教育は「贈る」という営み
塾と学校とはなにがちがうのか──この古くて新しい問題に、さまざまな論者がさまざまなことを言ってきたが、私は以下のように考える。塾は、「顧客」の「志望校合格」というニーズに応えるだけの教育サービスを提供し、顧客はそれに対価を支払う。
塾と顧客は、価値や価格の等しいものをやりとりするという意味で、市場的な交換関係である。顧客は、自分の意思でいつでもやめることができ、塾は、顧客と契約した以外の教育サービスについてはきっぱりと断ることができる。
これに対して、学校は、「一人前の市民」の形成、成熟した「オトナ」の形成、知的な主体の形成という特別な役割をもっている。塾のような交換関係ではなく、市民社会などオトナの側からの要請によって、子どもたち全体に向かって教育が与えられる。
学校と子どもとの関係は、「無償で相手に与える」という意味で、「贈る」という関係に近い。子どもは、自分の意思で簡単に学校をやめることはできない。学校は、「これが学校の提供する贈りものです」と、その中身を契約のように明確に示すことは困難である。
教師は基本的に、自分がやっていることに対して、直接的な見返りを求めたりしない。例えば、教師は、「あの生徒には、これだけのことをしてあげたのに、裏切られた」といった言い方はあまりしない。教師として、生徒に精一杯の贈りものをしたら、その贈りものを生徒がどう受け取って、どう生きていくのかは、生徒自身の問題だと考えている。
それでは、教師の「贈る」という営みは、なにによって支えられているのか。
それは、「理想」によって、なのである。
教師の贈りものは、「理想的な人間を生み出す」「理想的な社会を生み出す」といった、どこか崇高な理想の実現のためなのだ。だから教師は、生徒が自分の贈りものをどう受け取っているのかわからなくても、ある程度は堪えていくことができる。
だが、逆に言えば、目の前にしている子どもたちがそうした理想とは程遠いと感じたときは、やる気を失って、そこから逃げ出したりすることもある。
このような理想は、学校の具体的な活動の中で、どのようにあらわれているのだろうか。理想のもち方とその変化について、私の経験した部活動を通して説明してみよう。
こんなハンドボール部にしたい!
私が経験した部活動は、ハンドボール部である。教師として赴任した一校目の学校で、まったくの初心者であった私は、生徒とともに、理想のハンドボール部に憧れた。「こんなハンドボールをめざしたい」「こんなハンドボール部にしたい」といった理想をもって、その実現のために努力した。部活動において、子どもや教師が理想をもつためには、なによりもまず、その部活動に必要な技術力を身につける必要がある。そして、技術力を身につけるにつれて、最初にもっていた理想が見直されて、新しい理想ができていく。この場合の技術力とは、ある教師の表現を借りていえば、「人間の身体と心を統治する力」である。それを具体的に、私が経験したハンドボールの場合で見てみよう。
●競技の技術そのものの獲得。ボールの投げ方、ジャンプシュートの仕方に始まり、フェイントやブロックや速攻のやり方などに進み、6対6でのセットプレーのやり方に発展させていく。
●自分自身の課題の発見。自分のポジションや特性を理解して、基礎体力をどのようにつけるか、自分の強みをどう生かすか、目的意識や練習の組み立てを明確にする。
●自分たちのチームや相手チームの分析。強みや弱みはどこにあるか、そのうえで、どんな戦略なら最も効果的であるかを考え、実践する。
●人間的な切磋琢磨。チームメートとして、部活動の仲間たちとの連帯を深める。ミーティング、個別の相談、絆を深める各種の企画、喧嘩(けんか)や助け合いを通じて人間を磨く。
こうして、最初、生徒にとって「ただの楽しいハンドボール部」だったものが、技術力がつくとともに「充実した強いハンドボール部」という理想が生まれ、その理想を追いかけるようになった。
これは、教育そのものである。
生徒がその部活動に理想をもって技術力を磨くことによって、最初にもっていた理想が見直され、新しい理想ができていく。ハンドボール部が、理想通りの部活動になっていくだけではない。同時に、子ども自身がそういう部活動にふさわしい「充実した強い部員」になっていく。
教師も同様である。最初は「ただ管理顧問をしているだけのハンドボール部」だったのが、理想を達成するための技術力を、教師も身につけていくと、教師もまたそれにふさわしい「充実した指導のできる顧問」になっていくのである。
部活動のこうした取り組みは、総合的で、持続的で、自発的で、ブレークスルー(飛躍的進歩)の契機に満ちている。
教科の学習が、部分的で、断片的で、受け身的で、ブレークスルーの少ないものであることに比べれば、部活動というものがいかに教育的であるかがよくわかることだろう。
部活動にのめりこんだ生徒は、そこで磨いた技術力を、教科の勉強やクラスでの取り組み、進路実現などに生かして、りっぱな生徒になっていく。
同様に、教師は、部活動で磨いた技術力を、教科指導、生活指導、クラス指導、進路指導などに生かして、りっぱな教師になっていく。
