言葉の奥から聞こえる声
野坂悦子
今回、私が訳した『どんぐり喰い』は、スペインのアンダルシアが舞台です。貧富の差も極端なら、暑さと寒さの差も極端なその地方で暮らす、貧しい少年クロの労働と成長の日々を描いています。オランダ人の作家エルス・ペルフロムが、スペイン人の夫の少年時代をオランダ語で書き起こした物語であり、エピソードはすべて本当にあったできごと。スペインとはあまり縁のない私がこの本を訳してよいものか、迷う部分もありました。でもクロの生きた時代、スペイン内戦がフランコの勝利に終わってまもなくのアンダルシアに行くことは、誰にもできません。だったら私がその世界を日本語で創るほかないと、腹をくくりました。とはいえ翻訳を始めると、自分は昔からアンダルシアを少し知っていたことに気がつきました――フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩を通して。スペイン内戦が始まった1936年、フランコ将軍率いる反乱軍は、民衆に深く愛されたこの詩人を処刑しました。『どんぐり喰い』でも、老人が16歳のクロに、ロルカが殺されたのはあのあたりだ、と教える場面があります。そこまで訳したとき、「セレナータ」という詩の中の「枝々が愛のため死ぬ」(※)という一節が、突然、記憶の奥からよみがえってきたのです。大学時代、天本英世氏によるスペイン語の詩の朗読を聞いたときの印象も。日本語で詩を読んでも、ロルカの本質には触れられないのではないか……そう感じたことまで思い出しました。
今回の『どんぐり喰い』の訳もそんなものではないか? アンダルシアの日々をまずオランダ語で描写し、それを日本語に訳すとき、はたして本質的なものがどこまで残るのか? 堂々めぐりの疑問を抱えながら、私は日本語によるロルカの詩の朗読を、久しぶりにユーチューブで聞いてみました。「これはやっぱり違う」と、最初は腕組みしていたのですが、目の前に広がる言葉の海のなか……ロルカの声がかすかに響きはじめたのです!
言語の境を越えて、『どんぐり喰い』には、アンダルシアに生きる人たちの魂がまちがいなく息づいています。ページを開けばきっと、クロの陽気な語りや、ロマの人たちの歌や音楽が聞こえてくるでしょう。そしてそのさらに奥で、時代も場所も越える人間の笑いや怒り、叫びが響いているはずです。
(※)『ロルカ詩集』長谷川四郎訳(みすず書房)より引用
[書き手]野坂悦子
1959年、東京に生まれる。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。1985年から5年間、フランス・オランダに暮らす。現在、オランダ語の子どもの本の翻訳やオランダ文化の紹介を中心に活躍。訳書に『おじいちゃん わすれないよ』(金の星社、第50回産経児童出版文化賞大賞)、『ミスターオレンジ』(朔北社)、『おいで、アラスカ!』(フレーベル館)、『第八森の子どもたち』『ばらいろのかさ』『ちいさなかいじゅうモッタ』(福音館書店)など多数。創作した絵本に『ようこそロイドホテルへ』(玉川大学出版部)、紙芝居に『やさしいまものバッパー』(童心社)などがある。