コラム

ライアル・ワトソン『スーパーネイチャー〈2〉』(日本教文社)、『ネオフィリア』 (筑摩書房)、『水の惑星』(河出書房新社)

  • 2024/01/15
まえにこの著者がかいた『生命潮流』という本を読んだことがある。その折、とおい太古からはるかな未来のほうへとうとうと流れてゆく生命体の細胞潮流があって、ほんとうはそれが地球の生態系の主人公で、人間はそのおおきな流れを担っているひとつの種類の担体にすぎないという発想の仕方に、はっとする驚きを感じたおぼえがある。そういう発想が、こわばってぎくしゃくして、重たく動きのとれなくなった伝統的な認識の方法に、裂け目をあたえ、どんなにか新しい空気と光線を導きいれるか、はかり知れない。エコロジーの思考に利点があるとすればそこだとおもう。リゴリズムと腐った思想と嘘や誇張で生命の環境や栄養に、政治の毒を注入してゆく日本のエコロジストばかりみていると、この本の著者のおおらかさといきいきした好奇心が、なんともいえず貴重なものにおもえてくる。

ここに挙げた本(とくに『スーパーネイチャーII』という主著)にあらわれた著者ワトソンのいちばんの特徴は、すぐれた物語作家だけがもっているような語りのパターンを構想する力と、いきいきした好奇心の無意識な流れが結びついて、息もつかせない面白さと喚起力を読むものに与えることだ。自然のなかに起っている出来ごとに、心をはずませて、認識の棒でつつきまわし、何がとびだすのか怖がってとびのいたり、またすぐそばまで近寄って観察したり、いたずらを仕掛けて逃げだしたり、でも眼をはなさないで出来ごとに喰いいってゆく子供のような好奇心が、いっぱいに溢れている。この好奇心の構造と質が著者ワトソンの理念ということになる。それはひと口に要約してしまえば、自然のなかに起る出来ごとには、無機的な現象でも、有機的な細胞の現象でも、生命体の内部の現象でも、また人間の心のなかで起る現象でも、まだ現在までよく解明されていない自然の全体を統御している原理があって、そこからくる原因が加担しているという考え方だ。自然のなかである現象が起る。するとそれが起る原因はどこにあったかを、実験や追認を含めて解明して、それを見つけだしてゆく。こんどは見つけだされた原因を使って、見つけるのにたどった過程と逆の過程をたどって、その出来ごととおなじ結果が得られたばあい、その出来ごとの原因は確認されたことになる。これが自然科学がふつうにやっている方法だ。そして自然科学の、その時代時代のレベルが大枠のところでその時代の人間の認識力のレベルを象徴していることになる。この方法ではとても解明できない自然の出来ごとに出あったばあいは、未知であると見做すか、あるいはこじつけ、偏見、神秘、信仰、その他あらゆる飛躍と短絡によって結論をつくりあげることになる。著者ワトソンはこの自然科学がとってきた方法にも、またこじつけや偏見や、神秘や、信仰にも同意しない第三の方法を探究する重要さを、豊富な事例を挙げて縦横に説きつくしている。

著者がかかわりをもった例でその手ぎわをみてみよう。アリクイという動物はアリとシロアリだけを食べて生きている。アリクイが身をまもるために皮膚につくるカモフラージュの色や模様の多様さと微妙さには、じぶん自身のものでない自然の力が働いて選択しているようにみえると著者はいう。カモフラージュの色や模様は、アリクイ自身では視えるはずはない。そうだとすればその模様は誰が造り、どうしてその色と模様のパターンに定まったのだろうか。著者は、それは「個体以外の自然力により選択されている」とかんがえる。その自然力の本性はいったい何だろう。仕上りの悪いカモフラージュの色や模様をもっていると天敵である捕食者に喰い殺されて消滅してしまうから、ひとりでに良い色と模様のカモフラージュのパターンをもったアリクイだけが生きのこって子孫を伝えることになった。そしてついにはアリクイの種に特有なカモフラージュの色と模様がきめられてゆく。つまりこのばあいには自然力というのは天敵の捕食作用だということになる。著者は、アリクイの横腹を斜めに走る黒みがかった縞を、長い年月自然の奥で観察した。アリクイの子供にもおなじ模様があり、親アリクイの尾に近い背骨の下部におんぶしてまたがると、その横腹の縞模様は母親の縞の延長になって、ぴたりと重なり合う。そして子供は成長するにつれて、またがる位置を移動して、いつも横腹の縞模様が母親と一致して延長になるようにまたがることを見つけ出した。この親子二世代にわたり縞模様を一致させる習性は、個体の必要性という以上の、それとはちがった次元にある「何らかのもっと目的性のある力」が加わっていると結論せざるを得ないものだった。

