も明らかでなかった。そのため、「条約締約国一国あるいは二国以上への武力攻撃はすべての締約国への攻撃とみなす」というNATOの条項では対処することができなかった。
こうした生々しい戦場レポートが突きつけるのは、もはや既存の法制度では現代の情報戦争に対処することは不可能という現実である。

インターネットの実態調査に乗り出した「イギリス・デジタル・文化・メディア・スポーツ委員会」の報告書には、インターネット環境をめぐる現状について、「こうした環境においては、人々は自分の意見を強化する情報を、どんなにゆがんだ不正確なものであれ受け入れ、信頼すらしてしまう。それは世論の両極化を招き、客観的事実に基づいた合理的な議論を可能にする共通の土台を蝕む。……われわれの民主主義の構造そのものが脅かされている」とある。
ポメランツェフは、そもそもソーシャルメディアそのものが「事実」や「真実」「公平」「客観性」をないがしろにし、より過激で煽情的なコンテンツを求めるように設計されていることを指摘する。
「客観的事実に基づいた合理的議論」「事実」「真実」が軽視される社会では、トランプやプーチンのように「事実は重要ではない」という態度を公然と取り、支離滅裂な発言、感情を思うがまま吐き出す独裁的な為政者が支持を集めるようになる。

本書がとくにすぐれているのは、「情報戦争」という事象を通じて、冷戦終結後の30年間、古いイデオロギーがことごとく消滅した世界で政治のありようがどのように変質していったか、さらに、冷戦時代にはなぜ「事実」や「真実」が意味を持っていたのかについて深く洞察している点にある。
これらの洞察を可能にしたのがポメランツェフの生い立ちだ。
本書には、著者の家族歴史(ファミリーヒストリー)や、著書の父親であるイーゴリの創作が随所に挿入されている。イーゴリはウクライナ出身の詩人、小説家で、1970年代に「有害文学」を配布した罪でKGBに逮捕され、最終的にソ連から亡命した過去を持つ(著者自身、父親がKGBの取り調べを受けていた1977年にウクライナで誕生した)。

著者は冷戦時代と現代を対比させながら、なぜ冷戦時代には「事実」や「真実」に価値があったのか、それは、冷戦時代にはよりよい未来を約束するイデオロギーが存在したからであり、人類が過去から未来に向かって進歩発展していることを証明するために事実が必要とされてきた。
だが、こうした展望が消えた今、不都合な現実を突きつける事実を誰も欲しがらなくなったと主張する。
すでに2001年の時点でスヴェトラーナ・ボイム(1959~2015年。ソ連からアメリカに亡命した比較文学者)が「20世紀はユートピアで幕を開け、郷愁(ノスタルジー)で幕を閉じた。21世紀は新しさの追求ではなく郷愁の拡散の時代と言えよう」と予見したように、現在、アメリカもイギリスもロシアも未来を見失い、ぼんやりとした懐古主義の霧に包まれている。「アメリカをふたたび偉大な国に」「主導権を取り戻そう」「ロシアよ、立ち上がれ」という感情を奮い立たせる漠然としたスローガンを唱えながら。
だが、こうした漠然とした、かつ強力な感情は「われわれ」と「彼ら」を分断する線の役割を果たし、「彼ら」を積極的に排除もしくは支配しようとする動きにつながるとポメランツェフは警鐘を鳴らしている。

本書には、こうした現状に対する具体的な解決策が述べられているわけではない。だが、独裁政権を倒す方法を可能なかぎり多くの人に伝えようとするセルビアのスルジャ・ポポヴィッチ、事実の神聖性を取り戻そうと奮闘するファクトチェッカーたち、イスラム過激派組織から脱退して新たなアイデンティティのありようを提示するイギリス在住のアジア系青年……情報戦争の最前線で戦う彼らの姿を通して、私たちにとって本当に重要なものはなにかを考えるヒントが提示されている。

[書き手]竹田円(たけだ・まどか)翻訳家。本書は築地誠子との共訳。
嘘と拡散の世紀:「われわれ」と「彼ら」の情報戦争 / ピーター・ポメランツェフ
嘘と拡散の世紀:「われわれ」と「彼ら」の情報戦争
  • 著者:ピーター・ポメランツェフ
  • 翻訳:築地 誠子,竹田 円
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(292ページ)
  • 発売日:2020-03-24
  • ISBN-10:4562057513
  • ISBN-13:978-4562057511
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世界は嘘が個人の内面に一瞬で侵入する時代に突入した。偽情報はいかに生み出され、深刻な対立をまねくか…キエフ出身の英国人ジャーナリストが米中ほか世界各地、特に祖国ウクライナとロシアについて詳述した必読の書!

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