対談・鼎談

オズボーン・エリオット『「ニューズウィーク」の世界』(時事通信社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談

  • 2020/11/19
『ニューズウィーク』の世界 / オズボーン・エリオット
『ニューズウィーク』の世界
  • 著者:オズボーン・エリオット
  • 翻訳:竹林 卓
  • 出版社:時事通信社
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:1984-01-01
  • ISBN-10:4788783320
  • ISBN-13:978-4788783324

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丸谷 オズボーン・エリオットという、一九六一年から七十六年まで、アメリカの週刊誌「ニューズウィーク」の編集長だったジャーナリストの自叙伝です。

オズ(オズボーンの愛称)は八つのとき、オモチャのタイプライターを叩いて新聞を作ったという典型的ジャーナリズム人間で、「タイム」を経て、その対立誌「ニューズウィーク」に移りました。そしてケネディの友人であるフィル・グレアムが「ニューズウィーク」を買い取った時に、三十代の半ばで編集長になった人です。

当時この雑誌は、「タイム」の後塵を拝する二流誌だったのですが、彼は「タイム」と肩を並べる雑誌に変えました。一九六四年には百五十五万部、七十四年には二百九十万部という発行部数になった。これはオズの力を示すもので、その意味でこの本は、アメリカ的なサクセス・ストーリーだといえると思います。

もちろん、彼は低俗にすることによってではなく、高級で実質のある雑誌にすることによって、それをなし遂げたのです。「ニューズウィーク」は、六十年代から七十年代のはじめにかけての社会と文化の変動を着実執拗に追い掛けました。アメリカでビートルズやツィギーを最初にカバー・ストーリーにしたのは、この雑誌でした。アメリカの黒人社会についての最初の本格的リポートを載せ、黒人の公民権運動について持続的に支援したのも「ニューズウィーク」でした。

またオズはウォルター・リップマン、サミュエルソン、フリードマンなどをコラムの執筆者に迎えました。そのうちの一人サミュエルソンは、最初、自分の書いた経済学の教科書がよく売れるので金には困ってないから、と断わったのですが、オズはこう言って口説き落としたそうです。〈「年にわずか数千ドルの原稿料では魅力がないかもしれませんが、『ニューズウィーク』は、ちょっと雑誌をめくってみる程度の読者まで加えると推定でも千四百万人の人が読みますからね」〉

彼の編集長としての経歴には、ケネディ暗殺、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件という三大事件が当然入っていまして、それへの対応で、どんなに努力し、苦心し、必要とあれば政府を痛烈に批判し、そして売行きを伸ばしたか、その途中でいろいろな失敗をしたかが詳しく語られていて、いわば特殊な角度から見た同時代史になっています。

そのケネディ暗殺の日、一九六三年十一月二十二日、オズを含める編集幹部数人は、ガルブレイスとシュレジンジャーを招いて昼食会を開くところでした。ところが大統領狙撃のニュースが伝わります。彼らは廊下を駆け抜けてオフィスに行き、テレビを見ました。テレビは押し殺した声で「大統領は亡くなりました」と告げていた。それが午後二時すぎで、記事を差しかえるギリギリの時間なんですね。オズは三ヵ月前に禁煙したばかりでしたけれど、チェスターフィールドを一カートン買いに走らせ、用意してあったカバー・ストーリーをはずし、あと二十ページ分、ほとんど仕上がった記事をボツにして、大統領暗殺の特集を組むことにしました。

記者たちの活躍はものすごく、リンドン・ジョンソンの密着取材を命じられた男は、機内での新大統領宣誓を目撃したわずか二人の記者のうちの一人になりました。別の記者は、狙撃後のケネディを最初に診た医者とのインタビューに成功し、また別の記者は、ダラス署の署長と刑事課長をつかまえ、洗いざらい喋らせることに成功しました。その週の「タイム」のケネディ暗殺特集は十三ページでしたが、「ニューズウィーク」は二十五ページもあり、記事の質も遥かに上で、圧倒的勝利をおさめたわけです。

そのほか、経営者や記者に対して編集長はどういう態度で臨むかなどという体験談も率直に書いてあって、なかなか面白いんですが、われわれ日本人にとって手本とすべきは、彼の語り口が常に、たとえば自分が編集長を解任される時の情景を語る時でさえユーモアにみちていることでしょう。

アメリカ・ジャーナリズムの内幕という未知の世界を覗き見させてくれるという意味でも、六十年代以後の価値観の変動はどういうものだったかという大問題の参考資料としても、非常に興味深い本です。

