仏大使が鋭く社会診断
首相・原敬が暗殺された大正十年から、関東大震災をはさんで金融恐慌の昭和二年まで、ひとりの駐日フランス大使がそのときどきの日本社会を診断して、本国の外務省あてにおびただしい数の書簡を送った。西暦でいうと一九二一年から二七年まで、日本が次第にアングロサクソンと対立して孤立を深めていった時期である。大使の名はカトリック詩人ポール・クローデルだ。一九五五年、クローデルは八十六歳で大往生をとげ、パリのノートルダムで国葬がいとなまれた。アメリカ、ドイツなど主要国の大使を歴任するかたわら、かずかずの詩劇を発表した大物にふさわしい盛儀、といいたいところだが、国葬はやはりただごとではない。カトリック陣営の闘将として、新教徒のアンドレ・ジッドと対立し、はげしい論戦を重ねたこともある。日本人にはなじみにくい文学者で、ジッドほどの人気はついに出なかった。
さて肝心の外交書簡だが、日本の国内政治を扱った部分も面白いし、参考になる。しかし、十数年も中国大使をつとめたキャリアにものをいわせて、“アジアの中の日本”の運命を見定めてゆく洞察力は、その後八十年近い歳月が流れ、事が終わり勝敗が決してしまった現在でも、なお、国際関係をプロの目で見るとはどういうことか、しっかりと教えてくれる。
徳川幕府に肩入れしすぎたため、明治以降、フランスは対日戦略で後手に回った。「現在わが国は、ドイツに遅れ、イギリスに遅れ、アメリカに遅れ、最後尾にいるのです」とこの駐日大使は書き送っている。日本でのプレゼンスをどうやって回復するか。対抗手段は“文化”しかない、何よりもフランス語を日本国に深く浸透させるべきだというのがクローデルの持論だった。そして実際彼は、東京に日仏会館を、京都に日仏学館を創建すべく、奮闘した。
何はさておいてもフランスの国益。それがこの書簡集の基調だが、日本への敬愛も見まちがえようがない。後味のいい本である。
奈良道子訳。