自然の価値、守るということ
著者は元環境省自然環境局長。技官としての経歴をはじめ、国立公園や鹿児島県での勤務など現場の経験も長い。帯のキャッチコピーは「自然の“価値”とは何か」であり、いわば著者の畢生(ひっせい)の仕事のまとめがこの本になった。著者の基本的な立ち位置は、冒頭の「はじめに」に引用される「鹿児島環境学宣言」の全体に記されている。「環境問題は二一世紀最大の課題である。それは二重の意味をもっている。第一は外部にある環境の破壊であり、第二は私たちの内にあった自然に対する感性の喪失である」「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界自然遺産登録は直近のことであり、本書のタイトルはそこからきている。しかし、その裏には、いわゆる自然との共生、つまり奄美の自然と地元民の生き方が未来の人類の生き方の参考になれば、という著者の希望が込められていると思う。
国破れて山河ありと古詩に言うが、ここ数十年、私が生きてきた時代は、経済栄えて山河無視という状況であった。著者はいわゆる環境原理主義の立場を取らず、地元民の利益を常に考慮し、具体的にはかならず妥協点があるという信念のもとに、一見対立するような各分野の間で折衝を重ねてきた経験があり、それが本書の内容を深いものにしている。
全体は「奄美とはなにか」「自然保護制度」「実践的計画論」「自然保護再編のために」という四章に分けられ、前半は全体を俯瞰(ふかん)しデータを示し、役所的でやや硬いと思われるかもしれない。しかし第一章では奄美の地史、社会と文化、歴史に具体的に触れ、総論的に奄美を知りたい人にとっては良き参考となるはずである。第二章は国立公園を中心として国の制度を紹介し、その中での奄美を位置づけ、後半の二章が著者の本音の述懐に近くなっている。
著者は第三章で詳しく述べられるように屋久島の世界自然遺産登録にも尽力したが、「なぜ奄美なのか」という本書の趣旨を読者がくみ取れるまで読んでくだされば素晴らしいと思う。
折しもコロナがあり、ウクライナでの戦争があって、新しい生き方、未来世界の在り方を考えざるを得ない時代になった。幕末に長崎に入港したオランダ船の水夫が風景を一見して「天国」と叫んだという記述が、オランダ海軍軍人カッテンディーケの日記にある。それを将来の世代に残すことが現代日本人の責務ではないのか、と感じる。
近未来を考えるなら、二〇三八年から四〇年ごろに南海トラフ地震が想定されており、地震だけではなく、それに伴う噴火があってもおかしくない。とりあえずは災害時の救急に目が集中しているが、予想される災害からの「復興」を考えれば、環境保護を含めた国土の未来像に関する大きな計画は欠くことができないはずである。それをどう想定するかは、目前の急務であろう。当然ながら、復興の資金調達は経済の重大問題になるし、どのように復興するのかは、国民の抱く社会の未来像と強く関係する。
こうした面は本書の範囲を超えるが、評者自身は本書を読んで、右の問題に自然に考えが向かわざるを得なかった。本書はわが国における「自然保護」を考える上で重要な教科書であり、基本的な参考書と言えよう。