作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】ハロルド・ジェフィ『ストレート・レザー』『Madonnna and Other Spectacles』

  • 2017/12/20
クラシカル・ノワールばかりを取り上げるのもちょっと問題だろうから、日本にあまり馴染みのない作家の名前を挙げておこう。ハロルド・ジェフィ、一九四一年生まれの作家である。

ジェフィはニューヨーク生まれだが、高校卒業とともにニューヨークを離れ、バスケットボールの選手として奨学金を与えられたアイオワ州のグリンネル大学に入学する(選手生活は怪我のため断念)。その後陸軍に徴兵され、退役後はニューヨーク大学大学院に進み、博士課程を修了させている。作家として最初の作品集は『Morning Crazy Horse』(八二)。以降長篇『Dos Indios』(八三)、短篇集『Beasts』(八六)を経て、次第に独自のスタイルを完成させていく。

『ストレート・レザー』(九五)は、ジェフィの八冊目の著作である。一冊まとめての翻訳は、これが初めてだ。この中には一二の短篇が収められている(六篇ずつ第一部、第二部にわかれているが、これはレコードのトラックにならったものだろう)。それぞれは独立した作品だが、通読するとある種の雰囲気が醸し出されてくるような意匠が凝らされている。

翻訳者・今村楯夫の解説によれば、そのキーワードは「trans-」である。「すなわち、越境/横断/倒錯であり、異質なるものの無化あるいは普遍化」、言うまでもなく背景には身体の延長性としてメディアが異常発達した現代が布置されている。

リアリティとヴァーチャル・リアリティの境界が失せるほどのべったりとしたマス・メディアの発達は、同時にあらゆる原風景の記号化をうながす。とすれば、かつては置換不可能であった因子同士も記号ゆえの気易さゆえにたやすく越境/横断/倒錯が行われるようになるのである。ジェフィはその現実を小説世界の中に置き換えているのだ。短篇「ストレート・レザー」や「カウンター・クチュール」において、性倒錯(服装倒錯)が象徴的に描かれているのはその一例だろう。また作中にちりばめられた架空の地名、人名、事物と現実とのそれとの混同は、ジェフィの描く世界が果たして現実と虚構の間のどの位置にあるのかという見当識を失わせる。

この辺でそろそろおなじみのノワール・テーマが顔を出してくるのである。ゆがんだ構図とそこから醸し出される不安感。ジェフィの文章は過剰な肉づけを可能な限り廃したスケルトンのような代物だが、読者に自由な文章散策を許さないほどに、不要な部分は削ぎ取られている。「ゴム手袋」や「ネクロ」などの作品においては、ト書きめいた文章さえなく、一切が会話のみで語られているのである。ここでわれわれはトンプスン『サヴェッジ・ナイト』などの作品を思い起こすべきだろう。

そして最大の倒錯は、〈暴力〉の問題にからんでくる。前出の「ストレート・レザー」は、テロリストを処刑した死刑執行人が、帰途についた列車の中で服装倒錯のパンク二人組に襲われる話である。今村の指摘する通り、これは政治的・社会的に「正しい」殺人を行ってきた者が、政治的にも社会的にも違法である、きわめて個人的な暴力に出会うということなのだ。

ノワール小説は、繰り返しこのテーマに取り組んできた。社会を貫く規範として「法」があるということは、「法」が国家の名のもとに個人に対して暴力をふるうことが許されているということである。その暴力装置が本当に正しく機能しているのか?そのことにこだわったのが、例えばマッギヴァーンのようなノワール作家であった。ジェフィの小説は同じテーマの変奏曲なのである。

ジェフィはこのテーマを推し進めるために、あえて「警官」という記号を多用することを選んでいる。例えば「ネクロ」は、二〇人から三〇人の黒人の青年を切り刻んではレイプし、その肉を食らっていた猟奇殺人犯を逮捕した警官がその話を延々と語るという短篇だが、その警官自身が逮捕に行く前に一六歳の女の子を引っかけて「目隠ししてサラダオイルを塗って、あとは素っ裸で室内懸垂用の鉄棒に手錠をかけたまま残してきた」という人物なのである。さて、猟奇殺人犯と、この警官との間ではいったい何が違うのだろうか?

また、「カージャック」では、レポート風につづられた文章の中で、車を襲う強盗とその強盗どもに対して治安のために暴力をふるう警察とをまったく並列に置いて語っている。実際のところ、この両者に違いなど「ない」。

さらに虚構の方へ足を踏み入れると、ジェフィは「マインド警官」なる記号を用意してくる。「F2M」の世界においては、「ホモ及びヘテロの指による行為、オーラル、アナル、および性交そのもの」と「それを空想すること」(つまりあらゆるセックスだ)が一切禁じられており、法の処罰対象になっている。マインド警官はその違反者を捕らえ[ピー音挿入](どんな罰なのか、聞きたくもない罰のようだ)をするのが任務なのである。官能という人間最後の砦にまで規制をかけようとする「法」の非人間性は、やがて人間の人格そのものを否定するようになるだろう。それは暗黒のディストピアの現出に他ならない。巻末の「セックス・ゲリラ」は、印象深い一言とともに終わる小説である。

――誰かが叫んだ。「おい、臭うか? ガスだ」

言うまでもなく、これはナチスによるホロコーストのイメージだろう。個人と対立する国家という図式・隠喩が常に有効とは限らないが、少なくとも『ストレート・レザー』においては、ゆがみにゆがんだ世界の行き着く果てとして、悪夢を見せることに成功している。この行き止まり感、この酷薄さこそ、ノワールの先達たちが表現しようと苦心してきたものなのである。チュイス、トンプスン、マンシェット。そしてその先にジェフィがいる。

【必読】『ストレート・レザー』『Madonnna and Other Spectacles』(未訳)
ストレート・レザー /
ストレート・レザー
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(169ページ)
  • ISBN-10:4105399012
  • ISBN-13:978-4105399016

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ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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