書評

『仙人と妄想デートする: 看護の現象学と自由の哲学』(人文書院)

  • 2017/11/09
仙人と妄想デートする: 看護の現象学と自由の哲学 / 村上 靖彦
仙人と妄想デートする: 看護の現象学と自由の哲学
  • 著者:村上 靖彦
  • 出版社:人文書院
  • 装丁:単行本(241ページ)
  • 発売日:2016-05-10
  • ISBN-10:4409940090
  • ISBN-13:978-4409940099
内容紹介:
医療の世界には技術、法、倫理の制約がある。しかし、それら外からの規範とは別に、看護師や家族、患者の間には、個々の状況に応じた自発的な実践のプラットフォームがうまれ、病のなか、苦しみのなかで、かすかな創造性を獲得する。それは自由と楽しさの別名でもある。重度の精神病、ALS、人工中絶など存在の極限に向き合う看護師の語りの分析が、哲学に新たなステージを切りひらく。

現象学的手法で問う「治癒」とは何か

いっけん奇妙なタイトルの本書は、一人の哲学者が、さまざまなフィールドで活動する看護師や助産師らにインタビューを行い、そのありのままの語りを現象学的手法で検討し続けてきた記録である。

最も重要な着眼点の一つが「プラットフォーム」だ。現場の看護師は規則や人間関係といった無数の制約のもとにあって、対人関係の持ち方や実践のスタイルといった、「自由な実践の土台」を個別に作り出している。良質のプラットフォームは規範の下で看護師が楽しさや創造性を実現するうえでもきわめて重要なものである。

これは何も、看護師に限った話ではない。臨床家は多かれ少なかれ、自分自身のささやかなプラットフォームの上で、治療する自由を創造するのだ。著者はインタビューを通じて、こうしたプラットフォームが現場でいかに作られていくのかを現象学の手法で検討していく。

表題となった章では、ACT(包括型地域生活支援プログラム)チームの一員として働く看護師の語りが対象となる。ACTとは、重い統合失調症の患者が地域で生活することを支援する多職種チームで、訪問活動が中心である。

ACTの機能は「ホールディング」として理解される。包括的なケアによって、利用者が安心できる環境を提供することだ。しかし利用者は、ケアを受けとるだけの立場ではない。その中で行為の主体に変わっていく。例えばこの看護師は、訪問先の利用者と会うことを「妄想デート」と表現する。そして、利用者が差し出す謎のジュースを、おそるおそる口にする。こうした贈与こそは共同性を開くための供犠(くぎ)であり、贈与の瞬間には利用者が支援者をホールドしている。このような場を準備することもまた、ケアのひとつの形なのだ。

死産に立ち会った助産師の語りも印象的だ。産湯の中にいっとき浮かんだ赤ちゃんを見て、彼女は「生まれてきたぞ、そして亡くなったぞ」と表現する。このリアルな言葉をもたらした赤ちゃんの、想像上の「短い一生」は、果たして哲学者の時間論に居場所を持ちうるのか。そう著者は自問する。

著者の用いる現象学的手法とは、状況のリアリティに接近するための質的研究の方法である。看護の経験は、それ自体を客観的に対象化しうるようなものではない。常に個別的で一回性のものであり、擬態語などを駆使して語られるほかはない生動性なのである。それゆえ、単独ではありえない複数の事象間の布置と運動を可視化するべく、現象学的手法が要請されるのだ。

本書において一貫して問われるのは、看護とは――そして治癒とは――何かという問いかけであろう。著者自身が別の場所で批判的に述べているように、従来の現象学的精神病理学の対象は、あまりに「病理」に偏りすぎていた。その結果、病の成り立ちについてはきわめて精緻な理論が生み出されてきたが、「治癒」についての言葉はずっと貧しいままだった。

近年、ようやく臨床現場でも「レジリエンス」や「健康生成」といった概念が注目されつつある。著者は看護やケアにおける「自由と創造性・楽しむこと」を「素朴ではあるが乗り越えがたい価値」として肯定的にとらえようとする。臨床現場において、ケアを通じて、これらの価値がいかにして創造されうるのか。そうした問いかけのもとで著者が繰り返し立ち上げようとするのは、他の著作のタイトルにもなった『治癒の現象学』なのである。
仙人と妄想デートする: 看護の現象学と自由の哲学 / 村上 靖彦
仙人と妄想デートする: 看護の現象学と自由の哲学
  • 著者:村上 靖彦
  • 出版社:人文書院
  • 装丁:単行本(241ページ)
  • 発売日:2016-05-10
  • ISBN-10:4409940090
  • ISBN-13:978-4409940099
内容紹介:
医療の世界には技術、法、倫理の制約がある。しかし、それら外からの規範とは別に、看護師や家族、患者の間には、個々の状況に応じた自発的な実践のプラットフォームがうまれ、病のなか、苦しみのなかで、かすかな創造性を獲得する。それは自由と楽しさの別名でもある。重度の精神病、ALS、人工中絶など存在の極限に向き合う看護師の語りの分析が、哲学に新たなステージを切りひらく。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年8月21日

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