書評
『寝ても覚めても: 増補新版』(河出書房新社)
一九九九年四月、大阪。就職したばかりの朝子(語り手〈わたし〉)は、一日に二度偶然出会った青年に一目惚れをする。〈好みとかそんなんじゃなくて、ああ、これがわたしを待ってたそのものやったんやなって〉。青年の名は鳥居麦。それまでもいろんなところを渡り歩いていた麦は、つきあうようになっても、時々ふらっといなくなってしまう謎めいたところがあって、朝子を不安にさせるのだが、案の定、その年の冬、上海に行くと旅立って消息を絶ってしまう。
二〇〇五年、演劇をしている友人に公演の手伝いをしてほしいと頼まれたのをきっかけに東京暮らしを始めた朝子の目の前に、麦そっくりの青年が出現。彼の名は丸子亮平。いつしか二人はつきあい始めるのだが、二〇〇七年、人気急上昇中の新人俳優となった麦とテレビの画面を通して再会した朝子は――。
この粗筋に鼻白んだ人にこそ読んでいただきたいのが、柴崎友香の『寝ても覚めても』です。運命の人と思った男に去られたヒロインが、その彼とそっくりな男とつきあうようになる設定や、運命の人が人気俳優になって再び目の前に現れる展開を「すてきー」と思うような人は、逆にこの小説を読むと、きょとんとしてしまうかも。なぜなら、この小説のどこを探しても「すてき」なんて見あたらないからです。それどころか……。
語り手の〈わたし〉は、出かける時は必ずフィルム式のカメラを持ち歩きシャッターを押しまくる“視覚”の人です。小説の冒頭は高層ビルにいる〈わたし〉が見ている光景の細密な描写が続きます。〈わたし〉の目は二十七階から見おろす地上の様子を見、近くで騒いでいる子供たちを見、カップルを見、遠くに見える山々を見、ガラスに流れる雨粒を見ます。それが延々続くのかと思われた時、この一文がふいに現れるんです。
いろんなものをとりとめなく映していたカメラのような目が、ここで人の目になる。小説の中にそれまで流れていた時間がここで一瞬フリーズする。光景描写に馴れてきていた読者をハッとさせる。この異化効果抜群の素晴らしい文章は後にもう一度現れます。
これは亮平と出会ったバージョン。このリピートに、読者であるわたしの胸は不穏な予感でざわつきます。というように柴崎さんは、朝子の気持ちの動きを朝子の目に代弁させ、その緩急自在な描写によって読者の気持ちをも動かすという、これまでの作品で培ってきた“目の文体”ともいうべき独自のテクニックを最新作でも十全に活かしているんです。
でも、今回はそれだけではありません。これまで「物語らしい物語がない」と評されがちだった柴崎さんが、二人のそっくりな男を好きになるという通俗的な物語を、十年という長い時間の中に描くことに挑戦したこの小説は、恋愛小説という甘やかな響きから連想する予定調和的展開を無視。穏やかで、情緒が安定していて、おとなしそうに見えた朝子が、麦が再登場してから取る行動と最後の決断に衝撃を覚えない読者はおりますまい。わたしなぞ、背筋がぞわっとして、思わず「こわっ」「きもっ」と口走ったものです。人が、目に見えるものをそのまま見るような素直な心持ちで自分の思いにストレートに従うと、恋はこんな異形を呈するのかと震撼。最後の十二ページ間で起こること、トヨザキは生涯忘れません。「恋愛小説なんて甘ったるくて読めない」という方にこそ読んでいただきたい、これは異常で異様な傑作です。
二〇〇五年、演劇をしている友人に公演の手伝いをしてほしいと頼まれたのをきっかけに東京暮らしを始めた朝子の目の前に、麦そっくりの青年が出現。彼の名は丸子亮平。いつしか二人はつきあい始めるのだが、二〇〇七年、人気急上昇中の新人俳優となった麦とテレビの画面を通して再会した朝子は――。
この粗筋に鼻白んだ人にこそ読んでいただきたいのが、柴崎友香の『寝ても覚めても』です。運命の人と思った男に去られたヒロインが、その彼とそっくりな男とつきあうようになる設定や、運命の人が人気俳優になって再び目の前に現れる展開を「すてきー」と思うような人は、逆にこの小説を読むと、きょとんとしてしまうかも。なぜなら、この小説のどこを探しても「すてき」なんて見あたらないからです。それどころか……。
語り手の〈わたし〉は、出かける時は必ずフィルム式のカメラを持ち歩きシャッターを押しまくる“視覚”の人です。小説の冒頭は高層ビルにいる〈わたし〉が見ている光景の細密な描写が続きます。〈わたし〉の目は二十七階から見おろす地上の様子を見、近くで騒いでいる子供たちを見、カップルを見、遠くに見える山々を見、ガラスに流れる雨粒を見ます。それが延々続くのかと思われた時、この一文がふいに現れるんです。
彼の全部を、わたしの目は一度に見た。
いろんなものをとりとめなく映していたカメラのような目が、ここで人の目になる。小説の中にそれまで流れていた時間がここで一瞬フリーズする。光景描写に馴れてきていた読者をハッとさせる。この異化効果抜群の素晴らしい文章は後にもう一度現れます。
ただまっすぐに立ったその人の、全部を、わたしは一度に見た。
これは亮平と出会ったバージョン。このリピートに、読者であるわたしの胸は不穏な予感でざわつきます。というように柴崎さんは、朝子の気持ちの動きを朝子の目に代弁させ、その緩急自在な描写によって読者の気持ちをも動かすという、これまでの作品で培ってきた“目の文体”ともいうべき独自のテクニックを最新作でも十全に活かしているんです。
でも、今回はそれだけではありません。これまで「物語らしい物語がない」と評されがちだった柴崎さんが、二人のそっくりな男を好きになるという通俗的な物語を、十年という長い時間の中に描くことに挑戦したこの小説は、恋愛小説という甘やかな響きから連想する予定調和的展開を無視。穏やかで、情緒が安定していて、おとなしそうに見えた朝子が、麦が再登場してから取る行動と最後の決断に衝撃を覚えない読者はおりますまい。わたしなぞ、背筋がぞわっとして、思わず「こわっ」「きもっ」と口走ったものです。人が、目に見えるものをそのまま見るような素直な心持ちで自分の思いにストレートに従うと、恋はこんな異形を呈するのかと震撼。最後の十二ページ間で起こること、トヨザキは生涯忘れません。「恋愛小説なんて甘ったるくて読めない」という方にこそ読んでいただきたい、これは異常で異様な傑作です。
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