もうひとつ著者がいつも感銘をうけると書いている例を挙げよう。わたしたちにも馴染が深く、懐かしいものだ。それは季節になると(日本では秋)空を渡ってゆく雁のすがたのことだ。ひとつ種類の雁でも空を渡る群れは二八度から四四度までの角度をつけて、V(ヴイ)字形になって翔んでゆく。なぜ雁の群れはV(ヴイ)字形をとるのだろう。さまざまな説があるが、著者の理解によれば前をとぶ雁の羽搏きのまき起す上向き気流が、すぐ後ろの雁が翔ぶ浮力をたすけるようになっている。そして交代で先頭に出たり、列に入ったりしている。いちばん望ましい角度と間隔をとると飛行距離は七一パーセント延びると計算される。もうひとつのことが雁の翔んでゆくすがたにはある。それは一羽で翔ぶときより二四パーセントおそい速度で翔べば、いちばん効率がよいということだ。そして実際にそういう翔び方をしていることがわかる。著者ワトソンによれば、ここで雁の群れが移動するばあいにとっているV(ヴイ)字形の隊形と、それぞれの雁の間隔のとり方は、一羽ずつの個々の雁がもっている特性の集計とはちがって、個々の雁をこえたいわば「共同の雁」ともいうべき自然の特性の流れが加わって出来あがったものだと見做した方がいいことになる。

いま生体の階程を踏んで、このことを確かめてみる。植物と動物の境界にあるとみなされる赤い海綿と黄色い海綿をよく混ぜあわせて濾過すると、その混合物は二十四時間後にはまた赤と黄の細胞にわかれて再集合をとげる。海に棲むウニの殻をつくるに必要なカルシウムの量を制限すると、バラバラに形態が崩壊して細胞のスープになってしまう。これにまた必要なカルシウムを補給してやると再結集して(エントロピーの法則に逆らって)、ウニは殻の鎧をつくりはじめる。もうすこし高度な例をかんがえる。いま一万個の遺伝子の組合せをかんがえると十の三千乗になる。これに細胞どうしが作用しあう選択条件を入れてシミュレーションをつくると、区別できるパターンが約一〇〇個になる。これは複雑な生体の細胞の種類とほぼ一致する。つぎにもう少し、生体の現実に近い例を挙げてみる。細かく刻んだニワトリの心臓の切片からの細胞に栄養をとらせ、成長させて観察すると次の四つのタイプの細胞にわかれることがわかる。

(1)骨や筋肉をつくる形態細胞。
(2)皮膚をつくる細胞とおなじで、仲間と端と端で結びついて覆いをつくる細胞。
(3)感覚細胞で長くのびて神経繊維をつくる細胞。
(4)運動の機能をもち、単独で生きるアメーバのように這いまわる細胞。

こういった目覚ましい例を、著者は宝庫のようにたくさん隠しもっていて、つぎつぎに繰りだしてみせる。わたしたち読者の方は驚嘆する。そして著者が言いたいことが少しずつわかってくる。まず生物は、(1)アリとかシロアリとかハチとかのように個体をもって行動しているとかんがえるよりも、はじめから社会そのもので、拡散した一個の生命体(数十平方キロメートルにひろがった二百万個の口をもった体)と見做した方がわかりやすい生物と、(2)人間、猿人類、クジラ、大部分のネコ、一部の鳥や魚のように、個体性をうるようになったが、仲間どうしのさまざまなコミュニケーションの同時性や共鳴性をすこしずつ失ってしまった生物とに分けることができる。そして人間はそのなかでも個体性をどんどん純化させて、個々ではっきり区別できる「パーソナリティ」と心のはたらきの閉じられた領域を発達させてきた。その過程で他の植物や動物とちがってしまった生物なのだということになる。このことからすぐに著者のいいたいことがわかる。人間が築いてきた文明や文化や認識(自然認識)の方法は、すべてこの生物として個体性を純化していった生物が造ったものだという特性を刻印されている。逆にいえば仲間と共振し共鳴し、同時に一個の同体のように解りあってしまうというアリやハチみたいな特性を退化させてしまったものの文明や文化や認識のつくり方なのだ。そしてときどきまだそういう感応力をもった人間存在に出あったり、そういう共振や共鳴の同時性によってしか理解できない現象に出くわすことになる。だが生物はみなもとをただせば、共振や共鳴の同時体であったのではないのか。これを補って人間の文明や文化や心を問い直すことが重要なのだ、と著者は主張している。この本の著者が強調していることで、わたしの印象にのこったことがふたつあった。ひとつはコッホによる結核菌の発見(一八八二)とその解明の時期と、結核の発病率と死亡率の一八八〇年代における減少とは関係があり、それは「知る」ということがそのことの発現と共振の関係にあるからではないかといっている個所だ。もうひとつはエネルギーや質量をもたず、時間や空間の影響を受けない「形態形成場」というべきものがあり、それを介して物質が植物とか動物とかの多様な形態に到達したのではないかと考えている個所だ。前者の考え方は現在のさまざまな人文的な認識の根底にある理念だといえるし、後者の考え方は現在のさまざまな宗教的な認識の深くにある考え方だといえる。著者ワトソンは個体性を純化することですすんできた人間の文明、文化、認識の在り方に根底的な批判をもち、同時に宗教的に短絡してすぐ信仰や神秘にしてしまう情念の発現の仕方にも批判的なのだとおもえる。

