書評
『観客という凄まじい怪物 スペイン・ハプスブルク時代の演劇世界』(講談社)
秩序が崩壊した時代の喧噪
現代日本の観客は、総じて大人(おとな)しい。気に染まぬ舞台を観ても、じっと黙って耐えている。ところが、16世紀後半、スペインには劇場を喧噪(けんそう)の渦と化すモスケテーロと呼ばれる人々がいた。神聖な出し物、世俗的な演目を問わず、彼らが気に入らなければもうおしまいだ。罵声や口笛ばかりではない。舞台に投げつけるものを持ち込んで待ち構えていたというから話は物騒である。しかも、彼らの行動が、「芝居の成功・不成功の鍵を握っていた」のだという。
佐竹謙一による本書は、徹底して資料にあたり、当時の劇場のみならず、高邁(こうまい)な歴史書には現れない人間たちのありのままの姿を描き出す。レパントの海戦でオスマン帝国をやぶり、ポルトガルの併合によって「太陽の沈まぬ国」という言葉が生まれたスペイン帝国は、やがて繁栄から衰退へと向かう。
絶対王政の君主たるフェリペ4世(在位1621~65年)は、貧富の差が拡大し、貧困が蔓延(まんえん)するにもかかわらず、王みずから宗教儀式や祝祭に没頭した。坂道を転がり落ちるような時代に、特権階級から庶民まで、演劇にのめりこんだ。
劇作では成功せず、小説へと転じた『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスと対照的に、「わがままな観客の好みにあわせた」大衆演劇をうちたてたロペ・デ・ベーガは、厖大(ぼうだい)な数の戯曲を書き、大成功を収めた。その評伝であり、残された作の詳細な紹介となる第6章が本書の白眉である。
古代ギリシア・ローマおよびイタリアの古典演劇の様式を打ち破った「新しい演劇」に人々が熱狂した。それは、政治的、経済的な国力を背景にした既成の秩序が、崩れ去っていく時代の熱狂でもあったろう。
古くさくて、辛気くさい価値観がもろくも破壊されるとき、人間はときに快哉(かいさい)を叫ぶ。過激な行動に移る。日本の劇場も喧噪に包まれる日がくるのではないか。沈黙と静粛がすべてではないと私は教えられた。
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