生きのびたアンネ・フランク
町で、空襲下を赤ン坊を背負って逃げまどった体験談に感銘したあと、同じ老婦人の口から「でもせっかくご先祖様が苦労して手に入れた台湾や朝鮮を返してしまうなんて」などと聞いてガク然とすることがある。日本人は戦争で何を学んだのか。反戦平和一色の夏がかげり、ようやくこの『エヴァの時代ーアウシュヴィッツを生きた少女』(エヴァ・シュロッス著、吉田寿美訳、新宿書房)を読む気になった。一一〇〇万人を殺害したナチ。そのビルケナウ女子収容所からの生還の記録である本書は、書評を拒む本である。著者エヴァ・シュロッスは一九二九年ウィーン生まれ、すらりとした美人の母フリッツィ、実業家の父工ーリッヒ、兄ハインツと、休日には仲良くアルプスの山を歩き、何不自由ない一家だった。
一九三八年、九歳のときドイツ軍がウィーン入城、ユダヤ人である一家は国外に脱出、ベルギーからオランダのアムステルダムに移った。しかし四〇年ごろまで、アパートのロビーで室内楽をやったり、広場で遊んだり、洋服を買いにいって一ヵ月年下のアンネ・フランクと会ったり、おだやかな日々は続く。その段落の間に、水晶の夜、独ソ不可侵条約締結、ポーランド進攻といった非情の年表が、まるで時限爆弾の秒読みのように組み込まれ、おそろしい効果をあげている。
ついにイギリスへの脱出の最後の機会も失われて、一九四二年夏、エヴァの一家は隠れ家に移る。向かいの棟にはアンネが住んでいた。ここで若い性のエネルギーを、エヴァが実兄ハインツとしか分かちあえず、恋い慕ってしまうくだりなど、あまりに痛切だ。そして突然の逮捕、拷問、収容所送り……。
子どもや弱者をまっ先に「選別」してガス室へ送った収容所でエヴァが難を逃れたのは大人っぽい服装だった。毛をそられ、入れ墨、排泄、南京虫やチフスの発生など、「家畜」として扱われる日々が、十五歳の少女の目で淡々と記録される。犠牲者の遣留品を選りわける労働に回され、コートの裏に隠されたビスケットで空腹を満たしながら、自分の作業のおぞましさに硬直するエヴァ。自殺、逃亡、衰弱死。極限状態でのただひとつの生きる手段は「自分で自分を律しきれるかどうか」だった。
四五年一月、エヴァと母フリッツィは生きて収容所を出た。本書は、ドイツ人撤退後のアウシュヴィッツ、ガス室寸前までいった母フリッツィの証言、オデッサ、イスタンブール、マルセイユを経ての大帰国旅行なども貴重なドキュメントであり、不謹慎ないい方を許してもらえるならば、どんな小説よりもドキドキする生と死の大冒険でもある。せめてそういう興味でもいいから、若い人に読んでもらいたいとおもう。
夫と息子を失ったエヴァの母は戦後、妻と娘を失ったアンネ・フランクの父と再婚した。だから本書は義姉が身替わりに書いた『アンネの日記』の後篇ともいえる。少女期に『アンネの日記』に感動してフランク夫妻と永く文通を続けてきた訳者の思いも伝わってきて、奇蹟がいくつも重なって出版されたような本だ。
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