コラム

今橋 理子『江戸の動物画―近世美術と文化の考古学』(東京大学出版会)、手塚 治虫『手塚治虫のディズニー漫画 バンビ ピノキオ』(講談社)

  • 2021/11/03
人間は動物をどのように描いてきただろうか。ラスコーの洞窟に描かれた鹿や野牛を見ればわかるように、それは芸術の発生と本質的に関わっている。

欧米では、17-18世紀にイギリスやオランダで描かれた狩猟画や獲物画から発展して、犬や馬の肖像画が人間並みにさかんに制作されるようになった。今日の野生動物を捕らえた写真集や環境保護を訴えるヴィデオアートは、動物とともに自然の風景を描こうとするこうした眼差しの延長にある。それに比べて東アジアでは動物画はまず、花鳥風月という美学的枠組みのなかで発展した。これは約束ごとの世界である。日本では半ば空想上の動物は、たとえば白象は普賢菩薩であり、白鹿は春日明神を示しているといったぐあいに、単純に宗教的教義と結びつけられて描かれてきた。

今橋理子の『江戸の動物画』は、18世紀にいたってこの花鳥風月図に大きな変化が生じ、画家たちが従来の狭い約束ごとの表現を越えて、より自由で遊戯的な眼差しを採用するにいたったことを興味深く語っている。動物をめぐる象徴の意味づけ、擬人化、言葉遊びが作画の大きな動機として採用されることになった。たとえば18世紀の蘆雪に、子犬と髑髏、それに幽霊を並べた作品がある。一見すると訳のわからない絵なのだが、仏教では犬を煩悩と、また広く当時の社会が現世と冥界を行き来する動物と見なしていたことを考え合わせると、この絵の背後に中世以来の日本人の死生観、無常観が託されていることが判明する。今橋はこうした絵画をひとたび美術史から引き離し、博物学の文脈のなかで検討し直すことで、江戸人の想像的世界に新しい照明を投げかけている。

江戸の動物画―近世美術と文化の考古学 / 今橋 理子
江戸の動物画―近世美術と文化の考古学
  • 著者:今橋 理子
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(371ページ)
  • 発売日:2004-12-01
  • ISBN-10:4130802046
  • ISBN-13:978-4130802048
内容紹介:
描かれた動物は何を語っているのか。象徴、擬人化、地口(ことば遊び)の三つの思考から動物画を分析。失われた江戸文化の深層を探る、著者による花鳥画三部作の完結編。

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日本人による動物表象は、今日の漫画とアニメの世界においても、卓抜な着想とモードを生み出している。宮崎駿の世界に登場する狼、昆虫、そして空想上の奇怪な生物の群れを思い出してみれば、それはただちに理解できるはずだ。折からの懐かしの漫画ブームもあって復刻がなった手塚治虫の『バンビ』(1951)と『ピノキオ』(1952)は、戦後の日本漫画がいかにディズニーのアニメから影響を受け、それを自家薬籠中のものとしてきたかを考えるうえで、きわめて興味深い作品である。

1951年、ディズニーの『バンビ』が公開されたとき、手塚は初日の第一回から最終回までの前売りをすべて買い、一日中夢中になってスクリーンに眺めいっていたという。彼は合計して130回以上もこのアニメを見、ほとんど全編を記憶するまでとなった。その結果、当時彼が漫画誌に連載中であった『ジャングル大帝』は大幅に構想が変えられ、かわいいだけの白いライオンの子供が、いくたの通過儀礼の末にジャングルの覇者として君臨する物語へと発展した。それは子鹿のバンビが母鹿の死をきっかけに、オーストリアの森の王へと変身をとげてゆく物語に、みごとに呼応している。続いて公開されたアニメ『ピノキオ』は、『鉄腕アトム』の主人公の孤児としての出自や、ときにヒュッと伸びる鼻に大きな痕跡を残している。

手塚はこの2本のアニメから受けた恩恵を、当時キチンと漫画の形で残している。おそらく版権の都合からか、彼の全集には収録されず、長らく幻の稀覯本とされていたその2冊がこうして復刻されたことの意味は大きい。それは戦後の日本文化におけるアメリカの大衆文化の影響を見つめ直す機会となるばかりか、江戸時代から独自の発展を遂げてきた日本の動物画が今日の消費社会にあっていかに変容を遂げたかを見定めるさいに、貴重な証言をはたしてくれるからである。『ジャングル大帝』が後にディズニーの『ライオン・キング』に大きな影響を与えたことを知っているわれわれは、ここに絶好の比較文化研究の主題を見つけ出すことだろう。

復刻版 手塚治虫のディズニー漫画 バンビ ピノキオ / 手塚治虫
復刻版 手塚治虫のディズニー漫画 バンビ ピノキオ
  • 著者:手塚治虫
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(80ページ)
  • 発売日:2005-04-08
  • ISBN-10:4069355464
  • ISBN-13:978-4069355462

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【このコラムが収録されている書籍】
人間を守る読書  / 四方田 犬彦
人間を守る読書
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(321ページ)
  • 発売日:2007-09-00
  • ISBN-10:4166605925
  • ISBN-13:978-4166605927
内容紹介:
古典からサブカルチャーまで、今日の日本人にとってヴィヴィッドであるべき書物約155冊を紹介。「決して情報に還元されることのない思考」のすばらしさを読者に提案する。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 2005年7月1日号

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