コラム

ぼくのロクス・クラシクス

  • 2017/10/28

古典としての六〇年代学

ぼくの古典はと尋ねられれば、それはグスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』に尽きる。

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫) / グスタフ・ルネ・ホッケ
迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
  • 著者:グスタフ・ルネ・ホッケ
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(512ページ)
  • 発売日:2010-12-17
  • ISBN:4003357515

※書店によっては、在庫の無い場合や取り扱いの無い場合があります。あらかじめご了承ください。
※詳しい購入方法は、各ネット書店のサイトにてご確認ください。

ちょうど若きヴェルテルたちが「クロップシュトック」という、当時ドイツ・ロマン派の驍将だった人の名を窓辺でそっと呟くだけで、恋人たちの熱い思いを伝えあうことができたように、ぼくらの世代は「ホッケ」と呟くだけで、ものを知りたい、もっと知りたいという純粋にして無償の知的欲望、知的快楽に憑依されたかのごとく、眩暈(めまい)に似た感じに陥ることになる。この一冊と言われればこれしかない。ぼくの愉しみ、ほくの慰め、ぼくの青春、そしてぼくの奇妙な語学校でさえあった。

大学二年の秋だかに、由良君美氏の潑剌たる説明に感心するまま第四版を落掌して、一読魅了されてしまった。マニエリスムをキーワードに、哲学も美術も文学も一切合財をわしづかみにした八宗兼学の知の大魔人が舌なめずりしながら説きさる危機と終りの美学。大学紛争の教室で覆面学生たちが天金革装の洋書を燃してする焚火の炎の向こうに、十六世紀末、「世界の終り」の糸口となったローマ劫掠(ごうりゃく)の紅蓮の炎がめらめらと燃え上がっているのが見えるような気分だった。一九六九年の秋、東京の大学にいたというそのことが、この本をぼくの青春の一冊にした。世相が落ち着いてから雨後の筍(たけのこ)のように出てきたマニエリスムやバロックについての学問的お喋りなど、何の関心も湧かなかった。人にとってその一冊とは、その人にとってのそういう「刹那」と結びついてのみ存在するものなのだろう。ある瞬間と結びついているのだ。

ホッケは文学史書き換えの大立者、大ロマニストのエルンスト・ローベルト・クルチウスの高弟ということになっていて、端正なたたずまい、調和や均衡をよしとする新古典主義文化に対して、猥雑なもの、非合理なもの、きわものなどに惑溺する「マニエリスム」の文化の存在を認めたクルチウスやマックス・ドヴォルシャックの学業をさらに一歩進め、そうした美術史内部の範疇論争からもっと世界や文化全体にかかわる大きな動向としてマニエリスムを拡大解釈し、ぼくらが非合理だ、異端だと呼んでイメージするような負の文化相を、ほとんどその全域においてカヴァーしさってみせた。本当は美術史内部でまだまだ細かい論争を必要としていた概念を、そうやっていかにも俗耳に入りやすい形で、おいしいところだけ掻き集めて一冊にまとめたというので、クルチウスのいかにも慎重な学匠ぶりの方をよしとする文芸評論家篠田一士氏などは、ホッケを先生の名を恥ずかしめる「ぺてん師」などときめつけずにはおかなかった。思うに、人種がちがうのである。

美と調和、区分と均衡をよしとする感性は、しかしホッケの本が出た頃(一九五七)のヨーロッパ、そしてその訳が出た時(一九六六)の日本では、ほぼ限界に達していたのではなかろうかと思われる。端正な文化相など、久しくヨーロッパをモデルに築きあげられてきた人文主義など、第二次大戦禍とアウシュヴィッツの悪夢でけしとんだ。ひとつの文化の終り。次の文化の形はまだ見えない。既にといまだの間の宙吊り状態は、かつて端正の文化がきわものとして抑圧してきた混沌や混淆を一挙に噴き出させるだろう。次の端正の文化のサイクルが来るまで、混沌の文化のサイクルに五〇年代末から世界は突入しつつあった。スエズ動乱を決定的転機にアメリカが文化の象徴となる。混沌の別名でしかないポップ・アート、ポップ・カルチャーの国アメリカが世界の中心になっていったこと自体、文化のサイクルが「ぺてん師」たちの世界に突入中であったことを示していたはずだ。

