対談・鼎談

『西郷隆盛』海音寺潮五郎、『翔ぶが如く』司馬遼太郎|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/07/05

木村 西郷は道義国家ということを最後まで貫き通そうとした、そして道義のない連中に敗れた、というふうにしないと、西郷を正当化できない。だから海音寺さんは道義ということを主張したんだと思いますね。

山崎 だけど西郷が、なんらかの政治道義を主張して西南の役を起こした、という歴史的証拠は何にもないんですよ。征韓論に破れて下野するあたりの西郷の行動を見てますとね、これもたいへん場当りで、そんなに根深い主張があったとは信じがたい。

丸谷 侵略目的のために西郷が朝鮮に行く。そして西郷の目算としてはそこで自分が殺される。虐殺される自分にうっとりする……(笑)。それが西郷隆盛の道義なんだよ。そういうサド・マゾヒスティックなものだと思う(笑)。

山崎 丸谷さんがおっしゃったように、明治政府には文化に根ざした、いわゆる市民道徳的な道義が欠けていた。ところがフランス革命というのは、まさにその政治道義があったために大惨事を惹(ひ)き起こしているわけですよ。ロベスピエールは政治道義を振りかざして人を殺し、自分もまたその道義によって殺される。明治維新というのはそれがなかったおかげで、あれほどの社会変動にしては犠牲者がすくなかったわけですよね。

丸谷 日本人のチャランポランな性格が非常にうまく発揮されたと思いますよ。

山崎 とにかく政治的領袖(りょうしゅう)を数えた場合、西郷、前原一誠、江藤新平のほかにだれが死んでますかね。政治的領袖を抹殺するということはしてないですよね。

丸谷 たしかにそうだな。福島事件だってたいしたことないしね。

山崎 そこで西郷の変化というものを考えてみたいんですけどね。わたくしはそれほど西郷は変っていないと思うんですよ。つまり西郷は一つの認識の間違いを犯していた。明治維新というものはいまでこそ、エポック・メイキングな大事件だと思われていますが、西郷にとっては、それまでのいくつかのステップと同じものだったと思うんですね。ですから、明治政府というのはどんなふうにでも形が変えられると思っていた。

ところがそのときには、大久保の手のもとでわが国は二元的社会でなくなってしまったんです。政府は権威と権力をひと手に集めた。その認識を失っている西郷は昔のつもりでいるわけですよ。だから西南の役だって、あそこまで決定的な戦争になるとは最後まで思っていなかったのではないか。その証拠に彼は、現に薩摩のいわば私兵を率いて、国家に対して弓を引いているのに、陸軍大将の制服を着ていたんですね。そのとき西郷は本当に、陸軍大将であることを名誉に思っていたろうし、同時に大久保の政府はひっくり返さなければならないと思っていたんですね。

丸谷 要するにいろんな立場の人間がいる村があって、西郷はその村の調停役みたいなことをやっていた人だろうと思うんですよ。それでゴタゴタするといやになって、山へ狩りに行くわけですな。あれは天照大神が岩屋に隠れるみたいなものなんです(笑)。

山崎 ほんと、よく似てる。

丸谷 あの人がいないとみんな困るわけですよ。なぜかというと、喧嘩をやめる口実がなくなるから。ただそれだけのことなんですね。喧嘩を徹底的にやる気はもともとないんです。ただ、喧嘩をやめるためには恰好つけなければならない。その恰好をつける役として、非常に具合のいい人だったんですね。

木村 もともと幕府を武力で倒すというのが、西郷の一つの大きな目標だったのが、大政奉還によってはぐらかされた。だから彼にとっては、明治維新になってもまだ闘争は終わっていないわけですね。それを貫徹しようとしたのが西南の役です。ただそのときには客観情勢が違っていたから、彼は自滅したということじゃないですか。ですから西郷は基本的には変ってない。

山崎 西郷はそのときも革命起こす気はなかったと思うんですよ。司馬さんの本に出てきますけど、彼は一方で、おれが死んだ後、一蔵どん(大久保利通)がおるから、明治政府は大丈夫だといいながら西南戦争やってるんですから(笑)。ほんとに革命やる気だったら、敵の大将を指して、そんなことをいうわけないですよね。ですから軍隊を率いて熊本城を攻めてみる。陥ちたら東京がなんかいってくるかもしれないから、そのとき考えりゃいいーそれくらいのつもりだったと思う。しかし彼の大きな誤算は、熊本城で止められたことです。だいたい西郷という人は軍事的能力のゼロの人ですからね。戦争は一度もしたことがないし、軍人じゃないんですね。

