コラム

名前と肩書の研究

  • 2017/07/10

『潮文化人手帖』一九七六年版

昨年の年頭あたりからひんぴんと奇妙な電話に悩まされはじめている。

「一橋大学で教えてるんだって?」

複数の友人知己が申し合わせたようにそう訊ねるのである。当方にはまるで寝耳に水であった。

一九六五年から一九七一年まで、私は三つの大学に語学教師として勤めていた前歴がある。しかしそのいずれの大学も一橋大学ではない。一九七一年以降はいまのところ大学と名のつくものには関係していない。狐につままれたような気持である。

とこうするうちに事態はいささか深刻になってきた。新聞や雑誌にときたま談話コメントを発表することがある。するとその肩書が「一橋大学教授」となっているのである。一体、どうなっているのだろう。私は、ある日突然、一橋大学当局から肩書詐称の件で告訴されるのではなかろうか。

間違いの元凶はすぐに判明した。潮出版社が編集している『潮文化人手帖』というのがある。この手帖一九七六年版の住所録の私の名の欄に一橋大学教授と印刷されていたのである。

友人からそのことを教えられたので、早速潮出版社に問い合わせた。電話口に出た担当者に事情を説明すると、相手は丁重に詫びたうえ、来年度からは必ず訂正する旨を約してくれた。ミスプリントの原因そのものは、担当者にも不明であるらしかった。

大部数が出回っているのだから、今更回収は不可能だ。私だけのために訂正表を購買者各個に郵送するとなると、かなりの出費だろう。なにも前科三犯と大書されているわけではない。不慮の事態が発生した場合、責任の所在は当方にあるのではないことを確認して頂いてから電話を切った。(手許にある一九七八年版では訂正されている・後記)

一連の怪の原因はこれで解けた。新聞雑誌の誤記は、談話を渡すとき特に肩書を言わなかったので、編集者が『潮文化人手帖』で当たったのである。

それにしても不安は不安である。編集者にも私にも落度はないとしても、結果としては肩書詐称が成立する。相手が国立大学だから、ひょっとして国家公務員法違反に問われやしないか。かりに教授会が寛容でも、大学というところには体育部もあれば学生自治会もある。血の気の多い連中が、空手や火焔ビンで天誅を加えにくる可能性がないとはいえない。薄氷を踏む思いの日々が過ぎた。

一橋大学には出口裕弘さんという友人がいる。歴とした一橋大学教授の、ボードレールやジョルジュ・バタイユの研究で知られた気鋭のフランス文学者である。傍らこの人、小説も書く。江戸前の啖呵のきいた、胸のすくような文体で、真夏の太陽のような乾いた虚無感とふかぶかとした水の感触の対応を書き分けた『天使扼殺者』という小説の作者である。

この人に当たりを入れてみようかと思った。面倒なことになりそうかどうか。

「そんな気配はなさそうだな。あったってどうってことないじゃないか」

川向こうの生れだから、出口さんは滅法威勢がいい。電話の向うで小心翼々たる当方の俗物根性をせせら笑っているようである。話はそれで終ったが、このとき、ちょっと気になるやりとりが記憶の隅に引っ掛った。

「おれなんか、あの手帖に学校教師の肩書でのってないよ」
「じゃあ、どうなってるんですか?」
「評論家とか何とかなってたようだね」

実情としては、私と出口さんの肩書があべこべになっているわけだ。すると手帖住所録の編集者が出口裕弘と種村季弘を取り違えたのだろうか。しかし住所電話番号その他はちゃんと合っているのだ。それにいくらなんでもタ行とダ行とでは離れすぎていて相撲にならない。誤記の原因はやはり納得のゆかぬままである。

それはそうと、右(事務局注:上)の電話のやりとりから一週間も経たぬうちに、当の出口さんにばったり出遭った。誤記事件と直接の関係はないが、これも面白い話なので書いておきたい。

(次ページに続く)
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週刊時代(終刊) 1977年1月4日

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