本文抜粋

『酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで』(原書房)

  • 2021/08/19
酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで / ブノワ・フランクバルム
酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで
  • 著者:ブノワ・フランクバルム
  • 翻訳:神田 順子,村上 尚子,田辺 希久子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(208ページ)
  • 発売日:2021-07-31
  • ISBN-10:4562059370
  • ISBN-13:978-4562059379
内容紹介:
酒にまつわる愉快で意外なエピソード満載の本。酒と歴史が好きな人にとって興味がつきないが、下戸でも楽しい蘊蓄本となっている。
歴史の背後に酔っぱらいあり。イングランド王位継承戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命などの歴史的大事件、リンカン、ビスマルク、スターリン、ニクソンなどの時代を握る重要人物たちも、酒にまつわる逸話にあふれている。愉快で意外なエピソードを満載した書籍『酔っぱらいが変えた世界史』より、第1章を特別公開します。

猿に突然変異が起きた日、酒飲みが生まれた

かぐわしい腐敗臭に惹かれて、一頭の雌ザルがアカシアの木から降りてくる。根もとには茶色く変色し、熟れてじゅくじゅくになった果実が落ちていて、そのまわりをハエやブヨが飛びかっている。雌ザルは巨体で怠け者だが、こうなればいたしかたない。乾季で落葉したアカシアの、樹上のお気に入りの枝から降りてこざるをえない。下まで来ると腐った果実を手づかみして、がぶりと食いつく。そのとたん、全身に心地よいけだるさが広がる。もはやアカシアの木に戻ることはないだろう。まさにこのとき、果実酒が発明されたのだ。

アルコールの摂取はヒトの進化を加速させた可能性がある。アルコールを摂取することで、1000万年前にまずはわたしたちの祖先に遺伝子変異が起こり、その後の人類とその社会の発展に大きな影響をあたえることになった。先の雌ザルと同じようにアフリカにいたわたしたちのご先祖は、大幅な遺伝子変異のおかげで、アルコールにふくまれるエタノールをより速く分解(代謝)できるようになる。エタノールは果実にふくまれる糖分が酵母によって変化したもので、このプロセスを発酵とよぶ。

以上の遺伝子変異説のもとになったのは、科学史上の最高傑作ともいうべき名称をもつ学説、「酔っぱらいのサル仮説」だ。2004年、生理学・バイオメカニクスを専門とするカリフォルニア大学バークレー校のロバート・ダドリー博士が提唱し、2014年に著書としてまとめられている。

父親をアルコール依存症でなくしたダドリーは、人を破滅させるアルコールの魅力とはなにかをずっと考えつづけてきた。生物学者としてパナマの森林地帯で研究を行なっているとき、サルが微量のアルコールをふくむ熟した果実を食べるのを目撃し、天才的なアイディアを思いつく。

進化とは、長い歳月にわたる二日酔いのようなものではないか、という考えだ。アルコール依存症の患者が酒ビンに手を伸ばしてしまうのは、エタノールを同化する能力が役に立った歴史があるからではないか。だがヒトがアルコール度数の高い酒を生産できるようになると、同化能力はかならずしもプラスばかりではなくなった。

だから酒を飲む人間が悪いんじゃない。人間の遺伝子はお酒を好むようプログラムされているのだ。ロバート・ダドリーは、わたしたちを罪悪感から解放してくれたわけだ!

ダドリーの理論によると、わたしたちの祖先は熟した果実に自然にふくまれるエタノールの匂いと味を関連づけることを学習し、進化上の優位性を得たという。一般的に植物の組織にはグルコース、フルクトース、サッカロースなど、発酵によってエタノールを生み出す糖分がたっぷりふくまれている。ほったらかしにされたかわいそうなニンジンでさえ、アルコールを生じるのだ。

果実にふくまれるエタノールは重要なカロリー源で、しかも強い腐敗臭があるから霊長類にとっても探し出しやすい。こうした魅力があるから、人間はアルコールに惹かれ、乱用してしまうのだろう。

大切なことだからもう一度言おう。アルコールはとても旨い。わたしたちの種は、遺伝的に「足をふらつかせる飲料」に引きよせられる傾向があるらしいのだ。ダドリーによると、わたしたちの祖先は早くからアルコールが精神におよぼす影響、すなわち冒険心を高める効果に気づいていた。

エタノールはほかにも利点がある。果実が細菌で汚染されるのを防ぎ、食欲増進にもなる。そう、食前酒のように。さらに消化を助け、体内に脂肪をたくわえる働きもある。
 

アルコールから離れられない人類

とはいえ、発酵した果物を食べる動物はほかにもたくさんいたのに、なぜホモ・ノンベエラスだけが先頭を切ってアルコールを摂取するようになったのだろうか。それは長い歴史の過程でエタノールにふれつづけてきたため、相当な量の飲酒への耐性ができたからなのだ。

