書評
『こども遊び大全―懐かしの昭和児童遊戯集』(新宿書房)
昔よくやった集団の肉体運動五六種
縁側に腰かけて『こども遊び大全』(新宿書房)に目を通していると、隣の中学生が通りがかったから、呼んで、この本に登録されている五十六種類の遊びのうちいくつかやったことがあるか聞いてみた(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1991年)。ベーゴマ、クギ遊び、竹馬、竹トンボ、鉛筆野球、カン蹴り、チャンバラ、かごめかごめ、らくがき、羽根つき……などなどはやったことのない方で、経験済みはメンコ、こま、だるまさんが転んだ、石けり、ほかのわずか六種類。
一世代たったかたたぬかの間に、昔のこども遊びは壊滅状態におちいったことになる。
なぜすたれたかは、よく言われるように子供の地域単位の集団が消えたからにちがいない。昔の遊びはすべて三人以上を前提にしており(やれば可能だが二人でチャンバラはしなかった)、今のように一人か二人でしか遊ばないなら、テレビやゲームが一番面白いのは当然である。
こうした子供の単独者化は一般に都会の特徴と思われがちだが、そんなことはなくて、田舎も同様で、村の縄張り内の子供は昔とちがって一学年に男一人女一人いるかどうかだから、三人以上の集団は成り立ちづらい。
子供の遊びは、集団の肉体的遊びからテレビやゲームといった一人の情報的遊びへと大きく変わったわけだが、このことについて、時代や社会全体が情報化しているのだから当然の結果だし、小さいうちから情報的遊びをやるのはむしろ将来のために好ましいではないか、という考え方もある。
しかし、私はどうしても納得できなくて、やはり子供は集団の肉体遊びをしっかりやっておくべきだと思う。なぜかというと、唐突な言い方になるが、例の〈個体発生は系統発生を繰り返す〉という発生生物学の法則は、遊びの場合にも当てはまると考えるからだ。
個々の人間は母の胎内で、魚類の時代、爬(は)虫類の時代、猿の時代といった系統の進化過程を済ませてから人間の赤ん坊としてはじめて誕生することができるのと同じように、遊びにおいても、原始人の泥遊びや木登りからはじまり、古代のかごめかごめ、中世の竹馬、近世のチャンバラ、といった人間の遊びの系統発生をこなしてから、情報的な遊びに入るのが、「遊ぶ生物」としての人間の正しい順序だと思う。この系統発生を省略すると、M現象のように欠陥のある個体が発生しかねない。
この本は副題に「懐かしの昭和児童遊戯集」とうたっているけれども、昔を懐かしがるためではなく、なんとか今の子供の遊びに生命力を回復させる参考書として読まれればうれしい。遊びの種類もほぼ尽くしているし、遊び方やコツも分かりやすく絵解きされている。著者の遠藤ケイは、高度成長前の日本人の習俗を相手にさせたら右に出る者はないといわれるイラストライターで、この本でも鼻たれ小僧やオカッパ頭にリンゴホッペの少女がよく描かれている。ほんとにこのとおりだった。
【この書評が収録されている書籍】
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