前書き
『名画の中で働く人々 ───「仕事」で学ぶ西洋史』(集英社)
仕事は天からの授かりもの? 予定外の「仕事」についた三船敏郎
日本を代表する映画スター三船敏郎は、遅れてスタジオ入りしたことは一度もなく、また撮影前に台せりふ詞は全て完璧に暗記していたことで知られる。それを「根性がある」と評されたことに対して、三船曰(いわ)く、「わたし自身は根性には程遠いものだと思っている。/根性でなければなになのか。職業意識である。(中略)わたしはひょんなことから役者の世界へ飛び込んだ。人間は自分に与えられた職業を通じて世の中のために少しでも尽くさなければならない。それが人間の義務である」(小林淳著『三船敏郎の映画史』アルファベータブックスより)。三船はもともと俳優になりたかったわけではなく、撮影助手を目指して映画会社の入社試験を受けた。あいにくカメラマンになること叶(かな)わず、その代わり強烈なキャラクターに着目されて俳優として(補欠で)採用される。「ひょんなことから」というのがそれだ。戦後の就職難の時代である。復員兵だった彼はそれを自分に「与えられた」職業と受けとめ、いったん就(つ)いたからにはその職業によって「世の中のために」尽くすことが「人間の義務」と信じ、それを「職業意識」と呼んだのだ。
見習うべき美しい職業観ではないか。単に運がよかっただけ、と考える人もいるかもしれないが、与えられた場所で大輪の花を咲かせるまでには血のにじむような努力と克己(こっき)心(しん)が必要だったろう。その上で、仕事が人生そのものと思える生き方ができたのは、実に幸せなことと言わざるを得ない。
改めて、「職業」とは何か?
一般にそれは「生活を支える手段としての仕事」(『新明解国語辞典 第八版』)を指す。周知のとおり、世界には無限といえるほどの職種がある。どんな時代にも決してなくならない仕事もあれば、時とともに消えたり、蘇(よみがえ)ったり、あるいは過去には想像もできなかった新しい仕事が次々に生まれたりもする(農民が人口の大部分を占めていた時代、パイロットやSE、ユーチューバーについて説明するのは至難の業(わざ)だろう)。
皆が皆、天職に出会えるわけではなく、時代や境遇によっては選択の余地なく過酷な労働に追い立てられ命をすり減らした人々が多くいたことは、歴史が語っている。同じ職業であっても、それを生き甲斐(がい)にできる者とそれから逃れたがる者がいる。もちろん女性の職種は今に至るも男性のそれに比べて限られているし、十歳以下の子どもが普通に重労働させられていた酷(ひど)い時代もあった。生涯、働かずにすむ貴族は少なからず鬱(うつ)を患ったという事実も、人生における仕事の意味を示唆(しさ)するものだ。
そうした職業にまつわるもろもろの状況を、はるか昔から画家は意図的、ないし無意識に、描き続けてきた。労働をテーマにした風俗画、その人の職業を強調する肖像画、また歴史画(神話画や聖書画も含む)に登場する、さまざまな仕事に従事する人々……本書はそれら事例を見てゆきながら、絵画に塗り込められた当時の人々の心に少しでも触れることができればと願っている。また時代や地域独自の職業についても興味をもっていただければ嬉(うれ)しい。
どうぞ楽しんでいただけますよう。
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