対談・鼎談

『キリストの誕生』遠藤周作|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/10/06
キリストの誕生  / 遠藤 周作
キリストの誕生
  • 著者:遠藤 周作
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(295ページ)
  • 発売日:1982-12-28
  • ISBN:4101123179
内容紹介:
愛だけを語り、愛だけに生き、十字架上でみじめに死んでいったイエス。だが彼は、死後、弱き弟子たちを信念の使徒に変え、人々から"神の子""救い主"と呼ばれ始める。何故か?-無力に死んだイエスが"キリスト"として生き始める足跡を追いかけ、残された人々の心の痕跡をさぐり、人間の魂の深奥のドラマを明らかにする。名作『イエスの生涯』に続く遠藤文学の根幹をなす作品。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

丸谷 「須磨源氏」という言葉があります。「須磨」の巻まで読んだだけで『源氏物語』を読んだことにしてしまうという意味ですけど、この調子でいうと、大抵の日本人のバイブルとの関係は、「マタイ聖書」でしょうね。つまり、「マタイ伝」を読んだだけで『新約聖書』がわかった気になっている。この本は、そういう日本人的なキリスト教理解の弱点を補うのに非常にいい本です。

遠藤さんは先年、『イエスの生涯』という本を書きましたが、これはその続篇です。著者によると、イエスの死と復活で終る四福音書は、二幕目までにすぎず、そのイエスが、弟子たちの精神的共同体の中で救い主になるまでが大事な第三幕である。著者は、その第三幕をこの『キリストの誕生』で書いたわけです。

イエスの生涯  / 遠藤 周作
イエスの生涯
  • 著者:遠藤 周作
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(264ページ)
  • 発売日:1982-05-27
  • ISBN:4101123160
内容紹介:
英雄的でもなく、美しくもなく、人人の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?-幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせたイエスの"生"の真実。

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イエスの生涯はいわば素材であった、その素材に衝撃を受けたイエスの弟子たちと原始キリスト教団とは、イエスの生涯と死と復活とを、いわば芸術作品として再構成した、という見立てを遠藤さんは行なっています。

弟子たちは、イエスの処刑の際、無力な師を見捨てて逃げ、裏切った。それにもかかわらず、イエスは弟子たちを相変らず愛した。それは裏切った子と、愛してくれる母との関係であり、そこから人間のすべての罪を背負うイエスのイメージ、人間のすべての弱さ、哀れさを理解してくれるイエスのイメージが生まれた。弟子たちは、ユダヤ教と対立したり、妥協したりしながら、このキリストのイメージを広めていった。そしてこれを受け継いで、一層強固にしたのは、最初は迫害者の一人であったポーロです。改宗者となった彼は、弟子たちが主として生前のイエスを問題にしたのに対して、イエスの死の意味と、復活の秘儀に関心を抱いた。彼は、十字架にかけられたイエスの死の意味を、人間と神との和解の生贄として捉えた。そして、人間が神の怒りをなだめるために差し出すものという在来の生贄観を百八十度転換させて、神が人間の罪を許すため、「神の子キリスト」を地上に送り、人間の罪をすべて負わせた、と考えた。

これがキリストの誕生という、世界精神史における最も不思議な事件の大ざっぱな要約なんです。遠藤さんは、ローマ帝国とユダヤ教の歴史を充分に見据えながら、そしていかにも小説家らしい人間心理への洞察をほうぼうで示しながら、これを展開してゆきます。

最も心を打つのは、キリスト教の信仰は自分にとってなぜこんなに感銘が深いのか、という問題設定に全力で答える形で勉強し、それによって得た自分の答えを、自分の言葉で語っているところです。

こういう全人間的な追求のしかた、貴任の取り方こそ、人間が本を書くという行為だと、ぼくは思いました。

山崎 この本は、ある意味でたいへん強烈なイデオロギーの書であるように、わたくしには見えました。これは遠藤さんの年来のテーマで、小説『沈黙』、あるいは戯曲『黄金の国』などに表われている考え方を、いわば理論化されたようなものですけれども、日本人であってクリスチャンであるという複雑な立場の、非常に高らかな宜言と読み取れました。

遠藤さんの理解によると、本当の意味のキリストの誕生は、イエスを裏切った使徒たちの後悔の念と、自分たちの弱さの自覚から出発している。また、キリストというのは普通、父に繋がる子、つまり、男の系譜の中の存在として受けとるのですけれども、遠藤さんはキリストの中に母のイメージを読み取ろうとしている。どちらも、たいへんユニークな見解です。

ここで遠藤さんがつねに注目したいのは、初期キリスト教団、つまり、使徒たちの弱さの面です。たとえばペテロは、『聖書』にも書かれているように、イエスを否定するという形で裏切るわけですが、その裏切りは一回だけではなかった。のちにステファノというギリシャ系ユダヤ人が非常に過激なキリスト教運動をやり、ついに殉教するんですが、そのときもペテロはステファノを裏切ったらしい。そう遠藤さんは推察し、ここにペテロの弱さを発見して、むしろ同情と共感を披露しておられる。

さらにポーロはローマで殉教したらしいんですけれども、その死に様が『聖書』の中にちゃんと書いてないのはなぜか。多分これはきわめて哀れな死に方をしたのにちがいない。遠藤さんの書き方は、ほとんど願望に近いものでありまして、どうしてもポーロに哀れな死に方をしてほしいんですね(笑)。

この本が聖書学的に、あるいはキリスト教神学的にどういう意味をもつかわかりませんけれども、ぜひ英語かフランス語に翻訳して外国人に読ませたいと思いました。

(次ページに続く)

初出メディア

文藝春秋

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