書評

『ロココと世紀末』(青土社)

  • 2017/07/13
ロココと世紀末  / 窪田 般弥
ロココと世紀末
  • 著者:窪田 般弥
  • 出版社:青土社
  • 装丁:-(256ページ)

艶なる宴の方へ

ある週刊誌の、「最近記憶に残った本」を挙げる読書欄のようなところにこの本のことにふれて、「モーツァルトを聴き、上等のコニャックを飲みながら、それでいて肩肱張らずに読める本」と書いた。二番煎じのようで恐縮ながら、今もってこの感想に変りはない。

『ロココと世紀末』の題名通り、十八世紀の世紀末に当るルイ十五世のロココ時代と十九世紀末の、主としてフランスを中心にした文化のさまざまな局面が、文学、音楽、絵画、風俗と、さながらロカイユ装飾(小石や貝殻を嵌め込んだ装飾)の七色に煌めく多面的な輝きで描かれている。蓋を開けるとオルゴールのみやびな楽の音が流れ出す、七宝焼の小さな宝石函にもたとえられようか。

オルゴールのげんに奏でているのがモーツァルトの小曲なら、あとはもうコニャックをグラスに注ぎさえすればいい。そして色とりどりの愛玩の宝玉のなかから、ロココの閨房やサロンを俳徊していた怪人のエピソードなり、世紀末の庭園噴水のささやきにも似たけだるい詩句の響きなりを、好むがままに、どこからでも手に取って賞翫すればいいのである。

ロココと世紀末。二つの時代の芸術に共通するのは、ブルジョア上昇期の物欲しげな成金面が、産業社会のスモッグとともにきれいさっぱり閉め出されていることであろう。汗臭い現実をここに期待しても、当てが外れるばかりである。人びとは舞踏会の仮装を凝らしているか、それとも夢に遊ぶ面持ちをして遠い昔の追憶に耽っているかである。

野暮な現実が割って入ろうとすれば、巧みな社交辞令に小粋にかわされてしまうか、柳に風とばかりやんわりと受け流されてしまう。歴史の激流の只中に、艶なる宴を開く小散策のための小島のように、控え目だが誇り高く孤絶した二つの時代は、そんな優美な身振りで脅迫がましい手合いの居丈高な鼻息をかわしてしまう作法を、心憎いまでに知り尽していた。「肩肱張らずに読む」べき本、と書いたのはそのことで、こうした美風を説くのにむやみに感奮したり、強面のしたり顔をしたりしたのでは、低声で語られるべき事柄の感興が殺がれるだろう。

あとはこの艶なる宴の珍肴美味をどう味わうかである。考えてみれば、私たちもロココと世紀末に続いて、今日ようやく二十世紀の末期にさしかかっているわけである。ひょっとすると、平行する三本目の線のように走る来るべきもう一つの世紀末を生きる戦略のようなもののヒントが、この本のなかにはひそかに隠されているのかもしれない。

【この書評が収録されている書籍】
遊読記―書評集 / 種村 季弘
遊読記―書評集
  • 著者:種村 季弘
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(268ページ)
  • ISBN-10:4309007767
  • ISBN-13:978-4309007762

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ロココと世紀末  / 窪田 般弥
ロココと世紀末
  • 著者:窪田 般弥
  • 出版社:青土社
  • 装丁:-(256ページ)

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初出メディア

公明新聞

公明新聞 1978年10月9日

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