前書き

『冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語: エベレスト登山、砂漠横断、巡礼から軍隊まで』(原書房)

  • 2023/01/27
冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語: エベレスト登山、砂漠横断、巡礼から軍隊まで / デメット・ギュゼイ
冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語: エベレスト登山、砂漠横断、巡礼から軍隊まで
  • 著者:デメット・ギュゼイ
  • 翻訳:浜本 隆三,藤原 崇
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2022-11-24
  • ISBN-10:4562072008
  • ISBN-13:978-4562072002
内容紹介:
太古から人類が用いてきた移動手段、徒歩。安全な場所を離れ未踏の世界に挑む人々が準備し持ち運んだ、歩き旅の食事の多様性に迫る。
太古から人が用いてきた移動手段、徒歩。未知の世界を歩くには食べ物が必要だ。登山家や探検家は綿密な計画を練り、軍隊のためには保存食が開発される一方、都市部ではスナックが簡単に手に入る。歩き旅の食事の多様性に迫った書籍『冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語』より、はじめにを公開します。

人類は歩きながら何を食べてきたか

「始まりは足だった」とアメリカの文化人類学者マーヴィン・ハリスは言った。

人類は意識や言語を持つ前に直立歩行していた。およそ400万年前のことである。歩くことは人間にとって基本的な動きといえる。歩くことは、私たちが幼児からの発達段階において、固形物を食べられるようになるのと同じような大きな節目である。私たちとほかの陸上生物とを大きく隔てる点は、私たちが二つの手と二つの足でもって、立ち上がり、道具と食物を作り、使い、そして運ぶというところにある。歩くことで、私たちは方々へ行き、物をほかの人へ持ち帰ることができる。

歴史的にみて人類は、社会的な地位や階級に応じた必要性に従って歩いてきた。そして、新しい土地を探検し、地球そのものを発見するために歩いた。さらに時代が下ると、人々は自らの限界を知るために歩くようになる。それは肉体的な限界か、精神的な限界か、あるいは宗教的な限界だった。食べ物は、歩くことについてまわるもっとも存在感のある同伴者であるが、それはまずもって必要性からであり、さらには慰めと楽しみのためでもある。

本書は、歩きながら立って食べる食事について記したものである。大きなもの、小さなもの、毎日食べるもの、毎週食べるもの、座らずに食べるもの、無人の地で食べるもの、軍隊で食べるもの、そして日常の歩行中に食べるものについて扱う。雪のなか、砂の上、道の上を歩く際のもの、地理的な境界や個人の限界を発見するために歩く際に食べるもの、私たちの周りにあるものを経験するために歩く際に食べるもの、そして新しい土地へ向かう際に食べるものを扱う。

私は本書の目的を、人が歩くときの食べ物がどういった意味を持つのか、そして歩く意味が食べ物のなかにどのように表現されるのかを見つめることに据えた。調査とインタビューを通して、私は共通の道筋を探し求めた。それはどこを歩くにせよ、私たちが食べるものや常に使う道具といったものについてであった。

私は探検者や登山家、運動選手、巡礼者、軍人、そして歩き、食べる人なら誰かれ問わず、かれらの話を読み、かれらから話を聞いた。私がそこで理解したことは、普段用いる道具やレシピなどよりも深いものだった。広く世に知られた様々な地形でとられる食事や歩行の歴史を追いかけるなかで、私はなにを食べるかが歩行のありさまを変えること、そして歩く理由が何を食べるのかを変えてしまうことに気がついた。私は、とくに人々が環境を変えたいと思った時に、人々は行く先ざきに自らの食文化を持ち込むということを発見した。また、そうする代わりに、とくにかれらが環境に同化しようとする場合にであるが、今までいた場所の食文化を持ち帰る人がいることも見出した。なにをどのように食べるかと同様に、なぜ徒歩で移動中に食べるのか、ということも興味深い問いであることがわかった。

私たちはこの数百年の進化で初めて、日常生活でまったく歩かなくても大丈夫だと知ることになった。今日の多くの先進国で営まれているライフスタイルにおいて、歩くことの機能は変わってしまった。私たちは自らを運ぶ交通手段を発展させた。交通革命は移動中の私たちの身体と精神の使い方を変えてしまった。楽しみのために歩く、すなわち車で行くことができるがあえて歩くことを選ぶことが、みずからの社会的属性を外に向かって示す行為となった。今日では私たちの多くが、運動したいと思うときに歩き、パソコン作業用の椅子や車のシートに縛り付けられたライフスタイルを送っているにもかかわらず、歩数計がもう少し歩かなくてはならないことを思い出させる。

歩くことに生じた変化に注目すると、私たちが歩く時に着るもの、食べるもの、することのすべてにおいて、それがもつ意味がまったく変わってくることに気づかされる。同様に、歩くことを抵抗の意を表してパフォーマンスを最適化するための運動と考えるとき、ペンギンやクジラ以外にすむもののいない無蕪の地を探検するために歩くときと、地元の人が住む土地を訪ねるために歩くときとでは、食べ物が持つ意味が変わってくる。

歩くことはこの世界でもっとも曖昧模糊とした事象だと思われる。それは前人未到の場所にたどり着くなどの、なにか大きなできごとと結びつかない限りはありふれたものである。歩くことは平凡である、と同時に非凡なことでもある。それは、なぜ、どこを、そしていつ歩くのかによる。なぜならその見返りが、距離、条件、障害物、希少性によって評価されるからである。外を歩くことは、個人所有の空間ではない公共空間へアクセスすることでもある。その意味では、私たちは歩くとき、家から離れて移動しているだけでなく、個人の領域から、そして所有することから離れて歩いている。孤独に歩く人には、冒険心をくすぐられるものである。組織化された歩行者(たとえば、クラブ活動などでウォーキングする場合)にとっては、歩くことは公共空間を所有するという政治的な権限を意味する。どちらの場合にしても、食べることがそうであるように、歩くことは立場の言明であり、文化的な活動なのである。

[書き手]デメット・ギュゼイ(フードライター)
冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語: エベレスト登山、砂漠横断、巡礼から軍隊まで / デメット・ギュゼイ
冒険・探検・歩く旅の食事の歴史物語: エベレスト登山、砂漠横断、巡礼から軍隊まで
  • 著者:デメット・ギュゼイ
  • 翻訳:浜本 隆三,藤原 崇
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2022-11-24
  • ISBN-10:4562072008
  • ISBN-13:978-4562072002
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太古から人類が用いてきた移動手段、徒歩。安全な場所を離れ未踏の世界に挑む人々が準備し持ち運んだ、歩き旅の食事の多様性に迫る。

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