後書き
『Piano man ピアニスト大井健 フォトブック』(集英社)
ピアノの貴公子、大井健。注目のピアニストが語る音楽の魅力と魔力
ピアニストという生業がある。コンサートホールでのステージに上がれば、もうそこに自分以外の場をマネージメントするものは存在せず、あるのは真新しいコンサートグランドピアノだけである。
究極の自己責任。そこには言葉で言い尽くせぬプレッシャーと、カタルシスと、恍惚がある。
コンサートにスケープゴートは存在せず、あるのは自分の指先から紡がれる音たちのみ。たとえ自分の演奏に満足しても、聴衆と意見が一致するとは限らない。
答えのない歩みの軌跡。究極の孤独と究極の共感。それがピアニストという職業である。
ウラディーミル・ホロヴィッツは晩年、来日した際に「ひび割れた骨董品」と評された。過去の栄光が一夜で覆る、その儚さ。
グレン・グールドは、そのプレッシャーと見世物小屋的性格に疑問を呈し、コンサート・ドロップアウトを宣言。五〇年の生涯の実に半分もの時間をスタジオで過ごし、コンサートの現場に戻ることはなかった。
スヴャトスラフ・リヒテルはその人生の幕を下ろすまでステージに立ち続けた。肌身離さず持ち歩いた手帳には、足りない練習時間が細かく記載されていたという。
ピアノの魔力に魅せられたあまたの猛者たち。ダビデのように引き締まったテクニック、セイレーンのように怪しげな魅力に満ちた表現力。
彼らが人生を削り、曲に恋焦がれ、自身のすべてを捧げる演奏の数々。それがレコードであり、CDであり、昨今のYouTubeに散らばる動画であり、Spotifyでリコメンドされるナンバーである。
そんな音の宝石を、少しでも拾い上げたい。その思いから七〇曲を取り出し、語ったものが第二章である。
僕が小学生時代から聴き続けたCDは一万枚を超える。紙幅が許せば永遠に語り続けることができる。
音楽の宝石商になりきり、逸品を紹介する時間はとても楽しかった。
このリコメンドという作業には多分に僕の趣向が反映されている。好きな演奏を選ぶ行為そのものが、主観を排することが不可能だからである。
あるひとはまるで自身の生き写しのような演奏に感銘を受け、あるひとは拒絶反応を示す。
それこそが音楽を愉しむ醍醐味だ。
あなたにとって、とっておきの演奏との出合いがありますように。
ピアノの道を進むものにとって、レッスンは自分を映す鏡である。
鑑としてのレッスンを、ピアノを習う我々は常に受けてきた。芸術に優劣はないのだから、レッスンの中身も千差万別であるだろう。
今回、僕が語った三曲は、ひとつの解釈として参考になれば嬉しい。あなたと曲との幸せな関係を邪魔するつもりはまったくない。
一人のピアニストの思考回路を垣間見る、そんなエピソードのひとつとして読んでいただければ幸いである。
[書き手]大井 健(ピアニスト)
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