ただし、大陸ごとにアルコールの効果は同じではない。研究によれば、中国人・台湾人・日本人・韓国人はほかの民族に比べてアルコール代謝酵素の活性が低いことがわかっている。その結果、気の毒にもこの人たちは酒に弱い。ちなみにラオスの伝説では、タマリンドの木の根もとで酔っぱらっているサルを見て、アルコールが発明されたことになっている。

動物にも同じ不平等がみられる。マレーシアに住むネズミほどの大きさの小型哺乳類、ハネオツパイは、3.8パーセントものアルコールをふくむ、発酵したヤシの美酒を摂取する。これは人間でいえば、毎夜グラス9杯分のワインを飲んでいることになる。それでもこの動物を専門とする研究者によれば、体にアルコールの影響はみられないという。逆にイギリスのクロウタドリは、胃のなかに発酵した木の実がある状態で死んでいることがある。原因はアルコール中毒ではなく、酩酊状態で事故にあい、命を落としたとみられる。

それだけではない。わたしたちと同じように、虫も絶望に駆られるとアルコールに頼るらしい。2012年に学術誌「サイエンス」に発表された研究では、交尾できなかったオスのハエの前に、アルコールの入った餌と入っていない餌を置くと、交尾に失敗したハエはメスを獲得したハエに比べ、「アルコール入り」にまっすぐ向かう傾向があったという……

サルに話を戻そう。ダドリーと同じ分野の研究者のなかには、人間にはなにを食べるべきかを教える、栄養学的知恵が生得的にそなわっているという説を否定する人もいる。それによると栄養や健康とは関係なく、人間はたんに気分を変えてくれる物質を好むという。

人間はミツバチも好物だ。ミツバチになんの関係があるのかって? 蜂蜜酒でも飲みながら、耳をかっぽじって聞いてほしい。ミツバチがいなければ、ヒトの先祖は腐った果実以外のものから、エタノールを定期的に摂取することはできなかっただろう。養蜂の世界的権威である故ロジャー・モースは、愛しのミツバチが世界初の酒をもたらしたことを立証した。木の幹にあいた穴に蜂蜜と蜜蝋がたまり、そこに雨水が流れこんで、人類初の醸造所が生まれた。70パーセントの水で希釈された蜂蜜は、酵母によって発酵を開始。おいしい蜂蜜酒ができあがった。そして類人猿が魅力的な香りに誘われてこの酒を味見して仲間にも知らせ、やがて初期の酒へと発展していったのだ。

2014四年にロバート・ダドリーの学説を裏づけたのが、遺伝学者マシュー・キャリガンだった。約1000万年前に起きた突然変異により、わたしたちの祖先のエタノール代謝能力が格段に向上したことが証明されたのだ。キャリガンによると、この突然変異でエタノールの代謝能力は40倍にも達したという。

こうして人間は、お酒の力で進化を全うできるようになった! この偉大な代謝能力がなければ、ホモ・ノンベエラスは酔った勢いで木から転がり墜ちたり、肉食動物がひそむ場所で泥のように眠ったりしていたおそれがある。つまり、ほかの「霊長類」が小石で木の実を割っているあいだに、ホモ・ノンベエラスは運命を切り開き、1000万年ほどのちには酒を生み出すにいたったのだ。

最後に、人類が酒に出あうまでの道のりに関連する、もう一つの説を紹介しよう。わたしたちのもっとも有名なご先祖が、300万年前に不慮の転落事故で死亡したらしい、という説だ。

人類学者ジョン・カッペルマンによると、アウストラロピテクスのルーシーは、捕食者からのがれようと身を隠したエチオピアの地の樹上から、転落死した可能性があるという。そして足、股関節、肋骨、肩、下顎、内臓を損傷した。落下距離は12メートル、落下速度はおよそ時速60キロと推定され、致命的な転落だ。足から落下したらしく、膝のけがから、着地したあと体が右にねじれたようだ。

ルーシーは冒頭に紹介した雌ザルのように、発酵した果実の魅力に負けたんだ、ばかだな、とは言わない……それにしても、である。カッペルマンによる転落の記述によると、ルーシーは最後の瞬間まで意識があり、腕を使って転落の衝撃をやわらげようとしたらしい。

キリストは、姦通の罪に問われた女を石打ちで殺そうと集まった人たちに、「罪を犯したことのない者が一番に石を投げるとよい」と言った。キリストにならい、「酩酊してぶざまに転び、起き上がろうとしたことのない者だけがルーシーをばかにするがよい」と言っておこう。

ついでにもう一つ、状況証拠をあげておくと、いちごのリキュール15ミリリットルと桃のお酒20ミリリットルでつくるおいしいウォッカ・カクテルは「ルーシー・ラブ」とよばれているが、これはわれらがルーシーが酔っぱらっていた証拠ではないだろうか。

[書き手]ブノワ・フランクバルム(ジャーナリスト)
酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで / ブノワ・フランクバルム
酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで
  • 著者:ブノワ・フランクバルム
  • 翻訳:神田 順子,村上 尚子,田辺 希久子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(208ページ)
  • 発売日:2021-07-31
  • ISBN-10:4562059370
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