作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】アーヴィン・ウェルシュ『トレインスポッティング』『エクスタシー』『フィルス』

  • 2017/12/30
アーヴィン・ウェルシュは一九五八年、スコットランドの首都エディンバラの港町リースで生まれた。労働者階級に属する実家は貧しく、彼は一六歳で学校を辞め、職を転々としながら、口ンドンへと流れつく。お決まりのパンクとヘ口インの日々である。幾人ものジャンキーたちが、同じように口ンドンに流れ着き、ヘ口インで自滅していった。そこから抜け出せるか否かは、コイントスのように偶然性だけで決まるものだが、ウェルシュは幸運にも社会復帰を果たすことができた。やがて彼は、リースの町を舞台に半自伝的小説『トレインスポッティング』(九三)を書くのである。それは、同じようにヘ口インに毒され、そこから抜け出すことのできなかった仲間たち――コイントスで裏が出てしまった連中――への挽歌でもあった。

ウェルシュはしばしば、ポスト・ポストモダンの旗手としてかつぎだされる作家である。いわゆるアヴァン・ポップ――ポップ・カルチャーを選択的に融和させた文学の作家であることは間違いないし、長編『フィルス』や『マラボゥストーク』を見ても、文節・段落をモザイクのように組み合わせた痙攣的な文体や、多用されるギミックなどに、文学的伝統からの逸脱の意志が覗けているのである。ウェルシュ自身インタヴューに答えて、自分自身がイギリス文学の中のアウトサイダーであり、本当の支持層はクラブシーンなどに群がる若者たちである、と自己分析しているが。ただ彼をカウンター・カルチャーの寵児に祭り上げてしまうだけでは意味がない。彼がポップの影に潜ませているものを探ることこそ、ノワール読みの態度である。

恰好のサンプルとなるのは、中篇集『エクスタシー』(九六)だ。収録作の中でもっとも『トレイン・スポッティング』に近い雰囲気を持っているのは、巻末の「懲りない」だろう。冒頭のアシッド・ハウスで繰り出される饒舌なおしゃべりからすでに処女作を連想させるものがあるし、ストーリーもノー・フューチャーな連中が人生を変えようとする――しかし変わらない、というものである。E――エクスタシー(MDMA)は、変わらない自堕落な生活の象徴である。ポップで、ふわふわと浮遊している。

ところが、他の二篇は違う。ここではクラブカルチャーは後退して、一気にどす黒い悪意が噴出してきている。まず「ロレイン、リヴィングストンに行く」だ。ウェルシュお得意のカットバック方式で、お伽話の世界に逃避するロマンス作家、彼女の稼ぎで暮しながら娼婦相手の変態セックスに明け暮れるその夫、義父にレイプされた経験から恋愛そのものに嫌悪感を抱くようになった看護婦、死体相手のソドミーを趣味とする霊安室の職員、たちの人生を垣間見せながら、合間にロマンス小説の砕片をはさみこんでいく形式をとっている。このロマンス小説のストーリー展開が小説世界内の時間経過と呼応しているところがポイントで、見事に作中作の技法が利いている。一応自分捜しのサクセス・ストーリーになっているので、読み終わった後に暗い気分を残さないところが上手く、ウェルシュが読者の気分を操作するような、技巧に長けていることを証明する作品である。

曲者なのは、次の「幸福はいつも隠れてる」だ。ここでウェルシュは明らかに読者を暗い気分の方へ導こうとしている。腰の落ち着かないフーリガンの青年(離婚歴あり)が主人公だが、そのポップさは重い主題が底まで沈みきらないようにするための浮きにすぎないようにさえ見える。ここで語られているのは徹底的な絶望なのだ。テナサドリン(架空の薬物名だが、サリドマイドがモデル)によってアザラシ肢症の障害を持って産まれてきた女性が、薬害に関わった者たちに復讐を遂げる物語。

作中に何度もマギー=マーガレット・サッチャーの言葉が引用されるのは、決して偶然ではないはずだ(「マギーが言ってただろう。ビジネスの繁栄はイギリスの反映につながるとか何とかって」)。サリドマイド薬害とサッチャー政権には時差があるのだが、その意味するところは同じである。個の圧迫、搾取。復讐者たちは、犯行の動機を偽装するために、民族解放主義者を偽って現場にメッセージを残す(「ウェールズをウェールズ人の手に/イングランド人は卑しいブタ」)。偽装でありながら、このメッセージにはーつの真意が隠されている。イングランド=政治の絶対的な勝者への抗議である。

イギリスの文化は、正統=イングランド・国教会と異端=イングランド以外のイギリス・カソリックとの対立で成立している。ポップに浮遊するかに見えるウェルシュの小説も、彼がスコットランド人であるという出自ゆえに、この対立構造の上に立脚した小説なのである。『トレインスポッティング』がロンドンではなく、エディンバラのリースを舞台に成立しているのはそのためだ。

ウェルシュの最高傑作にして、最悪の文学作品である『フィルス』(九八)は、その意味ではもっとも徹底している。エディンバラ警察に勤務するブルース・ロバートソン部長刑事が主人公だが、いかにも最低最悪な生き方が暴走気味に描かれていて、映画『トレインスポッティング』しか知らずに本を手にとった読者なら、即座に逃げ出しそうな内容である。ノワール小説の鉄則である、隠語へのこだわりも豊富だ。言うまでもなく、スコットランド人でありながら「法」の権力をかさにきてスコットランド人に圧政をしく、「ブタ野郎」をカリカチュアライズしてみせるのがこの小説の真の目的だ。当然マッチョな偽装の下には、本来の人格が眠っているのだが、それは陽の光を浴びた途端に自ら背負った権力自体に押しつぶされて悲惨な最期を遂げる。なんとも皮肉な結末である。

ウェルシュ作品は、ポップカルチャーの浮かれ具合と、ポリティカルな抗議のテーマが結合した現代の新しいノワール像を指し示すものといえるだろう。

【必読】『トレインスポッティング』『エクスタシー』『フィルス』
トレインスポッティング〔新版〕  / アーヴィン・ウェルシュ
トレインスポッティング〔新版〕
  • 著者:アーヴィン・ウェルシュ
  • 翻訳:池田 真紀子
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(529ページ)
  • 発売日:2015-08-21
  • ISBN:415041355X
内容紹介:
仕事も将来の望みない無意味な毎日の中で繰り広げられる、ジャンキーたちのサバイバル

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エクスタシー  / アーヴィン ウェルシュ
エクスタシー
  • 著者:アーヴィン ウェルシュ
  • 出版社:角川書店
  • 装丁:文庫(408ページ)
  • 発売日:1999-11-01
  • ISBN:4042785026

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フィルス / アーヴィン・ウェルシュ
フィルス
  • 著者:アーヴィン・ウェルシュ
  • 翻訳:渡辺 佐智江
  • 出版社:パルコ
  • 装丁:単行本(590ページ)
  • 発売日:2013-11-02
  • ISBN:4865060456
内容紹介:
人生はゲーム、勝者はただひとり、それはおれ。哲学的サナダムシを腹に宿した無敵のスコットランド人刑事ブルース・ロバートソンは、警部補に昇進するため、同僚刑事たちを陥れる裏工作に余念がない。そこに殺人事件が発生するが、捜査は難航。果たして真犯人の正体は。ロバートソンは昇進レースを勝ち抜き、妻子を取り戻せるのか。凍てつく十二月のエディンバラを舞台に繰り広げられる、前代未聞の極悪警察ミステリー。鬼才アーヴィン・ウェルシュの代表作にして、英国で55万部突破の大ベストセラー。

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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