作家論/作家紹介

逢坂剛『百舌の叫ぶ夜』『デズデモーナの不貞』『禿鷹の夜』

  • 2017/11/25
逢坂剛は一九四三年、東京都生まれ。父は挿絵画家の中一弥である。早くからミステリーに親しみ、特にハメットに大きな影響を受けた。同時に西部劇映画とフィルム・ノワールにも耽溺し、大いに造詣を深めた。中央大学卒業後、広告代理店の博報堂に勤めるが、そのころからフラメンコの魅力にとり憑かれ、スペイン現代史について研究するようになる。本来の処女作は「力ディスの赤い星」だが、あまりに大部な作品のため出版は難しく、とりあえず作家デビューを果たすために各賞に応募を始める。八〇年に短篇「暗殺者グラナダに死す」が第一九回オール讃物推理小説新人賞を受賞してデビュー。八一年には処女長篇『裏切りの日日』が刊行された。念願の『力ディスの赤い星』は八六年に刊行されている。

逢坂は多彩なスタイルを持つ作家であり、作域も実にさまざまである。『カディスの赤い星』を含むスペインものが一応看板といえるだろうが、その他にも『さまよえる脳髄』(八八)などの精神医学ミステリーあり、デビュー作『裏切りの日日』にはじまる公安警察ものあり、と決してーつの枠にとどまることがない。だが、ノワールという観点かりすると、公安警察ものを最初に取り上げるべきだろう。

日本の公安警察は刑事警察と異なりほとんど広報活動を行わないため、国民の目からまったく隠れた存在だった。それが表舞台に出てくるようになるのは、オウム真理教事件など、一連のテロ犯罪が表沙汰になった九〇年代前半のことである。『裏切りの日日』が発表された八一年当時には、まさしく闇の組織だったのである。全社会階層を串刺しにする公権力の中に、まったく開かれていない組織があるという不条理。逢坂はそこに着目して公と私が対立する局面を描き出そうとした。
その代表作が『百舌の叫ぶ夜』(八六)に始まる一連の「百舌シリーズ」だろう。能登半島の突端で発見された記憶喪失の男をめぐる謎と、東京新宿で発生した爆弾事件の捜査。その二つのプロットがカットバック的に描かれ、それがやがて大きなうねりとして、一つの絵図を現出させていくのである。逢坂は影響を受けた先行作品について、特に五〇年代のノワールから多く学んでいることを明かしているが、たとえば『百舌の叫ぶ夜』には、ビル・S・バリンジャーの影響が見てとれる。

一応「百舌シリーズ」には、倉木尚武警部と明星美希部長刑事というシリーズ・キャラクターが存在するが、これらの登場人物からシリーズの安心感を得ることはできない。逢坂の小説では、重要な登場人物(ということは読者の共感を集める人物)であっても、最後まで生き延びることができるとは限らないからである(逢坂はこの技法をジェイムズ・ハドリー・チェイスらに学んだものだろう。チェイスはドライブ感と引き換えに、平気で登場人物を使い捨てしていく作家だった)。

このシリーズを読んでいて読者が第一に受けとるものは、何者も信用できないという不安感である。逢坂というくせもの作家の書くプロットはむろん信用できないが、そこに描かれている登場人物たちも、見かけどおりの内面を有する者は皆無である。みな、どこかが変なのだ。一見普通に見える人物さえ、どこか心にひびの入った「壊れた」人間なのである。シリーズが進んでいくたび、誰かのどこかが「壊れて」いく。

いわゆるスペインものにもノワールの濃い影が落とされている。たとえば近年の作品『熱き血の誇り』(九九)では、あるフラメンコ歌手のヒターノ(ロマ族系のスペイン人)が、日本人の女性ギタリストをレイプしようとした男に制裁を加え、死に至らしめてしまう。その結果彼は殺した男の一族から、つけ狙われることになるのだ。正当防衛など言い訳にもならない血の論理が、この小説を覆っているのである。理不尽な暴力の脅威と、そこから涌き出てくる不安感――ノワールの核となる要素である。

また、精神医学的手法からノワールの雰囲気がにじみ出てくることもある。『デズデモーナの不貞』(九九)は『まりえの客』(九三)にも登場するバー〈まりえ〉の女主人・まりえを狂言回しにした連作集であるが、ノワール的なゆがんだ空気に満ち満ちている。〈まりえ〉で女と待ち合わせをした男が異常な体験をする「闇の奥」、店の客同士の会話がじわじわと狂気の方へとずれこんでいく「奈落の底」など、精神の暗部がさまざまな形で描き出されていくのである。最後「まりえの影」だけは、やや趣きを変えてフィルム・ノワールの一場面を見るかのようなはかない一幕劇である。

このように各作品にノワールの要素を散らすことによって、一定の作品イメージを形作ってきた逢坂だったが、ついにそれだけでは飽き足らず、自ら本寸法のノワール小説を書き始めた。それが『禿鷹の夜』(二〇〇〇)である。

主人公の〈禿鷹〉はいわゆるマル暴の刑事だが、ヤクザ社会の中では蛇蝎のごとく嫌われている。なぜならば、ヤクザとマル暴の持ちつ持たれつの関係を覆しかねない、自分本位な男だからだ。この〈禿鷹〉は、刑事でありながら平然と賄賂を受け取る。つまりは悪徳警官なのだが、同時に決して暴力団の意のままに動かすことのできない人間なのだ。暴力団にわたりをつけるのでも、まず組の者を痛めつけてから話をしようとする。そんな非情な部分と、女に入れこんで我を忘れたりする部分がちぐはぐに組み合わさっており、鋳型に収まらない奇形な人物像なのである。その風貌は、ヘンリー・ハサウェイ監督の映画『死の接吻』(四七)で殺し屋を演じたリチャード・ウィドマークに瓜二つだ。彼を主人公にした連作が現在継続中だが、人物造形と同時に文章と文体による不安感の醸成にも配慮したシリーズとなっており、古典的ノワールファンを泣かせる完成度である。今後の展開を楽しみにしたい。

【必読】
百舌の叫ぶ夜 (百舌シリーズ) (集英社文庫) / 逢坂 剛
百舌の叫ぶ夜 (百舌シリーズ) (集英社文庫)
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(456ページ)
  • 発売日:2014-03-20
  • ISBN:4087451666

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デズデモーナの不貞 (文春文庫) / 逢坂 剛
デズデモーナの不貞 (文春文庫)
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(294ページ)
  • ISBN:4167520044

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禿鷹の夜 (文春文庫) / 逢坂 剛
禿鷹の夜 (文春文庫)
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(375ページ)
  • 発売日:2003-06-01
  • ISBN:4167520060

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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