書評
『お尻とその穴の文化史』(作品社)
「裏口」にむけた健やかならざる執着
なんとも皮肉な造作と言うしかないが、私たちは自分にとって決定的に大事なところが、自分では見えない仕組みになっている。「私」の看板ともいうべき顔がまずそうだ。次に、目や耳や鼻や口といった開口部。外界や異物についての感覚はほとんどがここで起こる。とはいえそれらは鏡で見ることができる。が、それすらおぼつかなく、しかもわずかでも滞りや傷があると神経がぜんぶそこに集中してしまうのが、肛門(こうもん)だ。「お通じ」の場所として命の根幹にかかわりながら視野から決定的に外されている部位だからこそ、はたまた排泄(はいせつ)をつかさどるはしたない部位とされてきたからこそ、想像力がついそこに向けて、むずむずうごめきだす「私」の穴。そう、私の意識がひきつるところ。『お尻とその穴の文化史』と銘打たれたこの本、原題は、もう少し思わせぶりに「後ろの歴史」である。後ろとは、臀部(でんぶ)、なかでもアヌスという裏口のことだ。
ひとの裏口に起こる「問題」大全ともいうべき本書には、便秘や下痢、痔(じ)や裂肛といった、日々私たちが苦しんでいることがらとその治療法について、ポリープや癌(がん)の検査法について、詳しく書いてある。が、やはり気になるのは裏口への私たちの健やかならざる執着の歴史であり、そこへと向けられた奇矯な行為の事例群だ。
性器としてのアヌス(ソドミー)、糞便(ふんべん)愛(スカトロジー)、苦痛と快楽の敷居が見えなくなる尻叩(たた)き(スパンキング)、そして串刺しの刑。性愛と処罰というものの密(ひそ)やかな「お通じ」についてのむずがゆいまでの記述のあいだに、ロートレックが浜辺で排便している決定的瞬間の写真や、野原でスカートをめくってお尻をさらす少女たちのポストカード、お尻を描いた泰西名画のたぐいが、たっぷりはさまっている。
穴を見るとひとはなぜ物を(「もの」を、と書くべきか)突っ込みたくなるのか。事例はいっぱい紹介されているが、その謎は、しかし、まだ解かれていない。
朝日新聞 2003年10月19日
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