書評
『日本のかたち・アジアのカタチ―万物照応劇場』(三省堂)
耳を澄まし「形」の言葉を聞く
この本『日本のかたち・アジアのカタチ』(三省堂)は「まず、一つの体験を記してみたい」と始まる。福岡(柳川)の凧(たこ)に「提灯、幟、巴(ともえ)紋の太鼓に一対の鯛。それに日の丸扇と酒徳利が加えられ、その全体を大きな唐傘が覆っている」という図柄があるが、それが「ブータンのチベット仏教寺院の壁面に描かれていた一つの文様」とそっくりなのに著者は気づいた。ここから、デザイナー杉浦康平のアジア図像紀行がはじまるのだが、たしかに言われてみると柳川とブータンほどじゃないにしても、アジアのいろんなところで同じような図像を見かけることがある。竜や鳳凰なんか一番いい例で、日本から東南アジアまで分布するし(昔は中国に本当にいたが、食べ尽くされたという説もある)、狛犬もいれば、巴の形、ギョロ目、日月、鶴亀などきりもなくある。
そうしたさまざまな形をアジア全域から採集し、二十八のテーマに分けて来歴と意味を語るのが本書なのだが、その語り方が民俗学者や文様の研究者とだいぶちがう。学術的な知識から入らず、まるで絵描きが対象を見つめるように形とじかに向き合ってその言葉を聞きとろうと耳を澄ますのだ。
たとえば日本のデンデン太鼓にも韓国の国旗にも昔の屋根瓦の先っちょにも付いている巴について。「一瞬の雷光。吹きすさぶ風。雨となり地上に降りそそぐ天の水は、逆巻く激流を生みだす。地表を駈けぬけるエネルギーの奔流」。巴の形についてこういう説明からはじめた人はこれまでいない。次に、大地を渡る風と水の動きを「大自然の幽(かす)かな身じろぎ」と語る。風と水が大地の身じろぎだなんて、なんと心地よいイメージだろう。読んでいると孫悟空になってアジアの空を飛んでるような気になる。その身じろぎが風と雨という渦を生み、「山川草木のことごとくを渦巻くもので包みこむ」。この森羅万象を活気づける渦が巴や卍の形の源だというのである。
われわれが見なれた絵画の中にも著者の図像探索は踏み込む。たとえば俵屋宋達(たわらやそうたつ)のかの風神雷神図のカミナリ様の姿。両手に握ったバチがなぜ金属製で亜鈴(あれい)型をしているのか? 音は分かるとして稲妻はどうやって出すのか?
こうした謎を読者に投げかけておいてから、探索を進める。そして導かれる結論は、古代の西方のヒッタイト文明の嵐の神が手にしていた稲妻発生用の槌(つち)がインドの密教に入り、密教最高の法具としての金剛杵(ヴァジュラ)となり、雷光(仏智の輝き)と落雷(煩悩払い)を表するようになり、それが宋達の絵に入った。つまりカミナリ様は手にした金剛杵で太鼓をゴロゴロ鳴らし、金剛杵を打ち合わせて稲妻を発生させるのである。
というような二十八章を終えた後、目の哲学が語られる。
「地上に直立する人間が、身体に秘める二つの球体。それはいうまでもなく、左右二つの眼球」。
「人を支えるこの大地は、なぜか二つの光球を天に戴いている。太陽と月」。人間の二つの眼球はそれぞれ太陽と月に結び付いており、目玉の中に宇宙がある、というのである。
今やデザイン界では伝説上の人物になりつつある杉浦康平の二つの眼球が、地上に向かって稲妻を打ち出している。
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