書評

マイケル・エメリック『てんてこまい 文学は日暮れて道遠し』(五柳書院)、辛島デイヴィッド『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』(みすず書房)

  • 2018/10/25

日本語への新鮮な回路ひらく

英語を母語または第一言語として育った著者らによる、異文化の架け橋となる著書だ。

などと書いたら、エメリックが「おっと、架け橋だって?」と、鋭敏なユーモアでツッコミを入れてくるだろう。翻訳と文学に分け入る本論集の要諦となる言葉が最初の章に書かれている。「人間がある言語から別の言語に移るときにどのように意味を持ち越すか、そもそもどのように言葉を理解するかは<中略>まったくのミステリーです。/こういうミステリーを、人間はごまかしてやりすごします。わからないから、比喩に頼ってわかったつもりになるのです」

特に翻訳にまつわる事柄には、なにかと喩(たと)えが表れ、私たちの考え方を「支配しようと」するという。

日本には、翻訳者の目標として「黒子(くろこ)に徹する」という喩えがある。そう快く言えるのは、日本の翻訳者が「透明人間」ではないからだという著者の指摘にはっとした。英語圏の訳者は表紙に名前が出ないことも多く、著作権すら原作者に与えられることもあるのだ。

高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』などの英語圏での受容を「河豚(ふぐ)の卵巣の糠漬(ぬかづ)け」(猛毒を抜く)に喩える章もさりながら、『源氏物語』に関する数章は圧巻だ。欧米に同作を広く知らしめたウェイリーの英訳(一九二五~三三年)が出る四十余年も前に、末松謙澄がイギリスで英訳した『源氏物語』の抄訳には、明確な政治的意図があった。幕末に欧米諸国と結んだ不平等条約の改正である。末松は千年前の物語を一種の史書として紹介し、日本が古(いにしえ)よりいかに文化文明国であったか、故に条約を改正すべきかを示そうとしたのだ。歴史の転換点で必ず翻訳が“暗躍”することを示す好例でもある。

さらに、『源氏物語』の西洋語訳が未(いま)だなき時代、フランス人ブスケの『源氏物語』評が“誤訳”を含んだままどんどん孫引きされ、「かの退屈なる」仏国女流作家の日本版、という印象を形成する過程を追った章も、大いなる知的興奮をもたらす。

てんてこまい―文学は日暮れて道遠し / マイケル・エメリック
てんてこまい―文学は日暮れて道遠し
  • 著者:マイケル・エメリック
  • 出版社:五柳書院
  • 装丁:単行本(382ページ)
  • 発売日:2018-08-01
  • ISBN:4901646311

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辛島の書は、村上春樹がいかにして海外で成功を成し遂げ、世界文学界で最もビッグな作家となり得たかを解き明かす。著者はその解明に、徹底したインタビュー方式を採る。この『~を読んでいるときに我々が読んでいる~』という題名が翻訳文学の本質をずばり言い表していよう。翻訳読者はなにげなく「オースターを読んだ」などと言うが、実際に読んでいるのは、柴田元幸(の訳文)だ。A・バーンバウム、J・ルービンら、春樹読者にはなじみ深い翻訳者や編集者らの名が並び、どんなやりとりやアイデアが飛び交ったかが著者の訳文を通して活写されている。米国在住中の村上が自作が酷評されたのを見たら「日本の文壇がここまでchaseしてきたか!」とため息をついただろう、とか、一流の『ニューヨーカー』誌が独自の方針に合わせて作品を編集改稿することに対して、「(同誌)に出るとすごい数の読者がいるし、原稿料もすごく高いし、もうしょうがないよね(笑)」という村上のぶっちゃけた発言を抜いてくるあたり、著者の批評精神が覗(のぞ)く。辛島はそれこそ黒子に徹しているが、彼の小気味のいい“翻訳”センスなしにはこの好著は成立しえなかったろう。

日本語への新鮮な回路をひらく二冊である。

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち / 辛島 デイヴィッド
Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち
  • 著者:辛島 デイヴィッド
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(384ページ)
  • 発売日:2018-09-11
  • ISBN:4622087006
内容紹介:
村上春樹の英語圏での成功の舞台裏を、編集者、翻訳家、エージェント…など携わった様々な人々、村上本人へのインタビューを軸に描く

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年10月14日

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