書評
『ゆっくり歩く』(医学書院)
他者とつながる力 ケアを「自律」に
ずっと不思議だったのだ。著者の小川さんは英文学者で、ロマン主義文学の研究者であり、臨床家ではない。にもかかわらず近年のケア論ブームを先導し、ケア論の先駆者であるギリガンらの著作を紹介しつつ、自身も鋭い視点から縦横にケアを論じている。この情熱は何に由来するのか。彼女の新作が、ケア論の総本山とも言うべきシリーズ「ケアをひらく」の一冊として出版された。半自伝的エッセイともいうべき本書を読んで、謎が解けた思いがした。どうやら小川さんのケア論は、パーキンソン病と診断された母親をケアする経験と深く関係していたようなのだ。そのように明記されているわけではないが、診断を受けた時期などから、本書をそうした物語としても読むこともできよう。
ギリガンによれば「ケアの倫理」は、理論とエビデンスで正当化された「正義の倫理」とは異質だ。自立した人間が「正しさ」を追求する後者に対して、前者は人と人とが互いに依存し合うことを評価する。著者はバージニア・ウルフに依拠しつつ、ケアの実践において「多孔的自己」や「両性具有性」を重視する。流動的で他者に開かれた存在であること。こうした価値観を支えるのは文学的な想像力だ。本書では至るところでボルヘスからハン・ガンに至る多彩な文学作品が引用されるが、いずれもケアのための想像力を大いに補強してくれる。
直立人として競歩のような人生を歩んできた著者が、難病によってゆっくりしか歩けない母親に歩調を合わせる。全編を彩る和歌山弁が温かい。「よっしゃ。きみちゃんについていくで~」「モノより優しい言葉をかけてほしいんよ」「その前に仏さんにチンしいや」……方言が醸し出す豊かなニュアンスと余韻。これこそは「ゆっくり歩く」ことがもたらした「多孔性」の実践にほかならないだろう。
本書でひときわ印象的だったのは、著者の母の「“ツタ”力」の記述である。他者に依存しつつネットワークを広げていく力を、樹木に絡まる蔦に喩えているのだ。この母は“和歌山でいちばん友だちが多い”疑惑がかかるほど、他者と出会い、つながる力に長けている。一方的な依存関係ではない。他者からのケアを受けとると同時に、他者にもケアを与えるという相互性がそこにある。ツタ力の記述のすぐ後には、著者と母が参加したオープンダイアローグの体験が記され、ネガティブ・ケイパビリティの実践として高く評価されている。対話実践者である評者としても「我が意を得たり」の思いがした。
「“ツタ”力」の起源は著者の祖母に遡る。借金を背負いゼロから不動産業を起こした彼女のツタ力は、ケアのコミュニティとも言うべき「青いビル」から発信されて現代に影響を及ぼす。コミュニティはさまざまな物語を生み、物語は人々をつなぎ、次世代に継承されていく。この過程がもたらしたのは「自立」ならぬ「自律」(主体性)ではないだろうか。熊谷晋一郎の名言「自立とは依存先を増やすこと」をもじって言えば「対話と相互依存のネットワークこそが自律を可能にする」と言えそうである。祖母がはじめた物語が、著者のケア論に帰結した。円環が閉じられたわけではない。ケアの円環は成長するのだ。
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