山崎 私事で恐縮ですが、私が初めてアメリカで生活をしたのが、一九六〇年代の前半、ちょうどオズボーンが「ニューズウィーク」の編集長になったばかりのころなんですね。この本に出てくる場所、たとえば編集者たちが日々酒を飲みにいくウォルドルフ・アストリアのバー「ブル&ベア」、アメリカの文学者たちがここに泊ると必ず成功するといわれた「アルゴンキン・ホテル」のバー、あるいは「シュン・リー・ダイナスティ」という中華料理店など、いずれも私の青春の曾遊(そうゆう)の地名でありまして、(笑)ああ、こういうところで彼らは歴史を作っていたのだなと、改めて感慨に耽(ふけ)りました。

おっしゃるとおり、この本は一人の編集者の成功物語(サクセス・ストーリー)ですが、同時にアメリカのインテリにとっては敗退物語(デクライン・ストーリー)でもありました。太平洋戦争世代とでもいうべき、希望と自信にみちたアメリカ東部のインテリが、六十年代の諸事件を通じて、さんざん打ちのめされ、その中で多くのことを学んで賢くなっていく物語、と読むこともできます。

エリオット氏をはじめ、多くのアメリカの知識人の実像が活写されていまして、たとえば社主のフィル・グレアムは中流出身の秀才でありながら、金持の娘の養子になった野心家です。恐るべき現実的なやり手で、しかも素朴な理想家。歴史の一ページとしての現代を書くのだという意識をもちながら、札束で横面を張るようにして、「ニューズウィーク」を買いとるんですね。猛烈な才能と行動力を持つ一方で、病的な神経症で、あっというまにショットガンで自殺をしてしまう、まさに「アメリカの夢」と「アメリカの悲劇」を絵にしたような人物です。

丸谷 あの男の死とケネディの死の二つが、この物語全体の重いおもしになっていますね。ですから、ジャーナリズムの世界の軽薄な話という印象を与えない。

木村 私、自分が愛読している「レクスプレス」という週刊誌を紹介するときに、よく「これはフランスの『ニューズウィーク』みたいなものです」というんですが、知的で良心的で、残念ながら日本にはあまり見当らない種類の週刊誌です。(笑)

その雑誌を今日あらしめた著者の活躍した時期、つまり六十年代の初めから七十年代半ばまでは、アメリカが、いろんな問題をかかえながらも活力に満ち、世界にリーダーシップを発揮していた「パックス・アメリカーナ」、アメリカによる平和の時代なんですね。この二つがぴたり符合しているのが、とても面白い。七十五年に彼は編集長を辞職しますが、まさにそのころから「アメリカの時代」の解体が始まるわけですね。

山崎 読者のために少し註釈を加えますと、アメリカでは、例の「ウォールストリート・ジャーナル」と、「USAトゥデイ」という新しくできた新聞、この二紙を除くと全国紙というものがなく、「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」のような高級紙といえども地方紙にすぎない。それに対し「タイム」にせよ「ニューズウィーク」にせよ、週刊誌が全国紙の役割をしていて、新聞以上に普遍的で国際的なニュースを書く使命をもっている。したがって、これだけ大型の編集者がでてくるし、またそれだけ、傲慢すれすれの誇りも生まれてくる。たとえば「朝日新聞」を一人の編集長が完全に切り回してしまった場合の仕事、それを回想していると思って読まれるといいでしょうね。

丸谷 非常に適切な解説です。そういう編集長にオズは三十六歳でなる。そのこと自体が意味があるし、またそれだけの若さだからこそ、あの文化的、社会的大変動にうまく対応することができたわけですね。編集者というものは、時代が曲がり角になったときには若さが必要だということのいい例だと思います。

木村 この人は詩人の感覚がありますね。ケネディが暗殺されたとき「タイム」は「泥臭い自己満足的な文章で飾られていた」のに対し、彼はホイットマンの詩を掲げている。また美的感覚が鋭くて、ある若手ライターと食事をしていたら、その男がパイプを彼のバター皿に置いた、それで雇うのを止めた、と書いてある。(笑)彼の言説が多くの人々の心をとらえることができたのは、そういう感性によるところも大きいのではありませんか。

山崎 三十半ばの男が編集長になり、生殺与奪の権を握って編集部員を入れかえる。どこかで有名な筆者が不満を感じていると聞くと、ドルで横面張って引っこ抜いてくる。社主は社主で、よその資本と鍔迫(つばぜ)り合いを演じながら、一つの雑誌を自分のものにしていく。

