ドミニク・チェンさんの6人のゲストとホスト役の鹿島茂さんが、
現代哲学・思想、社会学、政治学…の視点から、現代の問題を考えます。
本書より、鹿島茂さんの「はじめに」を特別公開します。
6人の論客を迎え“今読むべき現代思想・哲学”を簡略にとらえた異色の入門書
フーコー、デリダ、ドゥルーズが「予感」として感じ取っていた世界の危機が身近に
私が主宰するオンライン無料書評閲覧サイト「ALL REVIEWS」から、2冊目の本が誕生することになりました。
「ALL REVIEWS」では、無料閲覧を維持するため、賛助会員組織「ALL REVIEWS 友の会」を設け、会費(現在では月1800円)をいただく代わりに、会員向けサービスとして「月刊 ALL REVIEWS」という本を巡る対談をリアルないしはオンラインで月に2回催しています。フィクション部門は豊崎美さんが、またノンフィクション部門は私がホスト役をつとめ、2019年 1月から2022年7月現在まで3年半で合計42回の対談を行なってきました。このうち第17回までの対談書評の中から6編を選びだして書籍化したものが2021年2月に祥伝社から出版された『この1冊、ここまで読むか! 超深掘り読書のススメ』です。
ところで、この「月刊 ALL REVIEWS」のノンフィクション部門は第19回からは、対象とする本を巡って著者と私が語り合うというロング・著者インタビュー形式に変わっています。というのも、取り上げる本が時代を反映してか、哲学・思想中心になってきたので、第三者同士の対談書評という形式よりも、私が本の内容を紹介しながら著者へのディープ・インタビューを試みるほうが、哲学・思想に不案内な読者にとって理解しやすいのではないかと判断したからです。
しかし、そのためには、対象とする本を1冊読んだだけでは足りません。著者の他の著作、とりわけ主著である数冊の本に言及する必要があります。また、その本が外国の哲学者や思想家について論じたものであれば、その外国の哲学者や思想家の著作にも目を通しておかなければなりません。ひとことで言うと、著者へのディープ・インタビューのほうが、対談書評よりもよほど下準備が大変で、面倒くさいものなのですが、不思議なことにこの形式に切り替えてから、私はゲストと対談するのが楽しくてしかたなくなりました。
なぜでしょう?
それは、30代前半にフランス現代思想や哲学などの「抽象的なもの」に別れを告げて、パリや古本といった「具体的なもの」に向かって以来、ほとんど顧みることの少なかった「抽象的なもの」が、この40年間の「具体的なもの」の経験を経たあとでは、非常にわかりやすいものと映るようになったという経験をしたためです。
フーコー、デリダ、ドゥルーズといったポスト構造主義の思想家たちの、かつては涙が出るほどに難解と思えたテクストや言葉が、40年経ったいま、「なんだ、こういうことを言おうとしていたのか!」と突然、腑に落ちるということが何度もあったのです。
こんな体験があったためでしょうか、私よりも年下の世代の哲学者や思想家、あるいは哲学・思想研究者たちと対談している場合でも、哲学的・思想的な用語や言い回しがあまり違和感なく捉えられるし、自分でも使えるようになりました。
思うに、こうした変化はたんに私の変化ばかりではなく、社会的状況の変化もかかわっているのかもしれません。
すなわち、40年前のフランスにはある種のかたちをとって存在していたもの(たとえば核家族)が、そのころの日本ではまだ不十分にしか成立していなかったため、フランス現代思想・現代哲学を読もうとしても、その下部構造がわかっていないため上部構造など理解をはるかに超えていたということがあります。
これに対し、40年経った21世紀の日本では、フランス現代思想・現代哲学をその最も根底のところで支えていた前提(下部構造)も共有できるようになったために、その上部構造たる思想・哲学も理解可能になったという見方を取ることもできるでしょう。さらに踏み込んで言えば、21世紀に入ってからのグローバル資本主義の進展により、下部構造がどこの国でも似たようなものになってきたということも関係しているかもしれません。つまり、40年前のフランスでフーコー、デリダ、ドゥルーズが「予感」として感じ取っていた世界の危機が、いまではグローバル資本主義というかたちで具体的に感知できるようになったため、彼らの問題意識も共有できるようになったということです。
以上が対談のホストとして、月に1回、対象本を選択し、その本の著者をゲストとして招いてはディープ・インタビューを試みた私の動機ですが、ゲストの方々がこれをどう受け止められたかはまた別の問題です。あるいは、「ALL REVIEWS」という、よく知らないところからのオファーだが、インタビューだから引き受けざるを得ないと消極的な理由から出演された方もおられるかもしれません。
しかし、本書をお読みになればよくわかるように、結果的には、どのゲストも、私が用意したり、会話の途中で思いつき的に差し挟んだ質問に答える過程で、何かしら新しいものを発見されたような気がしていますが、これは私の身勝手な思い込みでしょうか? 少なくとも、私のような上の世代との対話も悪くはない、自分の思想を深める契機になると感じた方もおられたのではないかと、密かに期待しています。
「考えるとは何か」を練り上げることができる、現代思想・哲学のブックガイド
さて、ホストとゲストのことはこれくらいにして、本書で最も重要な、対話の聞き手、および、本書の想定する読者についての考察に移りましょう。なぜなら、本書、およびその元になった「月刊 ALL REVIEWS」は非公開のトークではなく、あくまで一般の方々を対象にした公開型だからです。本書はそもそも、視聴者ないしは読者というものが存在しなくては成立し得なかった本なのです。
では、思想・哲学の専門家ではない一般の読者は、本書に対してどのようなことを期待しうるのでしょうか? 以下、本書が潜在的に果たしうる役割というものを列挙してみましょう。
①対話を介した現代思想・哲学入門となる。
② ゲストがいずれも「深く考える人」であるがゆえに、「考えるとは何か」を学ぶことができる。
③ 「考えるとは何か」という問いに対する答えも、古典的な答えから21世紀的なポスト・ポストモダンのそれまで多様な解答が用意されているので、それらを比較検討したうえで自分なりの「考え方」を練りあげることが可能となる。
④ 対話という、ある意味、意識の検閲が緩やかな表現形式を通して、ゲストの最も柔らかな心の部分に触れることができるため、ゲストの他の本も読んでみたくなる。
⑤ 以上の理由から、本書は現代思想・現代哲学の最も簡略にして重要なブックガイドともなりうる。
もちろん、これは私の希望的観測でしかありませんが、本書が①〜⑤の可能性を秘めた、見かけよりもハイブラウな本であることだけは確かで、そのことは対談のホスト役をつとめたこの私が保証します。保証がウソだとお思いになる方もぜひ本書をお読みになってご批判いただければ幸いです。
[書き手]鹿島茂