作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】ジム・トンプスン『ポップ1280』『内なる殺人者』『サヴェッジ・ナイト』

  • 2018/01/27
ジム・トンプスン、一九〇六年オクラホマ州生まれ。ネブラス力大学卒業後、石油パイプライン敷設工から新聞記者、プ口のギャンブラーやバーレスク役者といった多様な職業を経て作家稼業に落ち着いた人物である。デビュー作は四二一年の『Now amd On Earth』。一貫してペーパーバック・ライターであり続けた作家であり、五〇年代から六〇年代にかけてがその最盛期だった。七〇年代になって段々と忘れられた作家となっていき、一九七七年に没したときの会葬者はわずか二五名といつありさまだったという。これは、彼の長篇小説著作数二九冊よりも少ない。

しかし、八〇年代以降に再評価が開始され、異色のパルプ作家という意味で「安物雑貨屋のドストエフスキー」という称号も賜った。日本でも代表作『ポップ1280』(六四)の邦訳本が各誌の年間ベストテン高位に上げられるなど、ブームとも言うべき人気を得ており、現時点では一応の復権はなし遂げられている。ここではノワール小説のガイドという観点から、トンプスンの小説のキーワードをいくつか拾い上げておきたい。

これまで紹介されたトンプスン作品の代表作といえば、やはり『内なる殺人者』(五二)と『ポップ1280』であろう。この二作品は姉妹篇ともいえ、どちらも小さな町の保安官が主人公であり、その一人称で語られることが共通している。その意味では見なれたハードボイルド小説のスタイルだ。だが、『内なる殺人者』を読み始めた読者の胸裏には、すぐ不安感が押し寄せてくるに違いない。何かが違うのである。語りがどこか歪んでいる。そして、そのうちに決定的な文章が目に飛び込んでくる。

このままではこの女を殺すかもしれない。病気がぶり返すかもしれない。たとえそうならなくても、おれはもうおしまいになる。

本人にもよくわからない理由によって、主人公ルーの中には暴力衝動が湧き起こってくる。そしてそれは、ある臨界点を超えると、本当の暴力、殺意となって周囲に降り注いでいくのである。どうにもしかたのない、必然的な暴力として。あまりにも分裂症的だ。トンプスンの描く暴力にはまったく理由などなく、ただ空気中に存在する元素のように、突然目の前に現出してくるのである。もしそれが個人の精神の中に内在しているものだとすれば、これはもう分裂しているとしか言いようがない(トンブスンの父親は実際に田舎町の保安官だったが、父に対する混濁した感情が影響しているのだろうか)。

しかし、『ポップ1280』の主人公ニックの場合は、それ以上にゆがんでいる。最初彼は、何事も知らない間抜けな人物として登場する。

おれの結論は、おれにはどうしたらいいか皆目見当がつかない、というものだった。

ニック自身はルーと違って何もしない。ただ周囲の人間に相談し、人々の意見を聞いているだけだ。聞いているだけ、で何もしない。彼にとっては何もしないのがいちばん賢いことだからだ。そして時々、ほんのたまにだけ自ら事を起こす。その行為がさらに効果を広げて、誰かを破滅させることになるのだ。ニックはニヤニャ笑いながらその結果をみている――。分裂病の患者には詐話の症状が現れるが、ニックの行為はまさしくそれである。意図的に自己の暴力衝動を隠蔽していたルーと異なり、ニックは存在自体が嘘の上に成り立っている。中心となるべき自己そのものが、空虚なのである。このとんでもない人物の口から語られる物語は、彼自身の行動と同じように痙攣的であり、時折思い出したかのように野蛮になる。常人には見えない、ねじくれた論理が物語をひねくり回しているのである。読者を不安な気分に陥れるものの正体はこれだ。

邦訳のある他の作品でも、これほどではないにせよ、やはりねじくれた物語が展開している。『サヴェッジ・ナイト』(五三)では、裁判の重要証人の口を封じるためにある町にやってきた殺し屋が主人公だ。この男、リトル・ビガーが五フィートしか身長がないのをいいことに、大学に入学しに来た真面目な学生を装って標的の家に下宿するという冒頭からしてねじれているが、登場してくる人間たちのデッサンがまるで狂ってしまっている。特にヒロインの描き方は、残酷としか言いようがない。リトル・ビガーは下宿人の誰かがボスの回し者ではないかという疑いにとりつかれているが、この疑いが次第に被害妄想の域にまで高まっていき、最後は痙攣的に明滅する章と章の合間に挟まって悲惨な最期を迎える。

これに較べると『グリフターズ』(六三)では、まだまともな文脈が保たれている。詐話師ロイとその母リリイが中心人物だが、ロイの愛人マイラをはさんで一種の三角関係が成立し、ロイとリリイの間に近親相姦めいた香りが漂っているのがやはり壊れている。だが、いちばんまともな筋書き――強盗で大金を稼いだ男女が国境の向こう側にある安全地帯に向けて逃亡する――の小説である『ゲッタウェイ』(五九)の中にいちばんねじれた要素が含まれているのである。主人公ドク・マッコイが逃げ込んだ、"エル・レイの王国"がそれだ。評論家・吉野仁は『ポップ1280』の解説でトンプスンがスウィフトの影響下にあると指摘しているが、ガリバーがリリパットやフウイヌムなどで見たねじれた世界観がそこには展開されている。それは、真っ当な神経の人間ならばディストピアと呼ぶべき世界である。

――しかし、他にどんな場所がある?この出口なしの閉ざされた世界で、もっとましな逃げ場はどこにある?(「サヴェッジ・ナイト』)

【必読】『ポップ1280』『内なる殺人者』『サヴェッジ・ナイト』
ポップ1280  / ジム トンプスン
ポップ1280
  • 著者:ジム トンプスン
  • 出版社:扶桑社
  • 装丁:文庫(363ページ)
  • 発売日:2006-05-01
  • ISBN:4594051685
内容紹介:
ポッツヴィル、人口1280。この田舎町の保安官ニックには、心配事が多すぎる。考えに考えた結果、自分にはどうすればいいか皆目見当がつかない、という結論を得た。口うるさい妻、うすばかのその弟、秘密の愛人、昔の婚約者、保安官選挙…だが、目下の問題は、町の売春宿の悪党どもだ。思いきった手を打って、今の地位を安泰なものにしなければならない-饒舌な語りと黒い哄笑、突如爆発する暴力!人間の底知れぬ闇をえぐり、読者を彼岸へとみちびく、究極のノワール。

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内なる殺人者  / ジム トンプスン
内なる殺人者
  • 著者:ジム トンプスン
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(286ページ)
  • ISBN:4309460798

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サヴェッジ・ナイト  / ジム トンプスン
サヴェッジ・ナイト
  • 著者:ジム トンプスン
  • 出版社:翔泳社
  • 装丁:単行本(283ページ)
  • ISBN:4881357301

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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