「ダメ、ゼッタイ」から包摂へ
あなたは、こんな風に考えてはいないだろうか。アル中は迷惑なところもあるけれど、人間臭くて憎めない。いっぽう大麻や覚醒剤の中毒患者は、人間としては終わっている。連中はとことんひどい目に遭わないと変わらないだろう。本書によれば、こうした考えはすべて偏見だ。アルコール依存症は治療可能な病気だし、大麻や覚醒剤に依存しても回復する可能性は十分にある。彼らに対する有効な治療とは、本当にひどい目に遭う前にみんなで助けることだ。本書のタイトルである「ハームリダクション」とは、そうした考えに基づいて依存症患者を支援する手法のことである。
薬物の使用には、さまざまな点で命に関わる問題が生ずる。たとえば注射器を使い回すことでHIVや肝炎ウイルスの感染リスクが高まる。過剰摂取で命をおとす人は、アメリカでは交通事故の死亡者を上回るほど急増している。そんなのは自業自得、で済ませられる問題ではない。繰り返すが、彼らは治癒可能な患者なのである。必要なのは処罰ではなくケアなのだ。
たとえばカナダでは医療機関で、ドラッグ注射のための新しい注射器を配布したり、毒性の低い薬物への置換を勧めたりしている。ドラッグは「ダメ、ゼッタイ」の日本とは大きく異なる対応だ。しかし日本の厳罰主義は、ドラッグの蔓延(まんえん)を世界最低水準に留(とど)めてきたとされている。それは本当だろうか?
ドラッグ対策の厳罰主義はアメリカではじまった。激しい麻薬戦争の攻防の末に、起きたことは反社会組織の勢力拡大と依存症患者の増加だった。実は、つい最近も日本で同様のことが起きている。そう、危険ドラッグの問題である。松本俊彦によれば、ひところ危険ドラッグが急速に普及した背景には、厳しすぎるドラッグの規制があるという。法の網の目をくぐるべく、次々と構造式の異なる、より危険性の高い薬物が開発されたのだ。
いま、依存症支援の最前線は、「ハームリダクション」である。これは「違法であるかどうかにかかわらず、精神作用性のあるドラッグについて、必ずしもその使用量は減ることがなくとも、その使用により生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策、プログラム、そして実践」を指す概念である。薬物を禁止するのではなく、付き合い方を変えるのである。
たとえばポルトガルでは、2001年にすべての薬物の所持と使用を非犯罪化した。この実験的政策は負の予測に反して成功を収め、HIV感染の減少、治療につながる薬物使用者の増加、10代の若者における薬物経験者の減少をもたらした。この例に象徴されるように、ハームリダクションには科学的な根拠があり、いまや多くの国がこの考え方に沿って薬物政策を転換しつつある。
「ダメ、ゼッタイ」の厳罰主義は、依存症患者を社会から排除し孤立させてしまう。ハームリダクションは、回復のための選択肢と依存先を増やし、コミュニティに依存症患者を包摂し、彼らとのつながりと関わりを維持することが依存症治療に有効であるという科学的根拠に基づいている。しかし、この思考が日本の社会に定着するためには、単なる政策転換では不十分だろう。まず私たち自身が、依存症患者に対する偏見と、排除の思想を脱却しなければならない。