書評
『鎮魂歌』(早川書房)
誰でも、一生に一回くらい確信しちゃったりするわけよ。「この人が運命の男(女)だ」とか、「この愛は永遠なの」とかさ。ところが大抵の場合、無惨なことに、その幻想は打ち砕かれることになってんの。この小説の主人公トムがそうであるように。
物語の冒頭、トムはパーティで酔っぱらった挙げ句、ある女性のくるぶしを掴んでしまう。で、そのくるぶしの所有者ケイティーの顔を拝んだ瞬間、〈うん、これだ〉と恋に落ちるトム。熱心な求愛に負けたケイティーも〈うん、もしかしたらこれかも〉と考えるようになり、二人は一年後めでたく結婚するのだけれど、十三年後、トムは単身でエルサレムへと向かうことになる。それはケイティーが生前一緒に行きたがっていた聖地にして、学生時代からの親友シャロンが待つ休息の地。トムは、テロや暴動が日常茶飯事になっているこの血塗れの地で、謎めいた人物と出会い、面妖な体験をする。マグダラのマリアや亡き妻やシャロンに姿を変えて、トムに何かを伝えようとする黒いベールの老婆。キリストの受難にまつわる真実が記された死海文書をトムに託して死ぬ老人。ジン(魔物)にとり憑かれた学者。聞こえるはずのない声が聞こえ、リアルな幻覚に襲われるようになったトムは――。
これはたしかに、現実世界と幻想世界の混交を濃密な筆致で描いた一級品のダーク・ファンタジーに違いない。でも、通底しているのは失われた愛への“レクイエム”なのだ。ゆえに、本書は愛すべき人を愛せなかったことに苦悩する男のアイデンティティ・クライシスを描いたリアリズム小説でもある。なぜケイティーは死んだのか。ケイティーがあり得ない事故で命を落とした運命の日、トムは何をしていたのか。トムはなぜ、永遠の愛を手放してしまったのか。愛は哀しい。愛は厳しい。愛は儚い。世界の中心で叫んだって届かない愛の諸相を描いて、愛にまつわる残酷な真理を凝視して、胸に痛い物語。幻想小説が苦手な方もぜひ!
【この書評が収録されている書籍】
物語の冒頭、トムはパーティで酔っぱらった挙げ句、ある女性のくるぶしを掴んでしまう。で、そのくるぶしの所有者ケイティーの顔を拝んだ瞬間、〈うん、これだ〉と恋に落ちるトム。熱心な求愛に負けたケイティーも〈うん、もしかしたらこれかも〉と考えるようになり、二人は一年後めでたく結婚するのだけれど、十三年後、トムは単身でエルサレムへと向かうことになる。それはケイティーが生前一緒に行きたがっていた聖地にして、学生時代からの親友シャロンが待つ休息の地。トムは、テロや暴動が日常茶飯事になっているこの血塗れの地で、謎めいた人物と出会い、面妖な体験をする。マグダラのマリアや亡き妻やシャロンに姿を変えて、トムに何かを伝えようとする黒いベールの老婆。キリストの受難にまつわる真実が記された死海文書をトムに託して死ぬ老人。ジン(魔物)にとり憑かれた学者。聞こえるはずのない声が聞こえ、リアルな幻覚に襲われるようになったトムは――。
これはたしかに、現実世界と幻想世界の混交を濃密な筆致で描いた一級品のダーク・ファンタジーに違いない。でも、通底しているのは失われた愛への“レクイエム”なのだ。ゆえに、本書は愛すべき人を愛せなかったことに苦悩する男のアイデンティティ・クライシスを描いたリアリズム小説でもある。なぜケイティーは死んだのか。ケイティーがあり得ない事故で命を落とした運命の日、トムは何をしていたのか。トムはなぜ、永遠の愛を手放してしまったのか。愛は哀しい。愛は厳しい。愛は儚い。世界の中心で叫んだって届かない愛の諸相を描いて、愛にまつわる残酷な真理を凝視して、胸に痛い物語。幻想小説が苦手な方もぜひ!
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初出メディア

Invitation(終刊) 2004年9月号
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