対談・鼎談

北見 治一『鉄笛と春曙―近代演技のはじまり』 (晶文社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談

  • 2022/06/04
鉄笛と春曙―近代演技のはじまり / 北見 治一
鉄笛と春曙―近代演技のはじまり
  • 著者:北見 治一
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:-(285ページ)
  • 発売日:1978-05-00

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山崎 かつて文学座の俳優であった著者が、自分の新劇生活の中から、新劇の歴史を振り返って書いたのがこの本です。内容的なおもしろさもさることながら、新劇に対する著者自身の個人的感懐が絶えずつきまとっていて、そのへんがところどころ邪魔にもなる反面、あるおもしろさを添えています。

普通、新劇というと、とかく島村抱月の芸術座と、小山内薫の築地小劇場から論じ始めるわけですけれども、この北見氏の独創というべきものは、二人の先駆的な俳優、土肥春曙と東儀鉄笛から話を始めるというところにあります。

土肥春曙は熊本の武士の家に生まれ、はじめは新聞記者をしていた。その間に、川上音二郎一座について欧州に渡り、俳優修業としておそらく最初に西洋を見てきた人物だろうと思うんです。一方、東儀鉄笛は、宮中の楽部の家に生まれながら、坪内逍遙との接触の中で、西洋演劇に目覚めていった。ちなみに、鉄笛は、早稲田大学を代表する歌である「都の西北」の作曲者でもあります。この二人が演じたシェイクスピアの『ハムレット』は、たいへん歴史的な意味をもっている。春曙のハムレットは、いわば内面的なハムレット演技というものの最初であり、墓掘りとポローニアスの二役を演じた鉄笛の演技は、いわば日本で最初に完成された、おとなの鑑賞に耐える演技の始まりだった。

最後に、春曙は病気で亡くなり、十年後には鉄笛も脳出血で死ぬわけですが、象徴的なことに、鉄笛が死んだ年に築地小劇場が華々しく開場して、いわゆる新劇第二期に入る。普通ですと、新劇史というものはここから書き起こされるわけです。

この本からは、新劇のもっている宿命的な苦しみというようなものがよく読み取れます。日本の新劇は、いってみれば素人を役者にし、あるいは役者を素人にすることから出発するわけですけれども、演劇として少し爛熟してくると、絶えずそこからまた素人に帰っていく。素人に帰ることで蘇生する不思議な演劇なんですね。しかも経済的基盤の弱いところで、現実から離れた抽象的な世界の中に生きていただけにいっそうめまぐるしく、絶えず素人に帰り続けてきた。そういう悲哀のようなものをわたくしは改めて感じました。

丸谷 新劇というものは、いまの日本文化の中ではわりに重視されていない存在ですよね。じつは重要な位置を占めていながら、何となくバカにされているという、変な芸術形態が新劇だと思うんです。そういう新劇の原型が草創のころに全部あった。劇団のごたごたもあれば、芸術上の対立もあれば、人間関係のすったもんだもある。いまの新劇がかかえている問題は、坪内逍遙のころに全部出揃っていたんだという感じですね。

木村 二十世紀の初めに日本が初めて新劇を取り入れたとき、日本文化とヨーロッパ文化のぶつかり合いがあった。その違和感というのが、今日までずっと続いているんじゃないかという気がしますね。

土肥春曙が当時こういってるんですね。

日本の時代物の如く、考え考えゆっくり言うような処は絶無と云っても可い位で、どの場でも数千言の言葉が、滔々として口を衝いて出、句切句切で思入をすると云うところは殆んどありません。孰(いず)れも感情の発すると同時に、火の燃ゆるが如く、熱して来るので、此(これ)をやるには余程音量があって、力があって、呼吸が続かなければ駄目です

日本では、こういった表現形式は現在でも一般的ではありません。その意味では、この当時の新劇の役者たちの困惑と驚きというものが、いまでもやっぱり続いていると思う。

山崎 演劇というもののある種の原型を、この二人が代表してるような気がするんです。つまり春曙は、非常に真面目な理論派で、演技の性質も計算でやるタイプ。これは古今東西を問わずあるタイプの一つですね。鉄笛のほうは、茫洋としていて、体当り演技ですが、そこから自然とにじみ出てくるものに何ともいえない魅力がある。これも一つのタイプですね。この二人が組み合わさって早くも明治の初期に出てきたというのが、非常におもしろい。

