書評

『落日燃ゆ』(新潮社)

  • 2022/10/27
落日燃ゆ / 城山 三郎
落日燃ゆ
  • 著者:城山 三郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(464ページ)
  • 発売日:1986-11-27
  • ISBN-10:4101133182
  • ISBN-13:978-4101133188
内容紹介:
東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。

淡々と死の道を歩んだ広田弘毅

東京裁判で東条英機ら七人がA級戦犯として死刑の判決をうけ、絞首刑となってから、すでに二十五年たった。このことは一般には戦争の暗い思い出とともに忘れ去られようとしているが、東京裁判のもった政治的性格を、現代史の流れの中に位置づけることはまだなされているとはいえない(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1973年)。

広田弘毅はその七人のうちのただ一人の文官だった。彼は外務官僚として外相や首相を歴任し、戦争遂行の政治的責任を問われて断罪された。占領軍は処刑者の遺骨の引き渡しを許可しなかったが、その一部はひそかに運び出され、七年後に遺族のもとへもどった。だが広田の遺族だけはその引き取りを拒み、顕彰碑の建立式にも参加しなかったという。「落日燃ゆ」はこの広田弘毅の七十年の生涯をまとめたドキュメンタリーな長編だが、城山三郎は、冒頭にこのようなエピソードを紹介することで、みずからのモチーフをもしめしているように思える。

広田は明治十一年二月に福岡市の石屋の長男として生まれたが、成績優秀だったため父の知人のすすめで中学に進んだ。彼が外交官を志したのは、三国干渉で日本外交の弱体ぶりを実感したときであった。彼は篤志家の援助を受けて一高、東大に学び、やがて外交官試験にパスして外務官吏となる。そして北京やロンドンの大・公使館に在勤の後、情報部次長、欧米局長を経てオランダ公使、駐ソ大使歴任、昭和八年の斎藤内閣およびつぎの岡田内閣の外相に就任、二・二六事件の直後には内閣を組織する。

こうした一見はなやかな経歴にも似ず、広田は平凡な背広のよく似合う地味な人柄で、外務省内部の派閥や栄達にもいっさい関係しなかった。しかし彼の誠実な人格と外交交渉にあたっての事務能力が買われ、国際政治の難局に直面するごとに出馬を要請されることになる。彼は軍部の暴走をおさえ、国際協調の実を得るためにきめ細かな努力をかさねるが、結局は尻ぬぐい役ばかりおしつけられる。そして彼が名を捨てて実をとるために行った政策のいくつかが、後に彼の戦争犯罪を実証する理由としてあげられ、みずからの首をしめることになるのだ。

東京裁判の過程において、広田はいっさい自己弁護や釈明をしようとせず、淡々として死への道を歩むが、そうした彼の態度が検事や裁判官に逆に大物視され、戦争という共同謀議の責任者とみなされる。そこにはナチス・ドイツの場合とことなる日本の特殊な事情――政府の主体性のなさが原因して、戦争の泥沼に落ちこんでしまった過程が、裁く側の国々に十分理解されなかったという問題があった。

広田と同様、社交界の雰囲気を好まなかった妻とその死、同期の吉田茂との対照的なコースなど、いかにもその性格をきわだたせる補助線の役割を果たしており、それらをふくめて、戦中世代の昭和史へのひとつの迫りかたをしめしている。
落日燃ゆ / 城山 三郎
落日燃ゆ
  • 著者:城山 三郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(464ページ)
  • 発売日:1986-11-27
  • ISBN-10:4101133182
  • ISBN-13:978-4101133188
内容紹介:
東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1973年3月8日

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