丸谷 西郷というのは外交官なのね。で、西郷を陸軍大将にしたのが明治政府の大失敗だった。あるいは大成功だった(笑)。

山崎 しかも国内でしか通用しない外交官。

丸谷 だから外務大臣にはできない。

木村 外交技術のない外交官ですね。

丸谷 日本的な社会の中では最高の外交官であっても、たとえば韓国に対するときにはもうだめです。

山崎 大久保の最大の失政は西郷を遇しそこねたことね。つまり彼にふさわしいポジションは陸軍大将以外に、なにかあったと思うんだな。

丸谷 あったんだよ。

山崎 坂本竜馬がたいへんうまいこといってる。「西郷という男は大太鼓のような男であります。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく響きます。もしバカなら大バカ、利口なら大利口ですな」これは日本のある種の不思議な役柄なので、その原型は天皇だと思いますね。黙って坐っている。その前でいろんな知恵が空転する。そして最後のところで一つの決断だけをこの人は下してくれる。そういう人なんだろうと思う。

丸谷 大久保利通という人はなぜこんなに評判が悪いんですか。

山崎 簡単なことだと思うんですよ。成功した革命家は日本では決して褒められない。これはもう歴代全部そうですから。たとえば義経が褒められて頼朝はけなされる。家康は秀吉や信長よりも評判が悪い。なぜなら彼は最後を全うしているからです。

丸谷 でもぼくはね、ことに海音寺さんの本を読んでると、大久保がかわいそうでねえ。別にそうたいして悪いことしてないのに、ひどいことになってるでしょう。

山崎 もう一つおもしろいのは、司馬さんがなぜ川路利良を表に立てて、大久保を描こうとしたか。丸谷さんがいわれたようにこの心理はなかなかおもしろい。司馬さんは、ここに書かれている以上に大久保が好きなんだと思うんですよ。それを直接に書きたくないんだ。

丸谷 そうなんだよ。だから川路を表に出した。これは小説の工夫として脱帽ものです。

山崎 そういった小説技法の上からいうと、司馬さんにとって気の毒だったのは、西郷に関してはそのダミーになる人物があまりにも卑小であった。桐野利秋ではどうにもならない。

丸谷 また桐野に対する書き方が、前のほうではむやみにカッコよく書いていながらあとへゆくにしたがって、大体字も読めない男で、っていうような話になるでしょう。

山崎 あれは不思議ですね。

丸谷 司馬さんのなかには桐野的人物に対する分裂した好悪の念があるんだね。かなり好きなところもある。でもね、おれが好きになる以上、もうちょっと利口であってほしかったっていう恨みもかなりある(笑)。

山崎 そうだろうね。

丸谷 『西郷隆盛』の中に柳原白蓮さんの話が載っているんです。白蓮の母は明治天皇の若い頃のことを追想して、「お馬に召したり、調練を遊ばしたり、角力を遊ばしたり、武張ったことばかり遊ばすので、皆さまが、天子様はお祭りを遊ばすのがほんとのおつとめなのだから、あんなことをなさってはいけないのにと、眉をひそめていたのですよ」といった。

で、海音寺さんは、これはみんな西郷の画策だと書いている。これからの天子様は武張ったことをしなければいけないというので、山岡鉄舟をはじめ勇ましい近習をつけ、勇ましい天皇に育てたんだ、というわけです。

ところがこれとまったく同じ話が司馬遼太郎さんの得意中の得意のエピソードなんですね。柳原二位局(にいのつぼね)が、明治天皇が白い馬に乗って観兵式をするのを見て、天子様は軍事には携わらないでいたからこそ天子様の家は無事であったのに、不吉なことにならなければいいがと心配した、という話があるんです。同じ話が海音寺さんにかかると意味が変ってしまう。

つまり海音寺潮五郎にとっては、武家的な天皇というものが好ましいんですね。司馬遼太郎にとっては武家的な天皇は好ましくなくて、それは亡国への道につながるものであった。海音寺さんにとっては、武家的な天皇、これが日清日露の勝利につながるものである。司馬さんにとっては、それが太平洋戦争の敗北につながるものであった。ここのところの歴史の見通しの長さが、決定的に違う。

山崎 ただわたくし自身の中にそういう不可解なる西郷的存在というものを、どこかで必要とする事実だけは、認めざるを得ないという気がするんです。

自分の人生を決めるときに、目の前で黙って坐ってる男というのは非常にプラクティカルな意味で必要だな、という気がする。そこは司馬さんが余白として書き残したものであり、その部分を海音寺さんは大声で書こうとして結局は書けなかったものなんですね。

丸谷 まことにおっしゃるとおりで、ぼくは海音寺さんの西郷がうまく書けているとは思わないけれども、海音寺さんが書こうと思っていた西郷が、もしぼくの伯父さんとしていたならば、どんなにいいだろうという気がします。
なるべくならば、司馬さんの書いた西郷じゃなくて、海音寺さんの書こうとした西郷と付き合いたいねえ(笑)。

【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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