この編集長と社主が向いあう場面が、私にはぎょっとするほど面白かった。だいぶ神経がおかしくなっている社主と、若い天才編集者が食事をしている、ふと見ると足もとに精神安定剤の箱が落ちている。編集者が拾って「あなたのですか?」と尋ねると、「いや、僕のはちゃんとここにある」。気づいてみると、それは自分のだった、というところね。
つまり、猛烈なエネルギーの芯のところが、まさに熱っぽく膿んでいるのが、アメリカだという感じがします。この両面性をみごとにケネディという男が象徴していたわけで、ケネディ一家は恐るべきエネルギーと天才の固まりなんだけれど、一方でたくさんの精神病者や早逝者を出している。神が栄光を与えると同時に呪いをかけている、そういう“ケネディ神話”に象徴されるような世界の片鱗がこの本にも見えています。

木村 日本だと、ジャーナリズムは時代の先端をいくもので、社会の木鐸だ、みたいな気負いがあるでしょう。この人は必ずしもそうは思っていないらしい。黒人社会の意識調査を思いついたところで、〈ジャーナリズムという旧来の芸術と世論調査という新しい擬似科学とを初めて結びつけることに成功したのだった〉といっている。案外古風なところがあるんですね。そしていざというときは、彼はいつも綿々と手紙を書く。文章を非常に大事にしています。

一般にアメリカ人といえば、電話ばかりかけているように思いますけれど、ちょっとしたパーティでもいちいち招待状を出す。ヨーロッパのカトリック圏よりも、文字を尊重するんですね。もともとプロテスタントは、バイブルに書いてある文字しか信じなかったわけですが、その伝統がアメリカに伝わっている。口約束とか口頭での伝達ではどのようなトラブルを生ずるか分らない。すべて文字にしておけば間違いがないし、自分の誠意とか真意もはっきり伝えられるという、文字に対する信仰が強いですね。

山崎 この人たちの国語、つまり英語に対する執着が、現実社会に対する生々しい好奇心といいバランスをとっているんですね。たとえば、彼の部下の編集者がニューオルリンズの支局員にどういう注文をつけたか。――事件は、地元の大監督(アーチビショップ)と教会から破門されたある婦人との争いなのですが、それについて編集者は出先の記者に「二つだけ明確にしてほしい」と電話でいうんですね。

大監督の屋敷はどんな屋敷か? 木造か石造りか、それともレンガ造りか。(略)その日の天候は? 穏やかな曇り空だったか、あるいは暑くて鬱陶しい日だったのか? 大監督の姿を描写してほしい。老人で眼鏡をかけているような人物なのか? 彼は屋敷からどんな歩き方で出てきたのか? 腹を立てて大股に歩いてきたのか、あるいはツエにもたれながらヨボヨボと出てきたのか?……

と、約一ページくらいの質問を延々として、これが質問の第一。「さて、第二の質問は……」と続ける。

ここを読んで、私はふと日本の新聞の記事を思い浮かべた。典型的なのを挙げますと、「大人の心ない振舞いに、よい子はガックリと肩を落としていた」。(笑)私は日本の新聞記者に、政治的偏向とかイデオロギー云々と言うつもりは全然ありません。まずこの紋切り型から何とかして卒業してもらいたい。

丸谷 そうそう、国鉄に事故があると、必ず「乗客はやり場のない怒りをぶちまけた」とかね。(笑)具体的イメージが全然分らない。

いま山崎さんが引用した、特派員へのいろいろな質問、ああいうジャーナリズム心得がアメリカにはちゃんとあるんです。ヘミングウェイは最初新聞記者でしたが、彼の即物的な文体は、新聞記事の書き方に由来するといわれてます。つまり、アメリカ現代小説の重要な部分はジャーナリズムの記事の書き方から発生しているわけです。

もっといいますと、「タイム」の記事は、ある人間が門から出てきたところから書き出したり、まるで長篇小説の冒頭のようにして始まる。ああいう心得があって、アメリカのノンフィクションは始まったんですね。

日本では、ドラマチックな書き方、小説的な書き方はノンフィクションではないと思ってか、単なる体験談をのんべんだらりと書いて泣き落としをかける、それがノンフィクションだと考えているような気がします。私小説の伝統を受け継いでいるんでしょうが、本当のノンフィクションの書き方はちょっと違うということを、日本のノンフィクション作家は一度考えたほうがいいでしょうね。

