書評
『真夜中に海がやってきた』(筑摩書房)
優れたシリアス・ノベルの書き手は予言者を兼ねることがある。彼らは今ここにある危機ではなく、半歩先にある陥穽(かんせい)を予言し、読者に覚醒を促す。
スティーヴ・エリクソンもまたそんな作家の一人だ。たとえば、歴史改変小説『黒い時計の旅』(白水uブックス)では、自分のためだけに書かれたポルノ小説を読みふけるヒトラー像を設定することで、かのファシストが歴史の担い手=“書き手”なんかではなく、過剰な消費的欲望にかられただけの狂った“読み手”にすぎなかったと看破。それによって、インターネットといったマルチメディアの発展によって肥大していく一方の、我らが消費的欲望にも警鐘を鳴らしている作品なのだ。
『真夜中に海がやってきた』でエリクソンが予言しているのは「アポカリプスの時代」の到来だ。アポカリプスとは神が未来の出来事を黙示した終末論的世界観。二十世紀最後の瞬間、この世の終わりをもたらす、ミレニアムの洪水というアポカリプスに怯える少女が、その恐怖に耐えられず高い塔から死のダイビングを試みた愚かしくも哀しいエピソードを示すタイトルによって、エリクソンは信なき時代の混沌(カオス)がもたらす新しいタイプのアポカリプスの洪水への注意警報を発している。
新しいタイプのアポカリプス、それはもはや神の啓示と結びついた天変地異などではなく、たとえて日本でいうなら酒鬼薔薇事件や地下鉄サリン事件のごとき、理不尽な殺人や暴力の数々だとエリクソンは説く。曰く「意味の欠如した時間の爆発」。それを、北米マジックリアリズムとも称され読み手を幻惑する美しい筆致で実証しているのが、この物語なのだ。
二十世紀最後の瞬間、二千人の女による集団自殺を謀ったカルト教団から逃れ、新宿歌舞伎町で「メモリー嬢」の仕事についているクリスティン。彼女の記憶を聞き続ける老博士カイ。暗殺や殺人、集団殺戮や自殺等々、カオスの象徴のような事件の日付からなる「アポカリプスのカレンダー」の作成にとり憑かれている“居住者”なる男。彼のもとから赤ん坊と共に去ったアンジー。自分が作った虚構の殺人ポルノ(スナッフ)映像を真似て本当に殺人を犯す映画が現れたことに衝撃を受け、贖罪(しょくざい)の放浪生活を続けるルイーズ。この世界に欠けているものを探すべく狂気の地図を作り続けているカール。最初はバラバラに思える登場人物たちの人生とカオス的事件の数々が交錯しあいながら、やがて愛と狂気の家系図ともいうべきつながりが明らかになる。クリスティンの現在進行形の物語が、その他の過去形の物語を内に抱え込んでいたり、一人称と三人称が混在したりと、複雑な語りの技法を採用することで、“居住者”のカレンダー(時間)とカールの地図(空間)が合体したような立体的読み心地を与える。これは、新たな千年紀をどう生きていけばいいのかという難しいテーマに、魂の問題として深く思いをめぐらせた傑作小説なのだ。
【この書評が収録されている書籍】
スティーヴ・エリクソンもまたそんな作家の一人だ。たとえば、歴史改変小説『黒い時計の旅』(白水uブックス)では、自分のためだけに書かれたポルノ小説を読みふけるヒトラー像を設定することで、かのファシストが歴史の担い手=“書き手”なんかではなく、過剰な消費的欲望にかられただけの狂った“読み手”にすぎなかったと看破。それによって、インターネットといったマルチメディアの発展によって肥大していく一方の、我らが消費的欲望にも警鐘を鳴らしている作品なのだ。
『真夜中に海がやってきた』でエリクソンが予言しているのは「アポカリプスの時代」の到来だ。アポカリプスとは神が未来の出来事を黙示した終末論的世界観。二十世紀最後の瞬間、この世の終わりをもたらす、ミレニアムの洪水というアポカリプスに怯える少女が、その恐怖に耐えられず高い塔から死のダイビングを試みた愚かしくも哀しいエピソードを示すタイトルによって、エリクソンは信なき時代の混沌(カオス)がもたらす新しいタイプのアポカリプスの洪水への注意警報を発している。
新しいタイプのアポカリプス、それはもはや神の啓示と結びついた天変地異などではなく、たとえて日本でいうなら酒鬼薔薇事件や地下鉄サリン事件のごとき、理不尽な殺人や暴力の数々だとエリクソンは説く。曰く「意味の欠如した時間の爆発」。それを、北米マジックリアリズムとも称され読み手を幻惑する美しい筆致で実証しているのが、この物語なのだ。
二十世紀最後の瞬間、二千人の女による集団自殺を謀ったカルト教団から逃れ、新宿歌舞伎町で「メモリー嬢」の仕事についているクリスティン。彼女の記憶を聞き続ける老博士カイ。暗殺や殺人、集団殺戮や自殺等々、カオスの象徴のような事件の日付からなる「アポカリプスのカレンダー」の作成にとり憑かれている“居住者”なる男。彼のもとから赤ん坊と共に去ったアンジー。自分が作った虚構の殺人ポルノ(スナッフ)映像を真似て本当に殺人を犯す映画が現れたことに衝撃を受け、贖罪(しょくざい)の放浪生活を続けるルイーズ。この世界に欠けているものを探すべく狂気の地図を作り続けているカール。最初はバラバラに思える登場人物たちの人生とカオス的事件の数々が交錯しあいながら、やがて愛と狂気の家系図ともいうべきつながりが明らかになる。クリスティンの現在進行形の物語が、その他の過去形の物語を内に抱え込んでいたり、一人称と三人称が混在したりと、複雑な語りの技法を採用することで、“居住者”のカレンダー(時間)とカールの地図(空間)が合体したような立体的読み心地を与える。これは、新たな千年紀をどう生きていけばいいのかという難しいテーマに、魂の問題として深く思いをめぐらせた傑作小説なのだ。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

ダカーポ(終刊) 2001年7月4日号
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