前書き

『イギリスが変えた世界の食卓』(原書房)

  • 2022/06/15
イギリスが変えた世界の食卓 / トロイ・ビッカム
イギリスが変えた世界の食卓
  • 著者:トロイ・ビッカム
  • 翻訳:大間知 知子
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2022-05-25
  • ISBN-10:456207180X
  • ISBN-13:978-4562071807
内容紹介:
大英帝国はどのように世界の食習慣や文化へ影響を与えたのか。当時の料理書、広告、在庫表など膨大な資料を調査し明らかにする。
17-19世紀のイギリスはどのように覇権を制し、それが世界の日常の食習慣や文化へ影響を与えたのか。当時の料理書、新聞や雑誌の広告、在庫表、税務書類など膨大な資料を調査し、食べ物が果たした大きな役割を明らかにする『イギリスが変えた世界の食卓』から「はじめに」の一部を特別公開します。

帝国とフードグローバリゼーション

本書は「長い18世紀」としばしば呼ばれる時代を主なテーマとして取り上げている。長い18世紀とは、1688年にオレンジ公ウィリアム3世とメアリ王妃が共同統治者としてイングランド王位に就いたときから、1837年のヴィクトリア女王の即位までをいう。この本は文化史という言葉で呼ぶのが最も適切だと思われるが、文化史で扱う時代をふたつの大きな政治的出来事で区切るのは奇妙に見えるかもしれない。しかし、このふたつの年は有意義な区切りになる。

ウィリアム3世とメアリ王妃の即位は、イギリスとフランスの間で繰り広げられた「第二次百年戦争」(1689‐1815年)と呼ばれる一連の戦争の幕開けと、軍を維持するために高度に管理された中央集権的課税を実施するオランダのような財政軍事国家への転換を意味した。それはまた、課税可能な輸出入品だけでなく、イギリス人の消費習慣がこれまで以上に注目されることを意味した。

フランスとその同盟国との戦争は、表面上は政治的、文化的相違をめぐる争いだったが、実際には両国は国家の資金源である貿易資源を支配するために陸海軍を競わせていたのである。最も熾烈な争いの的となったのは、インドの貿易植民地、北アメリカのタバコ生産植民地、そして砂糖を生産する西インド諸島である。

本書で取り上げる時代の最後を1837年で区切るのは、本書のテーマに結論を出すためというより、時代の風潮の変化を確認するためだ。長い間、18世紀はヨーロッパの大半とその植民地で近世から近代への転換が起こった時代と認識されてきた。多くの点で、ヴィクトリア時代の技術的進歩、たとえば鉄道、印刷技術、電信などは、18世紀に実現したさまざまな発展を統合し、画一化する力になった。ヴィクトリア女王の即位は1833年の奴隷制廃止法の成立からまもなくの出来事である。奴隷制廃止法により、イギリスは本書で取り上げた多くの商品の生産基盤となっていたアフリカ人奴隷を解放した。

18世紀の大英帝国の急速な発展は、当時は誰も予想できなかった。数カ所の遠く離れた開拓者植民地と貿易拠点から始まって、イングランドの、そして1707年以降はイギリスの帝国は、長い18世紀の間に成長し、世界の人口の5分の1に対して統治権を主張し、それ以外の大部分に対しては貿易と威嚇を通じて優位に立った。ヨーロッパ中心だったとはいえ、第二次百年戦争とも呼ばれる1世紀を超えるフランスとの世界的な軍事的紛争から誕生した大英帝国は、戦闘員だけでなく民間人に対しても向けられた暴力の所産だった。しかし、イギリス人が遂行する戦争の大部分と切っても切れない関係にある商業もまた、同じように重要だった。商業の成功、そして商業を管理し課税する能力のおかげで、イギリスは人口、技術、天然資源ではとうていかなわないヨーロッパや世界の競争相手と、互角以上の戦いができた。

食べ物はイギリス社会、そしてイギリス社会と帝国との関係について理解を深めるために、この上なく貴重な機会となる。食べ物は人間の生存に不可欠であり、私たちの時間とエネルギーの相当な部分が、食べ物の生産、流通、販売、購入、調理、摂取、そして消化といった行為に費やされている。それらと同じくらい一般に広まっているのが、個人であれ共同体であれ、食べ物に意味を付与する習慣である。したがって、食べ物というテーマは社会的意味とその変化について探る研究者にとって実り多い分野だ。特に、オーガニック食品の特別扱いや、スローフード運動、同性カップルのウェディングケーキに飾られた男同士、あるいは女同士の人形など、近年の変化には注目すべき点が多い。

