書評

『茫々半世紀』(新潮社)

  • 2022/09/28
茫々半世紀 / 草野 心平
茫々半世紀
  • 著者:草野 心平
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:ハードカバー(229ページ)
  • 発売日:1983-04-01
  • ISBN-10:4103068043
  • ISBN-13:978-4103068044
草野心平さんが「茫々半世紀」という自伝を書いた。「茫々」とは広大な光景であり、はてしない状態のことだ。茫という字は、もともと水が遠くへと続いている有様を表わす。

草野さんの固有の時間は、まさしく遥か彼方へ流れてゆく悠久に属し、その源は中国と日本の東北に通じている。また草野さんが生きてきた時代は、二十三年ぶりに広州で再会した英文学者、葉啓芳の言を借りれば「おいクサーノ、変転極まりなかつたなあ、近代東亜の歴史は」というように、革命と動乱の時代であった。

後に中山大学と改名された嶺南大学に入ってから、中国は草野さんの第二の故郷となった。学生の頃、小石川の実家の爺やから「若旦那さま」と呼ばれていた草野さんは、養家先から通っていた慶応義塾の普通部を辞め、神戸の桟橋で、それまで履いていた下駄を「ぼちゃんぼちゃん」と海に捨てて日本を脱け出す。「波にゆられてゐる自分の下駄がさやうならの相手のやうに思はれた」という文章に、わずかに離別の感傷を残して。

その時、草野さんが捨てたのは、日本ではなくて世俗と呼ばれるものだったのではないか、という気がする。世俗を離れれば、排日英動乱のさなかでも舢舨(サンパン)漕ぎの女は草野さんに親切であり、西安の飲み屋の親父は、はじめて会った旅行者の草野さんに、使い古した錫の徳利を進呈するのである。

この本には、毛沢東、周恩来のような指導者から、数多くの日本と中国の文人、詩人、学者、メキシコの画家シケイロスまで登場するが、皆、草野さんの豁達さに触れて自由に語り合うのである。初対面の周恩来さえ「こつちはいつでも印鑑を押してもいい気持の状態です」と語る。この言葉はおそらく、中国要人が国交回復について発言した最初ではなかったか。昭和三十一年秋のことだから、正式の国交回復に先立つこと十六年も前の出来事である。私も昭和四十八年に、初の経済使節団員として周首相に会ったけれども、熟練した大政治家としての彼の印象からは、気軽に本心をうちあけて見せる姿は想像も出来なかった。

草野さんの、この天衣無縫ともいうべき魅力は、その奥底にどんな哀しさを湛えているのだろうと、この本を読みながら幾度も思った。たくさんの詩が記憶の淵から浮び上ってきて、この半世紀の随所に顔を出した。

この本は、後に支那事変と呼ばれた戦争がはじまった日、広州から東京にやってきた三人の友人、劉燧元(のちに劉思慕と改名)、葉啓芳と銀座の不二家の二階で会っているところから書きはじめられている。昭和十二年(一九三七年)の七月八日であった。嶺南大学以来の友人との十二年ぶりの再会を、号外の鈴が遮る。「蘆溝橋事件勃発」、という文字が楽しい語らいを引裂く。暗澹とした心を抱いて外に出た三人を取囲んだのは、事件を知って陽気にはしゃいでいる群衆であった。六年後、草野さんは鬱屈した想いを「私は信じ私は待つ」という詩に書いた。「再び君等と相抱く日のあることを」と宣言した。敗戦後、草野さんは訪中文化使節団として革命後の中国に渡り、各地で旧友に再会する。学生時代から数えると、それまでに三十二年の茫々とした時間が流れていた。この本を読み終った時、大河のような歴史のなかに佇立して、なお暖い心を失わなかった草野さんの孤影を望見する思いに捕えられた。
茫々半世紀 / 草野 心平
茫々半世紀
  • 著者:草野 心平
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:ハードカバー(229ページ)
  • 発売日:1983-04-01
  • ISBN-10:4103068043
  • ISBN-13:978-4103068044

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初出メディア

新潮

新潮 1983年6月号

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