教師の本来の「顧客」は誰か?
ご存じのように、近年では教師が絶対的存在ではなくなった。教師はただの人、学校もたんなる公的機関に過ぎないという風潮から、教育現場は大きくスタンスを変えざるをえなくなった。「学校は従来のような聖域ではなく、先生も聖職者と見られている時代ではありません。子どもや保護者が大いに満足できるように、サービス業としての視点も大事にしてください。揉めごとがないように、十分に気を配ってください」
実際にある校長が教職員に言っていた言葉である。子どもや保護者を大切にするという考えに、異を唱える気は毛頭ない。
サービス業──。
少し前から学校でよく耳にするようになった言葉だ。ただ、どうしても引っかかるのは私だけだろうか。
サービス業の根幹は「顧客の満足度を最優先に考えるという姿勢」である。デパートであれば顧客が必要とする品物を全力でそろえ、ホテルであれば顧客の要望を可能なかぎりかなえようと奮闘する。
「ここまでやってくれるのか……」
相手にそう感じさせたら勝ちだ。サービス業に従事する者であれば、サービスの質で相手を唸らせることをモットーにしなければならない。学校に当てはめると、
「こんな無理なことをお願いしたのに、先生も学校もみごとに対応してくれた」
保護者にそんなふうに感謝されることが必要だということになる。だが本当に、それでいいのだろうか。
以前、「奇跡の学校作り」として有名な荒瀬克己先生にインタビューしたことがある。
それまで年に六人程度だった国公立大学の現役合格者数を、たった六年で二十倍の百二十人に急増させた京都市立堀川高等学校の校長として、当時名を馳せた人物だ。
「私たちは普通のサービス業ではなく、ちょっと変わったサービス業に就いています。普通のサービス業の場合は相手の望むものすべてを提供するわけですが、私たちは生徒が望んでも提供しない場合があります。反対に、彼らが望まなくても提供する場合もあるのです。彼らが将来困らないかどうかというのが、提供するか否かの基準です。顧客は十年後の彼ら。つまり、未来の彼らからの要望にもとづいてやっているというわけです」
これならわかる。学校とは子どもたちが社会に出るための準備をする場所だと考えると、顧客は「目の前の生徒」ではなく、「未来の彼ら」というわけだ。
ただ、現実としては学校においてサービス業という言葉は、「顧客、つまり子どもや保護者の望むことを極力実現させるべきだ」というニュアンスで使われている。そこにはたして教育的な意図や戦略があるのか、大いに危惧されるところなのだ。
保護者のニーズ間で板挟みに
サービス業へと舵を切った現在の学校においては、特に保護者の要望については「なるべく実現させる方向」で考えなければならない。時に矛盾した要望がきたとしても、どちらも立てるかたちで進めなければ角が立つのだ。
ある同僚教師がこぼしていた。
「この前、学級懇談会があったんです。ある保護者からは、宿題が少ないからもっと量を増やしてほしいと言われました。『わかりました』と答えると、別の保護者から反対の要望が出されたのです。受験で忙しくなるから、なるべく宿題は減らしてほしいって。それについても承知しました。ところが他の保護者からは、いったいどっちなのかはっきりさせてほしい、ときたんです」
それはそうだろう。この回答では完全に矛盾が生じる。彼はそんなことをわかってはいても、とりあえず承る姿勢を示すしかなかった。
「無駄な宿題はなくす方向で、ただどうしても必要な内容は宿題として出していきます」
折衷案になっているとは思えないが、とりあえずそんな内容の対応でしのいだと言っていた。
教師だって人間だ。そして教育のプロだ。
本当はこう言いたい。
「義務教育の内容は、保護者の要望に左右されるべきものではありません。必要だから宿題を出しているのです。それに対して、多いだの少ないだの言っていいはずはありません。あくまでも、担任である私の判断で決めるべきものです」
しかし実際には、そんなことを言えるはずはなく、もし言ったとしたら大変な騒動が待ち受けている。懇談会後の噂話になるのは必至で、校長のところに直接クレームが行く可能性も高い。どちらにしても、大きなリスクがあるのだ。
だから、教師としては一方的に保護者の要望を退けることはせず、とりあえず話を聞き、可能なかぎり善処する姿勢を見せるのだ。そうすれば、
「あの先生、聞く耳すらないわよね」
という全否定だけは免れることはできる。
「まあイマイチな答えだけど、様子を見るしかないわよね」
この程度で収まるなら、御の字である。教師としては悪い噂が立ち、それがクラスの保護者のあいだで拡散することだけは避けたいのである。
学校には、未来の教師を目指す教育実習生や学生ボランティアがやってくることも多い。学生ボランティアのある女子学生が言っていた。
「今の先生方は、そこまで気を使っていらっしゃるんですね。これまで教職を目指してきましたが、何か自信がなくなりました」
文部科学省の調査によると、令和元年(二〇二〇年)度小学校教員の採用試験の倍率は、二・八倍と過去最低になったという。もっとも高かった平成十二年(二〇〇〇年)度の十二・五倍の五分の一ほどというから、その低調ぶりには驚くばかりだ。もっとも、現在保護者や社会から求められる教師像を考えたとき、その不人気ぶりにも納得がいく。
「わが子は教員にだけはさせたくない」
多くの同僚が口をそろえる言葉である。
[書き手]齋藤 浩(さいとう・ひろし)
1963(昭和38)年、東京都生まれ。横浜国立大学教育学部初等国語科卒業。佛教大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)。現在、神奈川県内公立小学校教諭。日本国語教育学会、日本生涯教育学会会員。