書評
『はいつくばって』(新潮社)
ぶっ飛ぶ場面、それは私の中にも
四十五歳、音楽プロデューサーの夫と、子どもと暮らすアーティストの「わたし」は、住まいのあるLAから車でニューヨークにいく旅を企画する。しかしながら彼女は、自宅から車で三十分くらいの町のモーテルに泊まり、一室を自分好みに改装し、その町で知り合った青年との恋にのめりこむ。語り手の行動はぶっ飛びすぎていてもはや理解不能だが、読み手の私はふり落とされまいと必死についていく。
「わたし」は、ニューヨークを旅してきたかのように家に帰る。しかし日々はもとどおりにならず、夫婦関係も「わたし」も変化していく。
変化は、関係性や内面だけではなく、肉体にもあらわれる。初期更年期の症状に、「わたし」は戸惑い、まるで破れかぶれのように空回りしながら、あちこちにぶつかり、のたうちまわるような日々を送る。さらに「わたし」は、出産時に経験した、母児間輸血症候群のフラッシュバックにも襲われる。
そののたうちまわりかたも、ぶつかりかたも、想像を超えて激しくて、読んでいてすら彼女の痛みを感じ取るほどだ。実際のところ、読むのがつらくなって、もうふり落とされてもいい、と本を閉じそうにもなった。
この彼女の空回りや一方的な突進具合は、更年期への抵抗ではなくて、更年期のホルモンバランスの乱れゆえなのか。そう考えると、私とはいったい何かと疑問も抱く。体はこんなにいともたやすく私のぜんぶを支配するのか。
更年期についてあまり語られることがないのは、アメリカ社会でもそうだったのかと意外でもあった。生理もそうだが、隠すべきこと、恥ずべきこととしてタブー視されたり、からかわれたりすることが日本社会でも多かった。だから「わたし」が、年長の女性たちから体験談を聞き、みっともない体験も含めて逐一女友だちに話しながら、自身の変化を受け入れていく姿には、励まされるような、たのもしいような気持ちになった。それでもやっぱり、小説は、読み手の私とはまったく接点のない、積極的で突飛なところのある女性の話なのだ。
ところが三章のある場面で、一気に、遠かった「わたし」がこちら側の私をぐっとつかまえて、小説の渦中にひっぱりこんだ。接点もない彼女たちと、母児間輸血症候群が何かも知らない私は、その刹那(せつな)、同じ時間を過ごし、感じたことのない一体感に包まれた。ぶっ飛んで個性的な「わたし」は、まさに私の隣に、いや、もしかしたら私の内に存在していた。
今まで自分に起きたすべてのこと、うまくできたこと、意に沿わなかったこと、理不尽だったこと、舞い上がったこと、納得できないこと、それでも受け入れてきたこと――言葉になるものならないものが一瞬にしてよみがえり、自分の内に定着するような錯覚を、彼女たちとともに私は味わった。そのことに私は、驚きを通り越してぶちのめされた。恍惚(こうこつ)すら感じた。
そこから先は、これ以上なくうつくしいラストに向かって、私も「わたし」たちと加速する。更年期は描かれるが、更年期小説とくくるにはもったいなすぎる。思いどおりにならない日々と格闘したことのあるすべての人に向かって開かれた、読む、というより、出会う、という言葉がぴったりくる小説である。
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