木村 結局、春曙はヨーロッパでもらってきた性病がもとで死ぬ。西洋文化というものにやられた象徴的な話ですね(笑)。

丸谷 この本は要するに二冊でできあがってる本なんですね。一つは鉄笛と春曙の伝記であり、一つは北見治一語録です(笑)。それが、いかにも役者の書いた本という感じがあって、この本の奥行きを増している。ちょっとどうかと思うところもあるけれども……。

山崎 かなりうるさいところもあります(笑)。

丸谷 いちばん問題なのは、鉄笛と島村抱月がまずくなったというところです。

逆説的にいうなら、劇団が理念のうえの大義名分によって離合するなどは、愚の骨頂である。むしろ単純明快な、人間的な好悪を基にして集散したほうが、つまりタテマエよりもホンネをあらわにさせたほうが、まだしも無駄な手数やエネルギーが省けるのではないか?

ここから始まって、新劇劇団論を一席のべてるわけです。ここに書いてあることは、理屈にもならないような理屈ですよね。こういう理屈としては体をなさないことを大真面目にしゃべっている。ここが、この本のいちばん悲劇的なところという感じがしました。

なぜこれが悲劇かというと、新劇が商業的に成立するということを、この人はぜんぜん考えてない。だから大義名分と、人間関係と、この二つしかないわけですよ。大義名分もいい、人間関係もいい。しかしその前に商業的な問題があって、この三つがかみ合えば劇団はうまくいくと思うんですけどね。

山崎 初期の役者たちが四苦八苦してセリフをしゃべっても、何をいってるのかさっぱりわからなかったそうです。それもそのはずで、だいたい翻訳自体が、とても読めた代物ではなかった。このことは、日本の言文一致運動の恐るべき片手落ちを物語ってるような気がするんですよ。

言文一致運動というのは、「話すように書く」という運動だった。その場合、話し言葉のモデルになるものが何もなかったんですね。書き言葉の規範としては、日本の古典がいろいろあって、特に江戸の文章というものが骨になっていたと思うんです。それを話し言葉で崩すにしても、そのもとになるものがあった。ところが、話し言葉というのは、歌舞伎調を捨てると、あとは様々な方言と、武家が江戸城で使っている怪しげな標準語の二種類しかなかった。

丸谷 そうなんだよ。

山崎 それじゃ、話し言葉はどこでつくるべきかというと、本当は舞台でつくるべきなんです。しかし、不幸なことに、新劇が西洋から入ってきたとき、すでにそれは新劇であった。シェイクスピア劇そのものが、昔のスタイルで入ってきたならまだよかったと思うんですけどね。そこで日本人は、あわてて向こうの話の筋に合わせてありあわせの言葉を使ったわけですね。話し言葉として磨き上げることをまったくやらなかった。わたくしにいわせれば、本当は「話すように書き」、同時に「書くように話す」これで言文一致運動は両足が揃うと思うんです。書くように話すというのは、最初に戯曲があって、それを憶えて話すことなんですね。つまり劇場でつくりあげるべきものだったんです。日本の文学が、出版を舞台にして発達したほどには、日本の演劇は、発達することができなかったために、日本の話し言葉そのものがいまだに未完成のままでいるような気がするんです。

丸谷 明治維新以後の日本がこれだけ言葉の問題で困ったのも、江戸時代の日本人の話し言葉に対する感覚が洗練されていなかったからですね。つまりね、諸国の女をつれてきて、吉原の遊女にして、磨きあげる。そのとき、なまりがあると困る。それで「ありんす」言葉を習わせた。あれは特殊な稼業の女だけのまったく人工的な標準語ですよね。ところがその場合、特徴的なことは、客のための標準語が成立しなかったっていうことです。

木村 標準語を話し出したのはつい最近でしょう。

丸谷 そうそう。ラジオ、テレビの普及によってですね。

山崎 英米やフランスの劇場を見ても、いわゆる写実劇のせりふは、決して日常会話の英語あるいはフランス語じゃない。ちゃんと節もあれば、格調もあってやってるんです。

日本人はバカ正直に、額面どおり自然な話し方を目標にして、せりふのスタイルを中途半端にほうったらかしにしておいた結果、かえって一種の新劇調が生まれてしまった。普通の人が聞くと、新劇調というのは寒けがするわけですが、これは、新劇調が不自然だからじゃないんですね。語り言葉であっても、舞台の言葉は不自然であらねばならないという観念がないからなんですね。日本文化そのものが、もはや舞台の言葉というものを聞く感覚を失っているような気がします。

