作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】マイクル・コリンズ『ひきがえるの夜』『鮮血色の夢』『The Nightrunners』『The Slasher』

  • 2018/04/27
一九二四年、ニューヨーク生まれ。多数の筆名で純文学からミステリに至るさまざまなタイプの作品を発表。マイクル・コリンズ名義で発表した長篇『恐怖の掟』(一九六九)でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞を受賞する。本書を第一作とするマンハッタンの隻腕私立探偵ダン・フォーチューン・シリーズは、九二年の『Cassandra In Red』まで長篇一七作、短篇二二篇がある。

ダン・フォーチューン・シリーズは、一九六〇年代に登場した、〈ネオ・ハードボイルド〉(小鷹信光の命名による)の代表的な作品とされている。ヴェトナム戦争をくぐり抜けたアメリカが、いわゆる「アメリカ的正義」と、アメリカ社会のありようとの乖離を意識しはじめた時代に生み落とされた、独特の色調をもつ私立探偵小説群が、〈ネオ・ハードボイルド〉だ。

これらにおける私立探偵たちは、マジョリティの世界から差別/区別され得る何らかのハンディキャップ(アル中、同性愛、怯懦など)を抱え、被差別者の視座から、犯罪に象徴されるアメリカ社会の不正義の断面を暴露していった。

そうした探偵たちの代表格であるフォーチューンは、東欧からの移民の裔であり、警官であった父は早くに殉職している。不良少年であった頃に盗みに入っだ船の船倉に落ち、その怪我がもとで左腕を失った。のちに船員の職に就き、世界を放浪、故郷マンハッタンの貧民居住区に私立探偵事務所を構えることになった。

ハードボイルドの定型に則って、この連作も主人公たるフォーチューンの一人称一視点で綴られるが、この語りの独特の色調が、本連作の大きな特徴のひとつだ――静謐な諦観に染められた内省的な語り、沈鬱な箴言と時折り噴出する義憤に彩られたダークな独白。

作品世界に横溢するこうした色調は、フォーチューン自身が属し、フォーチューンの職務上の縄張りであり、アメリカの支配階級から切り捨てられたがゆえにその歪みが犯罪悲劇として顕在化する貧民階級の街へ向けられる、フォーチューンの絶望/怒りに因っている。言ってみればフォーチューン連作のいくつかは、犯罪を媒介とした「階級闘争」の様相すら帯びているのだ――第三長篇『ひきがえるの夜』、第七長篇『ブルー・シティ』、短篇「英雄の死」「椅子」「A Reason To Die」などがその代表的作品と言える。

これらにおいて(最終的に明かされる犯人像はどうあれ)、事件は、富める者=支配階級によって死や不幸事を負わされる貧しき者=マイノリティという構造を反映している。

いわゆる「表」の社会の支配=被支配の関係だけではない。第一長篇『恐怖の掟』、第二長篇『真鍮の虹』、第六長篇『無言の叫び』で扱われているのは、こうしたマイノリティ社会のなかに発生した支配階級――犯罪組織に代表される――の問題だ。さらには第八長篇『鮮血色の夢』から『The Nightrunners』を経て『The Slasher』に至る三長篇では、地球規模の図式――いわゆる南北問題――までがハードボイルドの枠組みで描かれる。

そんな事件に相対するフォーチューンは、自らもさまざまな意味で被差別者であるがゆえに、圧殺されるマイノリティの側に立つことになる。一方で、広い見聞と明晰な知性によって支配=被支配の構造を、この社会の歪みを透視する。

こうしてフォーチューンという存在のなかで、マジョリティとマイノリティ・富める者と貧しい者・北半球諸国と南半球諸国というさまざまな対立項が衝突を起こす――前者の大文字の「正義」が、後者にとっては「不正義」であり得るというねじれの構図が。

そのとき、この「二つの正義」の衝突は、「正義」を相対化してしまうのだ。こうした化学作用は、ほかの多くのネオ・ハードボイルドの探偵たちの内部でも起きる、いわばネオ・ハードボイルドの必要条件なのだが、フォーチューン連作においては、よりラディカルであり、またフォーチューンの主観を介することでより切実な色を帯びる。フォーチューン以前の多くの探偵たちは――その祖たるレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウのように――事件および外界に対して、インディペンデントで犯されざる観察者で在りつづけ、絶対的な正義への信仰に則った「ヒーロー」でありつづけた。だがフォーチューンは、その出自と属性ゆえに、観察者としての立場を逸脱する。事件/被害者/加害者は、フォーチューンの私的な部分を強く撃ち、職業人としての探偵という彼の立脚点を侵食する。そして「正義」さえ彼から奪い去ってしまう。だからフォーチューンは、自分のなかにある正義を信じる以外ないのだ。救いのない現実を見据えて、理性でなく感情が命じる「怒り」に身を任せて。

こうしたフォーチューンの立場、フォーチューンの歩む世界から、ノワールまではほんの半歩だ。フォーチューンが、その怒りに身を任せ、「秩序回復」の稼業を捨てるだけでいい。だがマイクル・コリンズは、一貫して私立探偵小説の構造を捨てなかった。ロス・マクドナルドのつくった形式を忠実に守りながら、正義の失われゆく世界を、義憤と苦悩に苛まれる探偵に見つめつづけさせたのだ。

ダン・フォーチューン・シリーズは、そうした意味において、ロス・マクドナルド型私立探偵小説という形式がはらむ可能性をぎりぎりまで追究した、ラディカルだが徹底して正統的な作品群であったのだ。

【必読】『ひきがえるの夜』(ハヤカワ・ミステリ)『鮮血色の夢』(創元推理文庫)『The Nightrunners』(未訳)『The Slasher』(未訳)
ひきがえるの夜 / マイクル・コリンズ
ひきがえるの夜
  • 著者:マイクル・コリンズ
  • 翻訳:木村 二郎
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:新書(203ページ)
  • 発売日:1981-04-00

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鮮血色の夢 / マイクル・コリンズ
鮮血色の夢
  • 著者:マイクル・コリンズ
  • 翻訳:木村 仁良
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:文庫(306ページ)
  • 発売日:1992-05-00
  • ISBN-10:4488266029
  • ISBN-13:978-4488266028
内容紹介:
動乱の東欧から亡命してきた経歴をもつ老人が、不意に消息を絶った。捜索を依頼されたわたしは相手の信心深さを恃んで教会に網を張ったが、思惑どおり現われた老人は、声をかけるや忽然と夜の闇に消えた。この老人は一体…?祖国を喪い、革命に憑かれた人々のあいだに真相を追う、片腕の探偵フォーチューン。東欧抑圧の歴史が現代アメリカに刻みつけた革命の傷痕とは何か?

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ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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