患者、スタッフの主体性回復を問う
近年、精神医学の専門性に疑義を呈する声が次第に高まりつつある。現代の精神医学は長い停滞期にあるのではないか。統合失調症やうつ病といった中核的な疾患の病因も未解明であり、依存症やひきこもりといった重要な“問題”に対しても有効なアプローチはいまだ模索が続く。その一方で、わが国は今なお30万床以上の精神科病床を抱えており、収容型医療から地域移行へという世界的潮流からは数十年の後れを取っている。看護師にして大学教員でもある著者は、ACT(包括型地域生活支援プログラム)で働くスタッフの語りに現象学的にアプローチする。ACTとは、重度の精神障害を抱える当事者の生活を、精神科医、看護師、などの多職種が連携して、365日24時間の訪問体制でサポートするサービスである。医療に限らず生活面のさまざまなニーズに包括的に対応する。
ACTの実践は、通常の精神医療の枠組みにとらわれず、現場スタッフの裁量が活かされる自由度の高いものである。ある看護師は、「幽霊が入ってくる」と訴える患者の保護室の扉に安倍晴明のお札を貼ったところ、幽霊が消えた。部屋から出てこない患者の戸口でシイタケを栽培し、一緒に焼いて食べるところから関係改善をはかっていった。いずれも専門的な医療行為とは言えない。しかしこうした「実験」が支援を豊かにすることもまた事実なのだ。
硬直的な専門性のみによって構築された精神医療サービスは、還元主義的で柔軟性に欠ける。科学的で論理的な医学モデルのもとでは、患者は客体として眼差され、管理の対象とされてしまう。その結果、患者を複雑で全体的な存在として認識することが難しくなる。では、どうすれば患者の主体性を回復できるのか。
ACTというサービスは、患者の生活全般にきめ細かくかかわるため、ともすれば「悪質」な抱え込みとなり、支援が管理的となって「壁のない病院」へ逆行するリスクをはらむ。だからACTのスタッフは、伴走しつつ患者の思考を促し、責任を返し、欲求をあえて充足させずに彼らの主体化を促そうとする。
しかし、それだけでは不十分だ。もう一点重要なことは、支援に関わるスタッフ自身の主体性なのだ、と著者は言う。ACTのスタッフは、専門職としての規範から解放されて、現場において主体的に判断し、支援の内容を自由に、患者とともに創造している。利用者中心の支援には、スタッフの主体化が欠かせないのだ。
とはいえ著者は、精神医学の専門性をすべて否定するわけではない。もちろん専門家の経験や知識は尊重されるべきだ。専門性がなければ見えない世界がある。専門性を利用者中心の支援へと方向付けていくためには、「医学モデルを背後に携え、これを道具として状況に応じて自在に活用」することが重要となる。だとすれば、精神医療の専門性とは、専門家としての能力を適材適所で発揮できるための「ブリコラージュ(ありあわせ)的な営み」ではないのか。そのように著者は結論づけるが、精神科医である評者もまったく同感だ。私たちの専門性は、いわば上手に手探りするためにあるのだ。