丸谷 明治維新後の日本文明の性格にとって、いちばん具合の悪い芸術というものは演劇なんですね。その点、小説というのは、わりにうまくごまかしちゃった。

山崎 小説の世界では文体をつくるという努力があったからですよ。どんな素人でも、小説を読むときには、これは手紙の文章でも、日記の文章でもなく、作家が一所懸命文章を練ってつくっているものだという意識をもって読んでますよね。三島由紀夫のどんな絢爛たる文章を読んでも、背筋が寒くなるという人はまずいないわけです。だけど日本の新劇で、誰かがちょっと工夫をして、ある種の文体で喋ろうとすると、みんな辟易する。初めから、芝居に文体があるはずはないと考えているからです。

木村 小説家は、自分ひとりで文体がつくれるわけです。ところが役者の場合は、ほかの人との関わりで自分のタイプをつくるわけでしょう。自分ひとりではつくれないわけですよ。

丸谷 小説というのは密室の芸術であり、演劇というのは、劇場という共同体の芸術ですから。

木村 その点、日本人の生き方はそもそも社会的じゃないんですね。

丸谷 坪内士行がこういってるんですね。日本人で西洋人に扮した男優の中では、滝沢修の扮した『セールスマンの死』の主人公と、井上正夫の『ベルス』の主人公、丸山定夫の『守銭奴』のアルパゴンの三つが三幅対であり、鉄笛の墓掘りは、そのもう一つ上だと。滝沢修の『セールスマンの死』よりももう一つ上だとすると、これはすごいことになる。

山崎 そうでしょう。わたくしはそうだったと思いますよ。そういうものができるんですよ、ときどき。できると壊しにかかるのが、わが国の新劇なんですよ。

東儀鉄笛は天成の役者ですから、ある種のスタイルというものを彼なりにつくりあげたわけですね。そうすると、次の若い世代の連中に、あの芝居は古いといわれる。そこで古いというほうはどうするかというと、いきなり素人に帰るわけです。素人に帰る以外に、何も規範になるものはないんですから。

日本の新劇というのは、つねに、ある成熟に達すると野蛮に戻るという形でやってきたんですね。戦後の新劇だって新劇調というものをつくりあげると、アングラが出てくる。アングラが一風吹くと、もう新劇のお客たちは雲散霧消してしまうわけです。おそらくアングラが興ったあと、日本の新劇観客人口というのは、半分以下に減ってますね。きのうまで見ていたのと違う芝居を見せられるわけでしょう。見るほうもついて行けない。そういうことの繰り返しで、百年きたなと思いますね。

木村 日本の場合、オペラがやはりダメでしょう。体の動きで人間を表現するということに対する違和感は、いまだに続いてるんじゃないかと思いますね。

山崎 それはやはり、江戸時代が、劇場を裏文化に追いこんじゃったからです。だから明治の初めに演劇改良運動をやろうとした連中が真っ先に何をやろうとしたかというと、天皇陛下をつれてきて、天覧歌舞伎というものをやることによって表文化に移そうと考えた。これは涙ぐましい、ばかばかしい象徴的な事件だと思うんですよ。それが現在まで続いているわけで、オペラと新劇だけじゃありません。能だって、狂言だって、歌舞伎だって、文楽だって、およそ日本の劇場芸術で栄えているものは一つもないですよ。

丸谷 いま天皇が自発的に行く見物(みもの)は相撲だけでしょう(笑)。

山崎 東儀鉄笛の弟子に中山晋平がいたわけですね。

丸谷 付人が伴淳三郎でね。

山崎 鉄笛自身の作曲した「都の西北」は、ともかくいま日本人の愛唱歌の一つです。中山晋平のつくった歌っていうのは国民歌謡ですよ。ところが伴淳三郎のやってる芝居は決して国民的芸術になってない。これはやはり決定的なことですね(笑)。

丸谷 この本の最後は東儀鉄笛のお棺が運び出される、寂しいところで終るでしょう。そのとき、突如として「都の西北」の歌声が起こる。まるで東儀鉄笛の生涯を代表する事業は「都の西北」であるかのような感じね。寂しいですねぇ。

鉄笛と春曙―近代演技のはじまり / 北見 治一
鉄笛と春曙―近代演技のはじまり
  • 著者:北見 治一
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:-(285ページ)
  • 発売日:1978-05-00

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年7月17日

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