山崎 そうですね、フィクションとノンフィクションの間に非常に有機的な関係があるのが、アメリカ文学の一つの特色かもしれない。

丸谷 この本の構成でうまいのは、オズが編集長をやめてから、ニューヨークの副市長に、年俸一ドルという象徴的な給料でなる。その時に、こんどは被害者としてジャーナリズムを体験する。いかに誤報が多いか、美談を書くのはしぶるくせに、くだらないスキャンダルになると喜んで書くものか――、その対照が実にいいですね。

大抵の現代人がその両方の体験、つまり、ジャーナリズムによって、批判することによる愉快も知ってるし、ジャーナリズムにいじめられることの悲惨も知っている。そういう自分の体験と照らしあわせてこの本を読むと、どちらの意味でも身につまされるんじゃないかなあ。

木村 もう一つ、この本のポイントになっているのは、レストランですね。まず「はじめに」のところで、一九七八年の昼食会での会話が紹介され、この本を執筆するにいたった事情が述べられています。その後も事あるごとにレストランの話がでてくるんですが、それには理由があって、いろんな人と会食することがジャーナリストにとって重要な生活の一部だというわけですね。必ずしもそこでスクープが取れるというわけではないけれど、お互いメシを食ってるあいだにアイデアが浮かんでくる。著者は、人と人とが食事を通して出会うことの大事さを説いています。これも魅力でした。

丸谷 僕がこの本を紹介したいと思ったのは、日本のジャーナリズムが、明治のころもっていた、西洋のジャーナリズムに学ぼうという態度がいまは非常に薄れているような気がするからなんです。日本流でいいんだと思っているのは、日本ではジャーナリズムだけではありませんか。

山崎 いや、ジャーナリズムだけではないと思う。

丸谷 なるほど、文学もそうだ。(笑)

山崎 日本はいま、経済的にも政治的にも一番疵(きず)の少ない社会を運営していますね。その点でヨーロッパ人に対してもアメリカ人に対しても、とかく大きな顔をしがちです。しかしこれは大いに自戒すべきだと思います。

たしかにニューヨークは東京に比べれば、実に惨憺たる街です。が、考えてもごらんなさい。東京には日本人以外にどれだけの少数民族がいるか。逆にニューヨークでは、誰が少数民族だか分らないくらい多様性が渦巻いている。それらの人たちの祖国では現に戦争をしているんです。イラン人とイラク人が一緒に暮しているんです。その中でとにかく一つの街をつくり、「ニューズウィーク」をはじめとする高度の精神活動を生み出している。その端倪(たんげい)すべからざる強さを、もう少し日本人は感じたほうがいいと思う。

木村 「二人三脚(シナジー)効果」という言葉がこの本には出てきますね。もともとは薬学で、違った種類の薬を合せ、相乗効果を発揮する、という意味なんです。アメリカ人といえば、個々バラバラで、闘争ばかりしていると見られがちですが、違った種類の人間がお互い協力しあうという“シナジー効果”を最も発揮しているのはアメリカなんですね。ヨーロッパでも最近はこのシナジーが合言葉になりました。日本のような違った文化の人たちとも手を結ぼうというわけで、シナジーとシンポジウムをあわせた「シナジウム’83」というのが、日本をゲスト・カントリーとして去年、ベルギーのリエージュで大々的に開かれたくらいです。その点、日本がシナジーに対して一番拒絶反応を起している国なんですね。海外と手を結ぶことに対して、非常に鎖国的です。

丸谷 この本の翻訳はなかなかいいですね。訳者は「週刊新潮」の編集部員だそうですが、これはジャーナリズムに対する熱烈な責任意識があったから、これだけいい翻訳ができるんだと思う。こういう調子で、日本人のジャーナリストが欧米のジャーナリズムに学ぶという姿勢をずっと持って、少しずつでもいいから、わが国のジャーナリズムを改善していってもらいたいものですね。

木村 もう一つ。彼をジャーナリズムにひきいれてくれた恩人の本を「ニューズウィーク」の書評がけなしたため、仲が悪くなってしまったという話がでてきましたね、あれは、この「鼎談書評」にもあてはまるんではないでしょうか。身につまされました。(笑)

『ニューズウィーク』の世界 / オズボーン・エリオット
『ニューズウィーク』の世界
  • 著者:オズボーン・エリオット
  • 翻訳:竹林 卓
  • 出版社:時事通信社
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:1984-01-01
  • ISBN-10:4788783320
  • ISBN-13:978-4788783324

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋

文藝春秋 1984年6月

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