コラム

もてる男―ドウス昌代『イサム・ノグチ』、太宰治『人間失格』、宮本常一『忘れられた日本人』、小谷野敦『もてない男』

  • 2018/03/14
日系アメリカ人の芸術家イサム・ノグチは、彫刻から舞台装置、庭園の設計まで手がけた、マルチ人間だが、ある世代の人たちには、映画スター山口淑子の元夫として記憶されているかも知れない。ドウス昌代著『イサム・ノグチ(上・下)』(講談社文庫)という長い長い伝記で、驚いたのは、実に華麗な女性遍歴。何人めか数えながら読んでいたが、途中であきらめた。

芸術とエロスとは、切っても切れない関係にあるのかも知れないが、

「それにしても……」

呆れたというのが、正直なところ。下世話な言い方で、著者には申し訳ないけれど、これほど多数の女性と関わりを持ち、よく病気にならなかったものである。

八十代になっても、孫ほど年の離れた女性から献身的に尽くされて、しかも女性の夫までが、イサムに対する尊敬の念をいささかも失うことがなかったそうだから、これはもう、よほど魅力的な人だったと思うほかない。

日米のはざまに生き、二十世紀の両国の歴史をまるまる背負うことになった男だが、帰属を切に求めながらも、帰属への願望が創造の原動力である限り、何ものにも属してはならないと、自分でよく知っていた。それがため、常に孤独であった。女性たちは、そうした彼の本質を、感じとっていたのではなかろうか。著者が取材した女性たちで、別れた男である彼を悪く言う者は、ひとりとしていなかったという。

イサム・ノグチ――宿命の越境者 / ドウス 昌代
イサム・ノグチ――宿命の越境者
  • 著者:ドウス 昌代
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(464ページ)
  • 発売日:2003-07-15
  • ISBN-10:406273690X
  • ISBN-13:978-4062736909
内容紹介:
母の国、アメリカ、父の国、日本。二つの国のはざまでアイデンティティを引き裂かれ、歴史の激流に翻弄されながら、少年の苛酷な旅がはじまる。父との葛藤、華麗な恋愛遍歴、戦争…。「ミケランジェロの再来」と謳われた巨匠の波瀾に富んだ生涯を描ききった傑作。第22回講談社ノンフィクション賞受賞作。

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私のまわりには、もてる男はいなかったので、現物を見たことはないが、小説で思い出すのは、太宰治著『人間失格』(新潮文庫)だ。

「恥の多い生涯を送って来ました」ではじまる有名な手記を書いたのは、「葉蔵」という架空の人物となっているが、ほとんどの人が太宰のこととして読むだろう。

金持ちの坊ちゃんに生まれ、東京の学校に進むも、「青春の感激だとか、若人の誇りだとか」をうたいあげる寮生活になじめず、あっという間に堕落して、女性との情死事件を繰り返すという筋書きが、著者の履歴と重なる。

そしてなぜか女たちは「奇妙に自分をかまうのでした」。某女いわく「時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる」。

この本は、読み継がれる間に何十万人もの「ミニ太宰」を、ニキビ面の中高生の間に、生み出してきたことだろう。思春期ならば誰だって、「若人の誇り」といったフレーズに心酔できるおめでたいやつより、ぽつんと孤独に考え込んでいるやつの方を、カッコよく思い、そっちの方に自分を投影するに決まっている。

おまけに、主人公のまわりで、もっともらしい顔してのらりくらりと生きている男たちが、なんと醜悪に描かれること。仕上げにバーのマダムの、彼は「神様みたいないい子でした」なんて証言でしめくくられると、社会に順応し人間失格もしないで生きている者の方がよほど非人間的なように思えるという、逆転構造になっている。

人間失格【新潮文庫】 ) / 太宰 治
人間失格【新潮文庫】 )
  • 著者:太宰 治
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(185ページ)
  • ISBN-10:4101006059
  • ISBN-13:978-4101006055

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民俗学者、宮本常一著『忘れられた日本人』(岩波文庫)の中の「土佐源氏」と題する文章も、「源氏」とつくことからわかるとおり、もてた男の昔語り。土佐の山中の小屋に暮らす老人は、若いときは馬喰(ばくろう)だった。村から村へ牛を周旋して歩き、共同体には属さない。『人間失格』の主人公とは別の意味での、アウトサイダーだ。

かっぷくもよくない、金回りも悪い。それでなぜ女がついてきたかと言えば、「わしは女の気に入らんような事はしなかった。女のいう通りに、女の喜ぶようにしてやったのう」。