食べ物に意味を付与する行為は、遠い昔にも数多く見られた。社会学教授のステファン・メネルは、近世イングランド人の食生活の研究の中で、「食欲の文明化」について語った。欠乏の時代に上流階級が豊かさを見せつけることは、彼らの地位を誇示するには十分だった。しかし、イギリス人が18世紀に体験したように、食べ物が相対的に豊富な時代には、彼らの地位を誇示するもっと複雑な方法が要求された。地位の象徴が量だけでは不十分になると、品格を際立たせる手段として、趣味のよさ、流行、鑑定眼が発達した。

18世紀のイギリス人は、自分たちの社会の中で起きているこの現象にはっきりと気づいていた。1755年にロンドン・マガジンに記事を書いた「鑑定家」は、「自分が食べたり飲んだりするものを吟味する余裕のある人々は、食べ物がただ体によいとか、必要であるというだけでは満足しない。彼らの味覚はこってりしたソースやしっかり味つけされたごちそうでなければ満たされない」と断言している。

これは特定の日用品にも当てはまった。本書で取り上げた帝国の貿易がもたらす多数の商品が最初にイギリス諸島に入ってきたときは、それを所有しているというだけで富と趣味のよさを誇示するには十分だった。時代が進んでそれらがありふれた商品になると、消費者が地位を誇示するには、陶磁器の砂糖壺や、宝石をちりばめたタバコ入れ、平日の昼間のお茶会など、補助的な趣向が必要になった。

選択肢が増えてくると、食べ物を取り巻く儀式は、伝達手段としての言語とは言わないまでも、コミュニケーションのひとつの形になった。18世紀イギリスの茶に関して言えば、選ばれた茶の種類、お茶会の時間、消費の頻度、招待客の顔ぶれ、使う茶器、茶の淹れ方と茶が供される部屋の装飾は、社会的地位、富、洗練された上品さの意図的な表現手段として役立った。この時期に、男女が同席するディナーパーティーが、社交を促進する複雑なルールとともに流行した。こうした変化は家庭内の空間を、主人が富と地位を見せびらかす公共の場に変えた。肉を切り分ける方法、皿の配置、食器や装飾はすべて会話の種や評価の対象になった。

家庭の外では、都会化の進行と旅行の増加が社交好きと結びついて、食事を上流階級や上昇志向の強いイギリス人の娯楽に変えた。都会には宿屋や酒場、町中を移動しながら食べ物を売る屋台があちこちに見られた一方で、18世紀には美食家が集う場所とともに、印刷されたガイドブックや批評記事が発達した。高級店には、上流階級が頻繁に訪れるタヴァーンや飲食店があった。ガイドブックの『ロンドン・ポケット・パイロット』は、「それらの店」では「世界でも指折りのあらゆる贅沢で美味な料理に出会うことができ、裕福な美食家は四季折々のあらゆる自然の美味だけでなく、並外れた才能によって生み出された美食によって食欲を満たすことができる」と自慢した。

こうした上流階級向けの店に出入りできない庶民のためには、無数の選択肢があった。伝統的なタヴァーン、エールハウス、安手の肉料理店、インだけでなく、数千軒の新しいコーヒーハウスやティーガーデンは、大衆の栄養上の要求と美食家の願望を満足させるために日夜営業していた。

18世紀に食べ物の社会化はいっそう進行し、その風潮はイギリス中に広がった。その結果、食べ物は国家や地域のアイデンティティを表す手段のひとつになった。1799年に、ジェネラル・イブニング・ポスト紙に一通の投書があった。手紙の主はイギリスでの暮らしの長所を称賛し、「パリ市民はわれわれロンドン市民と同じ自由や利便性や贅沢を享受していないという明らかな証拠を見て、私はイギリス人としてこの上ない喜びを感じています」と述べた。この手紙に「ジャック・ローストビーフ」という署名があったのは偶然ではない。

当時の風刺画や評論にはイギリスの食べ物のイメージがあふれている。一方で、フランス人は困窮した姿で、アメリカインディアンは食人種として、アジア文化は退廃的に描かれた。旅行者は常に自国の料理への渇望を語り、同国人と一緒にその料理を再現する機会を楽しんでいた。


食べ物で変わる人々の意識

この食べ物の研究から浮かび上がってくるのは、変容する国家の姿である。イングランドの帝国は、広範囲に散らばった入植地や世界中の海岸地帯に不安定にしがみついた貿易拠点の寄せ集めから発展し、中央集権的な官僚制度を持つ重武装した政府のある大英帝国になった。イギリス社会もまた、同じような変化を遂げた。ヴィクトリア朝の自信に満ちた帝国主義への道のりは、あらかじめ決まっていたわけでもなく、急速に進んだわけでもなかった。むしろその変化は漸進的だった。

