書評

『フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/07/14
フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術― / ケンダル・ウォルトン
フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術―
  • 著者:ケンダル・ウォルトン
  • 翻訳:田村 均
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(514ページ)
  • 発売日:2016-05-30
  • ISBN-10:4815808376
  • ISBN-13:978-4815808372
内容紹介:
ホラー映画を観れば恐怖を覚え、小説を読めば主人公に共感する――しかし、そもそも私たちはなぜ虚構にすぎないものに感情を動かされるのか。絵画、文学、演劇、映画などの芸術作品から日常生活まで、虚構世界が私たちを魅了し、想像や行動を促す原理をトータルに解明するフィクション論の金字塔、待望の邦訳。

現代の美学・芸術哲学を代表する著作
表象/フィクションの問題圏をめぐる活発な論議の呼び水になることを期待

本書は英語圏における現代の美学・芸術哲学――いわゆる分析美学――を代表する著作の一つである。それが明快な訳文を通じて日本語に移植されたことは、我が国の美学研究者にとって朗報であるだけでなく、文学や美術をめぐる原理的な考察に関心を寄せる一般読者層にとってもよい刺激になるにちがいない。とはいえ、「分析美学」の知名度はまだ低く、「美学」という呼び名自体、学問分野の名称としてどこまで定着しているかは覚束ない。

一般に、学問としての美学の課題とされるのは、美や芸術とは何かという基本定義の解明であり、それぞれの持つ価値の究明である。嚙み砕いて言えば、子供の落書きとピカソの絵の違いが分からないとぼやく人が問題としているのは、そもそも芸術とは何なのかという基本理解であり、芸術が持つとされる特有の価値である。こうした定義や価値への問いは分析美学にとっても重要な検討課題である。しかし、分析美学に特徴的なのは、定義や価値の問題に先立つ存在論的・記号論的な考察への強いこだわりである。例えば絵とは何なのか。それは特定の物体(例えば絵の具を施された特定のキャンバス)と同一なのか、むしろいくつでも複製可能な線や色彩の配列パターンなのか。また、絵の経年変化は、同一の絵の変化なのか、むしろ作品の入れ替わりを意味するのか。さらに、絵が何かを描き出すという働きは、言葉が何かを意味するという働きとどのような点で類似し、また異なるのか。等々。

本書においても、主たる問題関心は、美や芸術の定義や価値というより、むしろ芸術作品と称される事物が担う多様な記号作用に向けられている。そして、これらの問題群と取り組む際にウォルトンの準拠枠となるのが、「表象(representation)」の概念である。ここにいう「表象」とは、心の中のイメージの類ではなく、絵や小説や映画などの作品群を指す。例えば具象絵画は色や線によって目に見える事物の姿を描写・再現し、小説は一連の出来事を言葉で描き出し、映画や演劇は俳優やナレーターの語りと各種の視覚効果とを通じて様々な出来事を描き出す。ウォルトンの解する「表象」とはこれらの描写・再現の働きの総称であり、またその担い手となる事物の総称である(本訳書では、後者の用例は一貫して「表象体」と訳されている)。この概念の周縁部は多分に曖昧である(例えば、抽象絵画は表象的といえるのかどうか、音楽はどこまで表象的でありうるか、等々)。しかし、そのことは承知の上で、まずは典型的な事例群を念頭に「表象」の最も核心的な意味を特徴づけようというのが本書の狙いである(ちなみに、本訳書の表題にある「フィクション」は、ウォルトンにおいては上記の「表象体」とほぼ互換的である)。

本書のテーマを限定する一語が「表象」だとすれば、ウォルトンの回答の方向性を記す一語は「ごっこ遊び(make-believe)」である。ウォルトンによれば、われわれが絵画や文学作品や劇作品と接する際の経験の構造は、子どもがごっこ遊びの中で持つ経験と同型である。例えば、人形を抱えてごっこ遊びに従事している子どもは、現実に人形を抱えていると同時に、その経験があたかも例えば赤ん坊をあやすという経験であるかのように想像しているが、それと同じように、『金閣寺』の読者は、三島が書いた「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。……」という文章を読みつつ、その現実の経験があたかも架空の僧侶の手記を読む経験であるかのような想像に従事している。また、《モナリザ》を見る人は、一枚の板の表面の絵の具の配列を見ていながら、その経験があたかも微笑む女性の姿を見る経験であるかのように想像している。表象概念の核心はこの種のごっこ遊び的な想像にあるというのがウォルトンの最も基本的な論点である。

本書では、この着想が四部構成の議論を通じて多様に展開される。第一部は「表象」と関連する諸概念の意味に関する理論的究明である。表象(あるいはフィクション)とは何かという原理的な問いへの回答を知りたい向きは第一部を参照すればよい。第二部では、表象作品を受容する経験の構造について詳細な分析が展開される。実在しないと分かっている作中人物の命運になぜ本気で一喜一憂できるのかといういわゆる「フィクションのパラドックス」もここで扱われる。第三部では、表象の形を視覚的と言語的とに区分した上で、それぞれの表象作用について各論的な分析が行われる。それは絵と言葉の違いと共通性の解明と言い換えてもよい。第四部は意味論的考察であり、特に架空のキャラクターの名前を用いることの意味や、それを含む主張の意味分析が展開される。そこではごっこ遊びの概念に依拠しながら、〈虚構内での発言や虚構の内容に関する発言には、どこか偽装の気配が漂う〉という常識の意味が丁寧に敷衍される。

冒頭でも触れたが、本書の訳文は全般に明快であり、訳語の選択も慎重に行われている(ただし「表象体」という訳語については、本書に限定すれば問題ないものの、一般的な学術用語として定着させることには抵抗が残る)。巻末には簡にして要を得た解説も添えられており、読者がこの大部の著作に取り組む際の羅針盤として好適である。本訳書が表象/フィクションの問題圏をめぐる活発な論議の呼び水となることを期待したい。

[書き手]清塚邦彦(山形大学教授)
フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術― / ケンダル・ウォルトン
フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術―
  • 著者:ケンダル・ウォルトン
  • 翻訳:田村 均
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(514ページ)
  • 発売日:2016-05-30
  • ISBN-10:4815808376
  • ISBN-13:978-4815808372
内容紹介:
ホラー映画を観れば恐怖を覚え、小説を読めば主人公に共感する――しかし、そもそも私たちはなぜ虚構にすぎないものに感情を動かされるのか。絵画、文学、演劇、映画などの芸術作品から日常生活まで、虚構世界が私たちを魅了し、想像や行動を促す原理をトータルに解明するフィクション論の金字塔、待望の邦訳。

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図書新聞 2016年12月3日

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