ホッケの本が出た年にはもう一冊、ヴォルフガング・カイザーの『グロテスクなもの』が出ている。マニエリスムにしろグロテスクにしろ、長く抑圧されてきた混沌たるもの、端正な範疇を脅かすものに与えられる名である。われわれの文化はそうしたものをシャドーとして自らの地下なり秘部なりに押しこめてきた。あとで知った言い方で言うなら、本来混沌たる「多重」のものたる現実をひたすら単純化し、一元化してきたわけである。はすかいに眺めれば現実の本来の姿が多重化して見える、そうユルギス・バルトルシャイティスは考えた。このリトアニア出身の美術史家は、従って端正な世界を生み出す象徴としての単線遠近法に目を向け、それが見えなくしてしまう世界を逆にいつも見させてしまう「奇妙な遠近法」としてのアナモルフォーシスに注目した。彼の『アナモルフォーズ』は一九五五年に出ていて、ホッケの二年後に来る本のためのすばらしい霊感源となった。その五五年には今度はアメリカで文化史家ワイリー・サイファーが『ルネサンス様式の四段階』を出して、端正の文化に対するいかがわしい否(ノン)と挑発の「ぺてん師」的文化の存在を明るみに出し、それをマニエリスムと名づけた。マニエリスム、グロテスクに対する関心が一九五五年ー五七年をひとつの節目にして、欧米全体に台頭してきたことが分かる。

グロテスクなもの―その絵画と文学における表現 (叢書・ウニベルシタス) / ヴォルフガング・カイザー
グロテスクなもの―その絵画と文学における表現 (叢書・ウニベルシタス)
  • 著者:ヴォルフガング・カイザー
  • 出版社:法政大学出版局
  • 装丁:単行本(301ページ)
  • ISBN:4588000039

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アナモルフォーズ バルトルシャイティス著作集(2) / ユルギス・バルトルシャイティス
アナモルフォーズ バルトルシャイティス著作集(2)
  • 著者:ユルギス・バルトルシャイティス
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(383ページ)
  • ISBN:433603138X

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ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌 / ワイリー サイファー
ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌
  • 著者:ワイリー サイファー
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(389ページ)
  • ISBN:430926090X

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果敢なぺてん師たちが跳梁する

そこで話は急にぼくの個人的なことになるのだが、ぼくが地方の某有名受験校で試験勉強ばかりしていた六〇年代末あたりから、今言ったような、方法として混沌とかグロテスクを召喚するような本が邦訳され始めていた。一九六八年、大学入学をはたし上京してきたぼくは、そこで由良君美という白皙美男の俊才助教授と出会ったのであった。いかにも哲学出身の人らしく、思想的なハードな文学をやっていて、エルンスト・ブロッホの英訳だの、ケネス・バークだの、ノースロップ・フライだの、昨日まで英数国漢しかやってこなかった無知な少年には気の遠くなるような、今から見ると実に傍若無人に「ナウ」いテキストが、この人の授業やらゼミナールやらには次々と繰り出されてきた。勉強ぎらいの学生にはしんどかったようだが、熱烈ファンも多く、富山太佳夫、四方田犬彦など、今をときめく俊秀が次々とその世に言う「由良ゼミ」から輩出されている。人文系には珍しく緊迫感のある世界だった。

夢野久作を読む、ということになって、ではすぐ何冊か読んでくること、という本の中にホッケが入っていたりするわけだ。カイザーもバシュラールもエリアーデも、ユングもバフチーンも、六〇年代末の一切合財がこの人の頭脳と言葉を通してぼくらの空虚な頭脳にあふれ、ほくらの貧しい書棚を占めていった。人類学の山口昌男という男、これはこれから必ず途方もなくえらくなる奴だ、と由良氏が言ったのをおぼえている。

遅ればせながら日本も六〇年代末の世界的な混沌状況に追いついたものであろうか――と思えるほどに、右(事務局注:上)にあげたような、端正な伝統的知にゆさぶりをかける「見なれぬ知」がドッと書店にあふれたのである。ホッケの邦訳が一九六六年。カイザーの邦訳が六八年。混沌の文化をノンセンス、不条理演劇、道化論として論じたマーティン・エスリン『不条理の演劇』(一九六一)もこの六八年に邦訳。シェイクスピアをグロテスクの側にひきつけたヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』も同じくらいのタイミングで日本語になっている。よほどいいブレーンを持っているものと見え、法政大学出版局の「ウニヴェルシタス」叢書だとか、せりか書房とか、そこから出る本ならともかく何でも読んでみたいと思う本屋がいくつもあり、マニエリスム・ブームに火をつけた特集を中心に俄然生彩を放っていた『海』、澁澤、種村、由良といった書き手が毎号文章を連ねていた『みづゑ』、同じ人たちによる巻頭連載が毎月、ぼくらの乾き切った頭脳にごくごくと呑みほされていった感じの復刊『ユリイカ』、同じく錬金術、カバラ特集で永劫不滅の『パイデイア』……と少し書き連ねるだけで、口の中にじっと唾液がにじんでくるような感じがする。裏に、後の「超編集者」安原顯が「暗躍」していたらしい。