部活動で培(つちか)われるこうした技術力を、「総合的な技術力」と呼んでおこう。
部活動を支える教師の自発性
私は最初、ハンドボールの素人(しろうと)であった。私のような素人の「ただの管理顧問」が、どうして教育の「総合的な技術力」を身につけることができたのだろうか。私はその当時、素人で力不足だっただけではなく、教師として多趣味で一貫性がなかったので、しばしば部活動に出ない日が続いてしまった。そんな私に、当時の生徒や保護者が文句を言うことはあまりなく、私を温かく受け入れてくれた。
その理由を考えてみると、昔の生徒や保護者は、部活動が教師の自発性に支えられていることがわかっていたからではないだろうか。つまり、ほんとうは多少の文句はあったとしても、顧問の教師と無理な対立を起こして、その教師が「もうやれません」と言ってしまえばその部活動が廃部になることをわかっていたと思うのである。
実際に、この時代の学校の部活動の多くは、教師の「自発性」と「納得」によって支えられていたから、あるベテランの顧問が異動してしまった場合には、「強く充実した部活動」が「楽しく緩い部活動」に変質したり、廃部になったりすることは、今よりずっと多かったのである。
誰でも共存できる部活動
学校の部活動でもう一つ大切なのは、技術的には下手で「おみそ」(半人前)のような生徒を大切にすることだ。当時の私が指導したハンドボール部には、C君という、からだが小さくて運動が苦手で、気が小さくていじめられやすい生徒が所属していた。民間のスポーツクラブではあまり考えられないようなC君のような生徒が、じつは、学校の部活動ではとても大切である。
C君は、最初のうちはチームメートにいじめられたり、C君自身もめそめそ泣いたりと、さまざま問題が起きたが、当時のキャプテンを中心に、「C君をいじめる奴は絶対に許さない」という不文律が少しずつ浸透していった。C君も自分自身を鍛えて、チームメートの仲間になろうと努力した。
C君は、卒業まで競技の技術力は低いままだったが、部活動のチームメートとして、仲間として、周囲にいい影響を与えてくれたし、彼自身も大きく成長した。
当時の部活動は、クラスがそうであるように、「来る者は拒まない」「誰もがそこで共存する」という市民社会的な要素が強かったのである。
素人顧問では通用しない
かつてあったような部活動は、今は少なくなった。いわゆる「ブラック部活動」に変化してしまった。それはいったいなぜか。大きな問題として、部活動の技術力という点で、要求されるレベルが上がってしまったことがある。
昔の顧問教師たちは、素人で下手くそであっても、生徒や保護者から「先生」として丁重に扱ってもらえた。だから、教師はそれなりにいい気分になり、なんとかぎりぎり通用するレベルの技術力を身につけることができた。しかし、今はそうは行かない。
これまで学校が担になってきたスポーツや文化活動を、プロを頂点としたクラブチームが担うようになってきた。バドミントンや卓球など、昔なら中学校で始めたような競技でも、小学校の段階から、プロによる高いレベルの指導の下で競技を始める子どもが増えた。そうなると、半分素人のような顧問の技術力では通用しなくなる。
もう一つの問題は、社会の変化である。
今の生徒や保護者は、部活動を、学校の「商品」と捉えている。商品であるからには、少しでも良い商品のほうがいい。部活動の指導も商品にふさわしい中身であるべきで、指導が「優良商品」並みの品質を備えるならそれに越したことはないと考える傾向が強まっている。
そうなると、素人顧問の「素人の指導」が批判されるのはもちろんのこと、ある程度の技術力をつけた顧問の指導に対してさえ、「それはまちがっている」と批判してくるようになったのである。
部活動顧問はほぼ強制
部活動は、教師の自発性と納得によって維持されていたのに、今では、それが消えてしまった。それが最大の問題かもしれない。今の教師、とくに独身の若い教師は、全員が強制で「主顧問」に割り当てられる。当初は、教師が自発性と納得でやっていた部活動も、その教師が異動してしまえば、強制された教師が、不満だらけで無理強いされることになる。
この背景には、生徒や保護者の「消費者」という側面が拡大したという問題もある。
いまや生徒も保護者も、教育サービスを消費する存在である。学校にとって顧客なのだ。
部活動は、自発性に基づく時間外の活動というよりも、生徒や保護者という消費者が強く望む「商品」になってしまった。
そのため、管理職や教育委員会も、部活動を、昔のように簡単に廃部にできない。どれだけ無理を重ねても、顧問の教師を割り当てようとするのだ。
[書き手]喜入 克(きいれ・かつみ)
1963年、東京生まれ。立命館大学文学部卒。1988年から都立高校の教師となる。2012年~2018年まで、三つの都立高校で、副校長を務める。管理職として都立高校の改革を目指したが、うまくいかなかった。そのため、2019年から、管理職を辞めて、一教師に戻る。現在、東京23区内の都立高校の教務主任。教科は国語科。プロ教師の会(埼玉教育塾)の会員。