庄屋の家には、四十前の色白でおとなしい奥方がいた。種付けをしたとき、事の後で牡牛が牝牛の尻をなめ、見ていた奥方が、ふとつぶやく、人間より牛の方が愛情深いのだろうかと。そのひとことに彼は、この人もあまり幸せではないと気づく。

人間も変わりない、わしなら、いくらでもおかたさまの……と、つい言うと、奥方は目に涙をため、彼の手をしっかり握ってきた。「男は女の気持になってかわいがる者がめったにないけえのう」。

数えきれぬほどの女を「かまいはしたがだましはしなかった」。齢八十をかなり超え述懐するのは「どの女もみなやさしいええ女じゃった」。

宮本は海べの農家に生まれ育ち、小学校の代用教員を務めながら、古老の聞き書きをはじめ、やがて調査のため、全国を旅した。幼いわが子を亡くしたり、自らもたびたび病気を患ったりしたせいか、文章は消えゆくものをいとおしむ心に満ち、詩的である。

忘れられた日本人  / 宮本 常一
忘れられた日本人
  • 著者:宮本 常一
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(334ページ)
  • 発売日:1984-05-16
  • ISBN-10:400331641X
  • ISBN-13:978-4003316412
内容紹介:
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。

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もてるもてないの話なら、この本にふれないわけにはいかない。小谷野敦の評論ふうエッセイ『もてない男』(ちくま新書)。ここで言う「もてない」とは、好きな女性から相手にされないこと。「好きでもない女百人とセックスしてももてるとは言えない」が、著者の立場だ。

このあたりは、「好きな」との条件なしに、とにかくまるで相手にされない男性からは、ブーイングを浴びたようだ。が、私はあえて拍手を送る。「やつらは、心(愛情)と体(性行為)を切り離せるらしい」というのが、女性の側の男性に対する不信のポイントだった。女性でも切り離せる人はいるから、一般化せず、私の、と言おう。

著者は、性欲に先だつものとして、人格的交わりを求める、「恋愛欲」なるものを考える。このへんは、私の理想主義と合うものがあった。そうした定義においてなら、「もてない」ことは、恥ずべきことではないのである。

突き詰めれば、こうなる。どうして人は自分を愛する異性を愛し返すことができないか。この問いに対する「それは、人生が一回限りだからである」との答は、かなり深い。各回(章にあたる)に付くブックガイドも、(なるほど、この本をこういう視点でとらえるわけね)と目からウロコ。

著者はほどなく結婚し、またしても「裏切り者」と非難されたようだが、私にとっては満足のいく決着である。不特定多数にもてようなんて、意味がない。死ぬまでひとりと添い遂げられるかどうかは別にして、少なくとも一時点では、ひとりに「もてれば」じゆうぶんだ。

もてない男―恋愛論を超えて  / 小谷野 敦
もてない男―恋愛論を超えて
  • 著者:小谷野 敦
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:新書(199ページ)
  • 発売日:1999-01-01
  • ISBN-10:4480057862
  • ISBN-13:978-4480057860
内容紹介:
歌謡曲やトレンディドラマは、恋愛するのは当たり前のように騒ぎ立て、町には手を絡めた恋人たちが闊歩する。こういう時代に「もてない」ということは恥ずべきことなのだろうか?本書では「もて… もっと読む
歌謡曲やトレンディドラマは、恋愛するのは当たり前のように騒ぎ立て、町には手を絡めた恋人たちが闊歩する。こういう時代に「もてない」ということは恥ずべきことなのだろうか?本書では「もてない男」の視点から、文学作品や漫画の言説を手がかりに、童貞喪失、嫉妬、強姦、夫婦のあり方に至るまでをみつめなおす。これまでの恋愛論がたどり着けなかった新境地を見事に展開した渾身の一冊。

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【このコラムが収録されている書籍】
本棚からボタ餅  / 岸本 葉子
本棚からボタ餅
  • 著者:岸本 葉子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(253ページ)
  • 発売日:2004-01-01
  • ISBN-10:4122043220
  • ISBN-13:978-4122043220
内容紹介:
本の作者が意図していない所に「へーえ」、テーマにピンとこなくたって「なるほど」と感じたことはありませんか?思いつきで読んでみても得るモノはあるはず。恋に悩む時、仕事に行き詰まった時…偶々、解決のヒントを発見できたら大きなご褒美です。寝転ろんで頁をめくりながら「おまけがついてこないかな」と自然体?で構えてみませんか。

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小説現代

小説現代 2000年9月

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