トラウマ臨床の「政治」回帰がここに
ハーマンの前著『心的外傷と回復』(みすず書房、邦訳1996年)は「フロイト以来最も重要な精神医学書」とも評されたトラウマ臨床の古典だ。わが国のトラウマ臨床は、本書の翻訳を契機に大きく進展したと言っても過言ではない。それからおよそ30年を経て出版された本書は、前著の続編という趣を湛(たた)えつつも、いっそう進んだ認識のもと、高齢をものともしない精緻でみずみずしい筆致が際立つ。精神科医でもある訳者の懇切な注釈や解説も読解を大いに助けてくれる。前著は「複雑性PTSD」概念の提唱をはじめ、斬新なアイディアに満ちていた。とりわけ彼女が、外傷治療の目標として「心身の安全」「想起と服喪追悼」「コミュニティとの再結合」を設定し、それぞれの段階に見合った当事者グループへの参加を推奨したのは画期的なアプローチで、現在のPTSD治療のスタンダードとされている。
本書の内容も前著の延長線上にあるが、もっとも大きな変化として、司法領域に大きく踏み込んだ点が挙げられる。トラウマ治療を社会実装するなら、もはや社会的、政治的視点は避けて通れないという覚悟がそこにある。
個人の意志や自由を奪う「抑圧のメソッド」を用いるのは、カルト団体や虐待者ばかりではない。司法システムが抑圧を固定化しているのだ。性被害申告の難しさ、不起訴の多さ、加害者の否認に晒(さら)されることなど、司法が実質的に免罪の仕組みとして機能している。このあたりはわが国も同様か、より悪い状況にあるのは周知の通りだ。
被害者が必要とするのは「不正についてコミュニティが認知すること」、そして「被害者に落ち度はないと確認されること」である。しかしこの点は、加害者の協力が得られなければ難しい。そこでハーマンは「修復的司法」の導入を提案する。ファシリテーターと被害者、加害者およびその関係者らが参加してなされる対話。そこでは犯罪行為についてのアカウンタビリティ、被害者への補償、再発防止のための構造的変化が重視される。この手法についてハーマンは慎重さもにじませつつ、さまざまな実践例について検討している。
性犯罪の再発防止策として、とりわけ性売買についての政策の国際比較は興味深い。たとえば買春者に刑事罰を科すスウェーデンの政策は、売春の合法化よりも優れていることを示すエビデンスがあるという。また性暴力の発生抑止が、司法システムでなされうる可能性について検討される。被害者の回復を第一とする「治癒のための司法」、そして加害者の内省と行動変化を求めること。フェミニズム運動を一つの出自とするトラウマ臨床が、かくも「政治」へと回帰することは、暴力を生き延びた被害者が必要とする「真実と修復」を実現するためにも、避けられないことなのだ。
最後に。本書はその記述の多くを性犯罪に割いているが、回復のための指摘の多くは、いじめ問題の対策にもあてはまる。とりわけ加害者に対する「再統合のための羞辱化」(禁止だけではなく道徳の問題であることをわからせること)という発想は、評者にも大きなヒントを与えてくれた。