書評

『忘れられた日本人』(岩波書店)

  • 2017/11/17
忘れられた日本人  / 宮本 常一
忘れられた日本人
  • 著者:宮本 常一
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(334ページ)
  • 発売日:1984-05-16
  • ISBN-10:400331641X
  • ISBN-13:978-4003316412
内容紹介:
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。

民衆像の映す新世紀の課題

二十世紀は「民衆」の時代だが、その民衆をいかにとらえるかで、多くの思想や学説や運動が試行錯誤を繰り返した。現在の時点から見れば、民衆というもののトータルな把握に成功した数少ない例が、宮本常一の業績ということになるだろう。

彼の学問は大ざっぱに民俗学といわれるが、とうていその枠におさまりきれるものではない。著作の数も膨大で、現在刊行中の著作集も百巻以上になるといわれる。なかでも本書『忘れられた日本人』は宮本民俗学の原点というべき名著で、故郷である山口県は周防大島の生活史にふれた部分とともに、常一自身の生き方に深い影響を与えた祖父と父親の像を描いた章が印象にのこる。

農民の歴史といえば一にぎりの豪農の話か、それとも貧農の残酷物語ときまっていた時代、それとはまったく別の角度から普通の庶民のありふれた人生を語った本書は、かえって強い感銘をもたらす。祖父は小さな耕地を守って一生を終えた人だが、性根の据わった人だった。維新のころ武士に「無礼者」といわれて脇差しを抜き放ち、睨みあった。そこへ少し強そうな武士がきて双方の刀を収めさせるまで、一歩も引かなかったという。

常一が力ニのはさみをもぎ取ると、「ハサミはカニの手じゃけえ、手がないと物がくえん、ハサミはもぐなよ」と教えた。動物に対し、人間と同じように愛し憐れむ情を植えつけようとしたのである。常一はこの祖父から数多くの昔話を聞かされ、民俗学への関心を育くまれた。

一方、父親は長州大工として全国を流浪する世間師(しょけんし)だったが、その人生から得た知恵を「十カ条」として常一に与えた。たとえば「汽車に乗ったら窓外の畑や家のたたずまいを観察せよ。駅の荷物置き場にどんなものが置かれているかを見よ。その土地の貧福がわかる」とか「新しい土地へ行ったら、高いところへ上って方向を知り、目立つものを見つけろ」といった意味のことであるが、「人の見残したものをみるようにせよ。あせることなく、自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ」といっだ人生訓も含まれている。

宮本常一の父親は、親としても教育者としても優れていたといえる。かつての民衆の中に、このような生活者としての性根や知恵が息づいていたことを思い起せば、現代における教育の行き話まりの根因は自ずから明らかになろう。変化のはじまりは高度成長期で、常一がそのころから必死に全国を歩き回り、見捨てられていく生活文化を記録するために力を注いだのは偶然ではない。

本書に扱われているのは、辺地に生きた無名の存在である。その人々の生涯が心をうつのは、まじめに働けば必ず報われると信じて生きたかつての日本人の喜びと哀感が、どの記録にも溢れているからだ。このような民衆像をいかに回復するか。新しい世紀への課題ではないだろうか。
忘れられた日本人  / 宮本 常一
忘れられた日本人
  • 著者:宮本 常一
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(334ページ)
  • 発売日:1984-05-16
  • ISBN-10:400331641X
  • ISBN-13:978-4003316412
内容紹介:
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。

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初出メディア

産経新聞

産経新聞 2001年11月25日

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