恋の手ほどき
小説の効用に、時の感覚を果実の成熟のように物語の中に閉じこめて捉えるという旨汁(うまじる)がある。就中(なかんずく)、出会いの経緯から、感情と思考が熟れて、やがて燃えあがり、燃えつきて終熄する。つまりきちんとけりがつくという意味で、恋愛小説が時の感覚をつかまえるにうってつけといえるかもしれない。フランソワーズ・サガンの四番目の小説『ブラームスはお好き』は、ポールという男みたいな名前の三十九歳の女の恋物語だ。有能で魅力的な女性だが、彼女を果実の中の虫のように蝕(むしば)んでいるのは、年を取るという意識だ。彼女には六年ごしのつきあいの、ロジェという四十過ぎの男がいる。眠るとき、ひと息にぐっすり眠ってしまうようなこの男との関係にやや倦怠を覚える隙に、シモンという美貌の青年が割り込んでくる。パリ中の女たちが振り返るほどの美しい青年に夢中で愛される、こんなことはもう二度とないだろう。ポールの気持がシモンに傾きはじめる頃、ロジェもメージーという軽薄な女優志願の女と浮気をはじめる。
ポールとロジェは週末はいつも田舎で過ごすことになっていた。それをロジェが破って、メージーを田舎に連れてゆく。一人ぼっちで過ごすポールに、シモンから音楽会への誘いの手紙が届く。「ブラームスはお好きですか?」
ポールとシモン、ロジェとメージーという新しい恋のカップルが成立して、やがてこの関係がふたつとも壊れて、結局ポールとロジェは古い馴染みの恋、より成熟し、より老いこんだ愛情の中へ還ってゆく。
粗筋だけなら変哲もないが、サガンの腕の冴えは時間のつかまえ方にある。僕らは、生きられたほんとうの意味での時間の経過を感得するとき、ある種の感動を味わう。言葉をかえれば、これこそが自己認識、経験の謂(いい)なのだが……。
この時間を小説の中で実現させるための最良の方法は、「繰り返し」と「二重化」だ。同じことを二度みたり、感じたり、味わったりする。しかも、それが最初とはどこか違っている。それによって登場人物も読者も、たしかに時間の流れたことを知る。
例えば、
①ポールはロジェの車に乗るとラジオのスイッチをひねるという長年の習慣があった。ポールとシモンは音楽会場でブラームスを聴く。さて、田舎道を走っているロジェの車のラジオのスイッチをメージーがひねる。と、会場から中継放送のブラームスが流れる。
②シモンの母はかつてロジェと愛人関係にあった。その息子のシモンがロジェの恋人ポールと愛人関係になる。
③はじめにポールとロジェの恋があり、それがポールとシモンの恋、ロジェとメージーの恋へと分岐し、再びポールとロジェの恋へともどる。最初のポール/ロジェからラストのポール/ロジェへの回帰。
ここに確実に、果実が熟れて、やがて自然に地面へと落下してゆくような時間が流れたことを、ポールとロジェは、そして読者も感得することができる。
かくの如き巧妙な二重化と繰り返しの使用は、この作品にはまだまだたくさんある。捜してみてはいかが?
僕はこの小説を十九歳の頃、読んだ。シモンを気取って、年上の女との恋の手ほどきを受けるつもりで。ロジェなんて目じゃなかった。今度読んで、ロジェという人物を発見した。この中年男の心理が身にしみる。
かくして僕はもう一度恋の手ほどきを受けたことになる。最初はシモンを通して、二度目はロジェを通して。ここにも繰り返しと二重化があり、僕の時間は確実に流れた。
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