著者は地球をとりまく大気層の成分と層の在り方が、眼にみえる色を与える波長の光線だけを地上に送りこみ、そのために生物は視覚をもつようになり、また葉緑素によって光合成の作用をする植物を造りだした。いいかえれば地球を、まるでひとつの生命体のように活きいきとした生物と緑とに溢れる特徴ある惑星にしたのは、空気の層だということを強調している。そしてこの考えを拡張して、地球を水の惑星としてとらえ、水が陸地を割って流れ、海に湛えられ、空の蒸気や液滴や氷結となって循環しながら、生命ある植物、動物、人間を造り、養い、また包括している有様を写真をまじえて叙述する。わたしには啓蒙された個所がふたつあった。

(1)わたしたち人間の身体を流れる体液は、かつて生命をはぐくんだ海水の複製であり、血液や組織に含まれた科学物質の濃度は、原始の海に含まれていた科学物質の濃度とぴったり一致する。

(2)水の分子は一個の酸素とそれに対して一〇四・五度の角度で結びついた二個の水素からできているが、この角度一〇四・五度は「生命の角度」ともいうべきものでDNAの螺旋、松かさの模様、カタツムリの殻、ヒナギクの花芯部の配列など、生命体の構造にまつわる共通の角度であることでも、水は特別な意味をもっている。

著者は生物のなかで、とくに個体性を純化させて個々の「個性」の輪郭と特殊質をそれぞれの心の構造としてもつまでにいたった人間という存在を、ネオフィリア(新しさに惹きつけられるもの)と名づけている。これが純化のあまり個別的になりすぎた生物が、どんな環境や関係や事物であっても、新しくありさえすれば、それと結びつき新しい均衡状態をつくりださずにはおられない人間という生物の特性だとかんがえている。そしてこれが人間だけに発達した文明環境や文化や社会を造らせ、自意識を発達させたゆえんであることを啓蒙している。著者はわたしたちの風土にはとても出現しないタイプの、生命科学と哲学の抒情詩人ともいうべき存在だ。

スーパーネイチャー〈2〉 / ライアル・ワトソン
スーパーネイチャー〈2〉
  • 著者:ライアル・ワトソン
  • 出版社:日本教文社
  • 装丁:単行本(431ページ)
  • 発売日:1988-06-01
  • ISBN-10:453108053X
  • ISBN-13:978-4531080533

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ネオフィリア―新しもの好きの生態学 / ライアル・ワトソン
ネオフィリア―新しもの好きの生態学
  • 著者:ライアル・ワトソン
  • 翻訳:内田 美恵
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(241ページ)
  • 発売日:1994-12-01
  • ISBN-10:4480029133
  • ISBN-13:978-4480029133
内容紹介:
なぜ、人類だけがこの地球上で進化と繁栄を得たのか。ワトソンは、人間存在の本質がネオフィリア(新しもの好き)だからだったと仮定し、宇宙創成に始まり、人間をとりまく環境、人間が本来もっ… もっと読む
なぜ、人類だけがこの地球上で進化と繁栄を得たのか。ワトソンは、人間存在の本質がネオフィリア(新しもの好き)だからだったと仮定し、宇宙創成に始まり、人間をとりまく環境、人間が本来もっている機能と行動を、数々の科学的例証を挙げながら多面的に分析し、何物かによって"生かされている"人間存在を浮かび上がらせる。きわめて刺激的なライフ・サイエンス・ファンタジー。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

水の惑星―地球と水の精霊たちへの讃歌 / ライアル・ワトソン
水の惑星―地球と水の精霊たちへの讃歌
  • 著者:ライアル・ワトソン
  • 翻訳:内田 美恵
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:大型本(206ページ)
  • 発売日:2000-02-01
  • ISBN-10:4309251250
  • ISBN-13:978-4309251257
内容紹介:
地球は水によって祝福されている。『生命潮流』『風の博物誌』『スーパーネイチュア』(TV朝日系24局スペシャル番組放送)などの数々のベストセラーを生みだしてきた、著名なサイエンス・ライター、ワトソン博士が有数の自然写真家とともに描きだす、水の不思議と驚異の素晴らしい世界。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。



【このコラムが収録されている書籍】
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇  / 吉本 隆明
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
  • 著者:吉本 隆明
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN-10:4122025990
  • ISBN-13:978-4122025998

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

マリ・クレール

マリ・クレール 1988年9月号

関連記事
ページトップへ