道徳的非難、背景に社会の構図
本書は依存症の問題を、依存症当事者として、あるいは精神科医として、さらには人類史的な視座から立体的に描き出す、きわめて野心的かつ重厚な著作である。著者であるコロンビア大学臨床精神医学助教授のカール・エリック・フィッシャーは、依存症専門医にして生命倫理学者である。実はカールは、かつてアルコール依存症の当事者だった。アルコールへの耽溺によって日常的にも支障を来す状態となり、警察に保護されて精神科閉鎖病棟で入院治療を受けた経験もある。本書の記述は、歴史についての叙述の合間に、カール自身の依存症からの回復過程がさしはさまれるスタイルで飽きさせない。また、アメリカにおける依存症の歴史があまりにも波乱に富んでいて、不謹慎ながらこれがめっぽう面白い。
評者も精神科医ではあるが依存症は専門外であり、本書で初めて知った歴史的事実も多かった。たとえば18世紀のイギリスで貧困層の女性達を中心に猖獗をきわめたという「ジン・クレイズ(狂気のジン時代)」。現代のストロング系飲料の流行を思わせるジンの流行は最初期の薬物エピデミックの一つと目される。また同時期にアメリカではラム酒による常習的酩酊が社会問題となっていたが、医師のベンジャミン・ラッシュは、それが依存症という病気であるという画期的な説を提唱した。しかし1930年代まで、アルコール依存症に有効な治療法はなかった。この時期にようやく、現代まで続く自助グループである「アルコホーリクス・アノニマス(AA)」が誕生している。
このように人々を苦しめてきた依存症だが、その原因物質は、しばしば快楽目的で人工的に導入される。人類史における有害薬物のビッグスリーとされるアルコール、タバコ、カフェインが典型である。さらに依存物質がまん延する背景には、それによって利益を得る業界の後押しがある。近年アメリカにオピオイド・クライシスをもたらしたオキシコンチンは、依存症のリスクが判明した後も製薬会社が研究者を動員して宣伝活動を展開し、規制する法案を潰すロビー活動を行ったことで有罪判決を下されている。歴史は繰り返す、というよりも、これが依存症エピデミックの典型的な構図なのである。
今に至るまで依存症には道徳的堕落の印象がつきまとう。歴史的にもアメリカでは、薬物問題は下層階級や人種差別の問題と深く関連付けられてきた。「病気」という理解が普及してからもなお、白人の依存症は治療的に扱われ、黒人のそれは高い確率で犯罪として処遇される。ここに拍車を掛けたのが、連邦麻薬局の初代局長、ハリー・アンスリンガーが主導した厳罰主義である。厳罰主義の問題は、依存症当事者のスティグマを強化し孤立させることで、再発のリスクを高める点にあるとされている。それゆえ再発を繰り返す依存症者ともつながりを維持するようなハームリダクションの思想が、現在は主流になりつつある。このあたりの詳細については、監訳者である松本俊彦の著作『薬物依存症』(ちくま新書)や共著『ハームリダクションとは何か』(中外医学社)などを併せて読むことで、よりすっきりした見通しを持つことが可能になると考える。