大学紛争の渦中である。机も椅子もなく、たき火でもしたのか床の中央部が焼けこげて穴ぼこになっている教室で窓辺に坐り、通りかかる美女、南由紀子の姿をちらりと目のすみに入れながら一人読んでたカイザー。放水をかぶって、書きこみのインクがにじんでしまっているバシュラールとジャン・ピエール・リシャール。リシャールの『詩と深さ』は、透谷を講じながら越智治雄氏が熱烈に勧めてくれたもの。ぼくが坐っていた席には昔、三島由紀夫が坐っていたんですよと言って笑った氏も、もうこの世の人ではない。

ぼくの蔵書の中に、まるで秘聖所のようにその中心にあって、いつも変らぬ一角がある。と言っても本棚で二段分ほどのスペースなのだが、大学入学、由良氏との出会いといった熱い時間の経過をとどめている。ホッケ『迷宮としての世界』、カイザー『グロテスクなもの』、ジャック・ブースケ『マニエリスム絵画』(未邦訳)、バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』、エスリン『不条理の演劇』(但しペンギン版)、サイファー『文学とテクノロジー』(英語版)、フーコー『言葉と物』(仏語)、バフチーン『ラブレーの世界』(英訳版)、由良君美『椿説泰西浪曼派文学談義』、山口昌男『本の神話学』などが、問題の雑誌特集号などと一緒にひっそりと並んでいる。これがぼくのロクス・クラシクス、文字通り「古典の場」なのだ。現実を「多重」に見る勇気、そのためには敢えて「ぺてん師」となって端正な範疇の枠を自在に超えていく勇気を、これら六〇年代末の「古典の場」は教え続けてくれる。

椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー) / 由良 君美
椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー)
  • 著者:由良 君美
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(399ページ)
  • 発売日:2012-07-12
  • ISBN:4582767672

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本の神話学 (岩波現代文庫) / 山口 昌男
本の神話学 (岩波現代文庫)
  • 著者:山口 昌男
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(304ページ)
  • 発売日:2014-01-17
  • ISBN:4006003056

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『迷宮の世界』邦訳本初版を見つけだしたのは大分あとのことである。第五版以降も買い続けたが、改装版が出て買うのをやめた。もうぼくの本とはちがう、と思った。ドイツ語原書を買った。改めて邦訳本の凄さを教えるチャチな本だった。仏訳本は『幻想美術の迷宮』という題で、相当ズサンな訳のチャチな本だった。同じホッケの姉妹篇『文学におけるマニエリスム』は、なぜかまず伊訳本(一九六五)が手に入った。それらの本を、種村訳を傍らに対訳本として味読することで、ぼくの学生時代は終ったと言ってよいかもしれない。荒廃した大学の没落風景も嫌いでなかったけれど、ぼくにとって真の「大学」はこの一冊に尽きたのだ。ぼくの語学は切迫していた。二冊の姉妹篇を合本、カラーも含め図版もふえた大型本が一九八七年に出た。一万八千円と信じ難い安さ。深夜、仕事の手が少しでもあくと、やおらこの本のページを繰り始める。すると夜毎に、ぼくはすぐ青春に舞い戻ることができる。

文学におけるマニエリスム  言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術 (平凡社ライブラリー) / グスタフ・ルネ・ホッケ
文学におけるマニエリスム 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術 (平凡社ライブラリー)
  • 著者:グスタフ・ルネ・ホッケ
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(703ページ)
  • 発売日:2012-08-12
  • ISBN:4582767699

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【このコラムが収録されている書籍】
ブック・カーニヴァル / 高山 宏
ブック・カーニヴァル
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:自由國民社
  • 装丁:単行本(1198ページ)
  • ISBN:4426678005

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初出メディア

リブラリア(終刊)

リブラリア(終刊) 1988年11月

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