1800年の中流階級のイギリス人女性から見た大英帝国の姿は、その100年前の女性のものとは根本的に違っていた。イギリス社会と帝国の研究は、重大な転機としての戦争に注目が行きがちだが、食べ物を考慮すると、戦争を転機とするこの見方は不確かになる。戦争は人々の強い関心の的になり、戦争によって貿易路は途絶えたり、新しい貿易路が開かれたりしたが、帝国の貿易がもたらす商品の流入は、しばしばイギリスの支配の遠く及ばないところで、供給と市場のさまざまな要素によって支配された。これから先の章で述べていくが、たとえば茶はありふれた商品になり、茶の値段の上昇や下降は戦争のせいではなく、中国政府による貿易の許可や議会による課税、イギリスの社交や流行の変化、そして東インド会社の意思決定や浮き沈みの激しさに由来していた。

さらに、新聞記事や政治的パンフレット、書籍は世界についての主要な情報源だったが、食べ物について研究すれば、食べ物がどれほどイギリス人の日常生活や、帝国に対する意識の中に浸透していたのかが理解できる。帝国に関係のある食べ物の消費を、帝国主義、あるいは帝国を意識していたという事実とさえ同一視できるかどうかという問いは、しごくもっともだ。18世紀にお茶を飲んだすべてのイギリス人が帝国主義者だという主張は、証明できないばかりか、滑稽でさえある。しかし、本書で明らかにしたように、食べ物がイギリス人と帝国との関わりを反映すると同時に、影響も与えていたのは確かだ。

帝国のシステムとイギリスの繁栄との関係に関する考察は、1812年にコーヒーの起源に関してレディズ・マンスリー・ミュージアム誌に寄せられた一見寛容な読者の投書にはっきり表れている。この雑誌は中流家庭の主婦や下層ジェントリを対象に発行され、比較的売れ行きがよかった。その投書の中で、読者はコーヒーの歴史を語るだけでなく、その歴史をイギリスと帝国の政治経済に結びつけ、コーヒー貿易がいかに西インド諸島植民地や海軍力、そしてイギリスの消費者に恩恵を与えたかを指摘した。「コーヒーの消費量の増加は公共の利益とみなされなければなりません」と投書した女性は主張し、中国との茶貿易によってイギリスの銀が流出する危険性さえ警告した。この問題を解決するために、東インド会社は中国にアヘンを売り、19世紀半ばにアヘン戦争を引き起こした。

食べ物はイギリス人が帝国と関係のある世界中の民族と出会う機会にもなった。視覚的広告は、ヴァージニアでタバコを生産するアフリカ人奴隷や停泊するイギリス船などの画像を使って、その商品の生産地を示した。人気のある料理書に掲載されたレシピや、多数の料理店で出される料理は、消費者にインドの味を提供した。国内の料理や外国料理に関する記事は、知的エリートが読む分厚い本でも、家政婦によって書かれた料理書でも読むことができた。

これらの記事は、さまざまな社会を比較し、対照し、批評する材料として食べ物を使った。このような記事が、イギリス文化に対する国家主義的な手放しの賛辞に決して陥らなかったという点は重要だ。それどころか、それらはしばしばイギリス社会に批判的で、他の文化を称賛する内省的な内容だった。文化の違いは研究し、体験し、ときには称賛すべきものとして扱われた。食べ物と帝国との結びつきは、帝国の支配下で苦しんでいる民族に対して多数の一般的なイギリス人が抱く義務感を著しく増大させた。その義務感が、18世紀末にイギリス本国の数十万人の消費者がアフリカ人奴隷貿易と奴隷制に抗議して、西インド諸島の砂糖を拒否する行動につながった。運動に参加した消費者にとって、そして彼らが粘り強く説得しようとした大衆にとって、食べることと帝国のつながりは疑いようもなく明らかだった。

[書き手]トロイ・ビッカム(歴史学者)
テキサスA&M大学の歴史学教授。歴史学科で17世紀と18世紀の英国とその帝国、大西洋世界、および植民地時代の北アメリカの歴史について教えている。王立歴史学会フェロー。The Weight of Vengeance(2012年)、Savages within the the world(2012年)など多数の著書がある。
イギリスが変えた世界の食卓 / トロイ・ビッカム
イギリスが変えた世界の食卓
  • 著者:トロイ・ビッカム
  • 翻訳:大間知 知子
  • 出版社:原書房
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大英帝国はどのように世界の食習慣や文化へ影響を与えたのか。当時の料理書、広告、在庫表など膨大な資料を調査し明らかにする。

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