二千年紀一〇〇〇年間での最大の発明は何かと問えば、グーテンベルクの活版印刷だという声が高い。
だが、日本ではすでに奈良時代から、称徳天皇の発願による「百万塔陀羅尼」が印刷されている。平安時代には貴族が印刷に関わっており、武士の時代になると数百年は印刷の主役は寺院だった。大方は木版印刷であり、活版印刷が日本にもたらされたのは江戸時代直前だった。
ところで、安定した幕藩体制のもとに読書人口が増えると、活版印刷では書物の需要に応えきれなくなり、再版に有利な木版印刷があらためて盛んになったというから、皮肉である。京都・大坂・江戸を中心に印刷・出版の産業が生まれ、学芸や大衆向けの読み物が拡がったという。
『好色一代男』が飛ぶように売れ、『雨月物語』や『南総里見八犬伝』などの読本も多くの庶民たちに親しまれたが、その背景には貸本屋が拡がっていたことも特筆される。
活版印刷が本格的に定着するのは、明治政府の近代国家づくりに従うもの。世界史のなかで異彩をはなつ日本の印刷文化は今なお注目され、そこに「印刷文化学」が生まれる素地がある。