日本における大衆音楽の盛衰を読み解く
日本には少年少女のタレントが多く、十代のアイドル・グループは高い人気を誇っている。それに対し、アメリカでは知名度の高い俳優はフェロモン全開の美女かマッチョばかりである。日本のアイドル・グループは恋愛禁止だが、アメリカの連続ドラマでは高校生の妊娠・出産は日常茶飯事だ。「成熟」を価値とするアメリカでは十代のタレントがなるべく成人のふりをしようとしているのに対し、日本のアイドルは二十代になっても年齢不相応な可愛さを演出しようとする。戦後日本の大衆文化はひたすらアメリカの後追いをしてきたが、この点において鮮明な対照をなしているのはなぜか。著者は近代家族のあり方とメディアとのかかわりを手がかりにその謎解きに挑んだ。未熟さに心が魅かれる心性は大正初期にすでにその端緒が見えた。一九一四年、《カチューシャの唄》という舞台劇の劇中歌が大流行し、ブームに乗ったレコード会社は大当たりした。四年後に創刊された子ども向け雑誌『赤い鳥』には多くの童謡が発表され、やがて楽譜が付けられ、歌われるようになった。
ほどなくして、子ども歌手が登場し、世間の注目を集めた。その人気にあやかろうと、コロムビアは多くの子ども歌手をデビューさせた。可愛くて歌の上手な女の子がレコード産業の花形商品になるにはそう時間がかからなかった。大人が長唄、義太夫節や地歌(じうた)に親しんでいるのに対し、子どもは学校教育で西洋音楽を身につけた。未成年者が流行歌の主役に躍り出たのは、そのような社会文化的な背景もあった。
童謡歌手に比べて、宝塚の少女歌劇の誕生は小林一三(いちぞう)という企業家の思い付きによるものである。ほんらい温泉客のための余興として考案されたが、少女たちの舞台が評判を集めたのを見て、小林一三は宝塚音楽歌劇学校を創立し、幼稚さと未熟さは商品価値とのあいだに目に見えない糸があることに気付いた。
近代家族の成立と流行歌の関係についての考察は本書の見どころの一つである。著者がまず着目したのが、大正期における家族のあり方と音楽消費との相関性である。一九二〇年代に入ると、日本各地で都市化が進み、新中間層が形成された。サラリーマン家庭では子どもが消費生活の中心になり、観劇もレコード鑑賞も家族愛の晴雨計になった。
戦後、経済成長に伴い、家族を中心とする音楽の消費行動はいっそう拡大した。茶の間で一家そろって流行歌を楽しむのは標準的な家庭の姿となり、音楽はもはや上昇志向の記号ではなく、子どもの情操教育にとって必要不可欠のものになった。
新世代のミュージシャンたちは進駐軍の基地でアメリカの流行音楽を知り、基地での音楽活動でその知識と技法を身につけた。彼らの媒介でやがて米軍基地の外にも空前のジャズ・ブームが起きた。興行の激増につれ、俳優らの権利を代行する芸能事務所が設立されたが、やがて芸能プロダクションはイベントを企画することで流行をリードした。ジャズマンがコントと歌を届けるという番組形式は「マイホーム」の記号学に取り込まれ、十代の少女たちを熱狂させた。そして、子どもは未来と希望、さらには幸福の隠喩として流行歌のメロディーに乗せられた。
「明るい家庭」の文脈において、テレビの視聴は家族団らんの象徴となり、チャンネルの決定権が子どもに委ねられた。未成年者の嗜好が視聴率に反映され、少年少女たちは未熟さの表象から感情移入しやすいおとぎ話を見いだした。
メディアが果たした役割についての検証は未熟さの美学を解明するのに大いに力を発揮した。レコード産業はかつて流行歌の成否を左右し、戦後にはテレビは歌手やアイドル・グループの運命を決定した。
舞台上で踊ったり歌ったりする少年グループが「未熟さ」を媒介に、ファンとのあいだで情緒的なやり取りができたのは、テレビによって仮想の関係性が築かれたからで、おびただしいグループ・サウンズが中高生の少女たちに熱狂的に受け入れられたのもテレビの介在なしでは考えられない。
七〇年代になると、オーディション番組が企画され、テレビ自体がついに演出の道具になった。ふつうの子がスターになれるという神話が作り上げられ、テレビという夢の空間において十代の少女たちが現代のシンデレラに祭り上げられた。幼さや純朴さを売り物にする企画者と、同様の美学を求める参加者の欲望との一致が増幅効果をもたらし、アイドルの低年齢化にいっそう拍車をかけた。
未熟さを好む心理はたんに流行音楽だけの現象ではない。未熟さを演じ、未熟さに徹し、翻って未熟さを誇示することは、アメリカという圧倒的な存在に寄りかかる戦後日本の自己投影であり、また、アメリカの巨大な影に対するささやかな抵抗でもあった。浮き沈みの激しいポピュラー音楽の移り変わりは丁寧な資料調査にもとづいて克明に再現され、流行の盛衰を左右する構造的な理由がわかりやすく読み解かれた。